市旗市章
位置
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座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯4度3分 東経39度40分 / 南緯4.050度 東経39.667度 / -4.050; 39.667
モンバサ(Mombasa)は、アフリカ東部、ケニア共和国の海岸州に属するモンバサ・カウンティのモンバサ島と、その周辺に広がる都市である。2019年時点の人口は約120万人で、ケニア国内で第2位の人口を擁する。かつてはアラブ人との交易で栄えた地域で、イスラム教徒が多く住む。
歴史1888年のザンジバルとドイツ領東アフリカの地図。
ムスリム商人の活動が盛んになるにつれ、インド洋で行われていた交易において、拠点の港の1つとして栄えた。1331年には、この街をイブン・バットゥータも訪れた。1498年のバスコ・ダ・ガマ以来、デマルカシオンに基いてポルトガルが食指を伸ばした結果、現地勢力とポルトガルの抗争が続いた。結局、18世紀半ばには、アラビア半島南部で勢力を伸ばしていたオマーンが、ポルトガル勢力をモンバサから駆逐した。18世紀後半に、オマーン本土で内乱が起きた際には、土着化したオマーン人豪族マズルイ家がモンバサを支配下に収めて、モンバサ・スルタン国として独立した。しかし1828年にオマーンのスルタンのサイイド・サイードの攻撃に屈し、再びオマーン領となった。
ただ19世紀後半には、イギリスの支配下に置かれ、イギリス領東アフリカの重要な外港として機能した。また1896年よりウガンダに向かって鉄道の敷設が始まり、1901年にはビクトリア湖付近のキスムまで、1931年にはカンパラにまで開通した。内陸部との物流の拠点としても機能していった。
2002年11月にアル・カーイダの犯行と見られる、イスラエル人を狙ったホテル爆発事件が発生し、ケニア人が巻き込まれて13名が死亡した。同日にモイ国際空港ではイスラエル航空機へミサイルが発射されたものの、無事であった。
行政区画モンバサの行政区画詳細は「モンバサ (カウンティ)」を参照
キサウニ(英語版) (Kisauni)
チャンガムウェ(英語版) (Changamwe)
モンバサ島(英語版) (Mombasa Island)
リコニ(英語版) (Likoni)