モンブラン(Mont Blanc aux marrons)は、栗などを原料とするクリームを生地の上面に絞りかけたケーキ。モンブラン山の形に似ていることからこう呼ばれる。
概要生地を栗ペーストでつつむ様子
典型的には、カップケーキ型のスポンジ生地やメレンゲ、タルト生地などで作った土台の上にホイップクリームを乗せ、それを螺旋状に包むように絞り袋や小田巻[1]を使って絞り出した栗のクリームをあしらう[2]。その上に半分に切ったマロングラッセ、あるいは甘露煮の栗が一片載せられることもある[1]。形状や大きさ、土台となる生地部分には様々なバリエーションがある。上に降りかけられる白い粉砂糖は雪を表している[1]。
その形はモンブラン山を真似てフランスでは山の丸みを帯びたドーム状の曲線が、イタリアでは氷河に削り取られた峻厳な岩肌がケーキに投影されたと考える者もいる[1]。
栗のクリームとして、形の崩れたマロングラッセをつぶして使うこともある[1]。 栗のペーストとホイップクリームを組み合わせたデザート「モンブラン」は1847年には販売されており、19世紀中旬に一時流行した。他にさまざまな呼称がある。小型のケーキタイプや、メレンゲ台を使ったタイプも1890年代初頭にはあった。 モンブランを看板メニューとするパリの老舗カフェ「アンジェリーナ」の2015年現在の製品は、メレンゲ上にホイップクリームを載せ、その上に栗のクリームを麺状に絞り出した構成である[5]。同店が「モンブラン」という名の菓子を発売した時期は1920年代以前である。 ヨーロッパで栗の甘い菓子としては、17世紀には栗のシロップがけや糖衣のレシピがあり[6]、18世紀には栗ペーストのアイスクリームのレシピもあった[7]。19世紀初頭にNesselrode pudding(ネッセルロード[8]:601・プディング)という、栗と各種ドライフルーツを和えたアイスクリームが流行した[9]。 栗を麺のように絞り出した菓子は1842年の記録がある[10]。ただしこれはホイップクリームに関する言及がない。 モンブランの原型はフランス・サヴォワ県や隣接するイタリア・ピエモンテ州の家庭菓子という説がある[12]。 1847年のフランスの広告記事はパリの菓子店Dessatが創ったという、栗とクリームの菓子"entremets du Mont-Blanc(モンブラン)を紹介している[13]。白いクリームと褐色のマロンピュレ(裏ごし)を組み合わせたバニラ風味の菓子で姿も良い、とうたっている[14]。 1863年フランスの婦人雑誌のレシピnid de marrons(直訳:栗の巣)は、栗のペーストを麺状に絞り出して大きなドーナツ状の輪をつくり、中心の穴にホイップクリームを盛る[15]。 1871年のユルバン・デュボワ
バリエーション
日本ではクリ以外にも、サツマイモやカボチャなどで代用したり、色付けし砂糖と香料を加えた白餡を乗せたケーキにも、同じ名称が冠されている[3]。また、栗のクリームに抹茶を混ぜ込んだ抹茶のモンブランや、ココアを混ぜ込んだチョコレートモンブランなどもある。更には栗を使用せず、生クリームにいちごやマンゴー等の果汁を混ぜ込こんで風味付けをしたモンブランもある。
北海道小樽市の一部では、ココアスポンジに生クリームを挟んだショートケーキが「モンブラン」と呼ばれている[4]。
三越のモンブラン
ロールケーキ状
苺のモンブラン
ムラサキ芋を使用
スイスの作品
スターバックスのモンブラン
由来
前史
栗ペーストとホイップクリームの菓子「モンブラン」Chestnut puree with cream(1871年。ユルバン・デュボワの料理本より)[11]
逆に下がホイップクリームの山で、その上に栗のペーストを細く絞ってかける構成は1874年のイギリスのレシピchestnut creamに見られる[18]。
「モンブラン」の名が明記されたレシピとしては1885年の料理本がある。栗の巣タイプである[19]。
1885年の投稿記事のアルザス地方料理torche aux marronsは栗のピュレの山の上にホイップクリームを載せるタイプだが[20]、同名で麺状の栗の巣タイプのレシピもある[21]。
1889年の料理本のmarrons Chantilly(マロン・シャンテリー)は栗の巣タイプだが麺状ではない。ホイップクリームを岩か山のように立てる[22]。1901年のアメリカのレシピmarrons a la chantillyでは栗を漉し器で絞る[23]。
1889年の雑誌に、過去60年間に流行ったデザートを挙げた随筆がある。それによれば、ある時パリのパティシエ(菓子職人)が「モンブラン」と称する、栗を潰したものにホイップクリームをたっぷりかけた菓子を一時流行らせたが、流行はあっという間に冷めたという[24]。
19世紀後半にはDessat以外の店も「モンブラン」という菓子を売っていた: 1876年パリ[25]、1889年パリ[26]、1891年頃サヴォワ県・シャンベリ[27]。