モンティ・パイソン
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モンティ・パイソン
Monty Python
2014年撮影。左よりペイリン、ギリアム、ジョーンズ、アイドル、クリーズ
メンバーグレアム・チャップマン
ジョン・クリーズ
テリー・ギリアム
エリック・アイドル
テリー・ジョーンズ
マイケル・ペイリン
別名パイソンズ
結成年1969年
活動時期1969年 - 1983年
2013年 - 2014年
出身 イギリス
ケンブリッジ大学オックスフォード大学のコメディサークル
現在の活動状況2014年のライブをもって活動終了
芸種スケッチ・コメディー
風刺シュルレアリスムブラックコメディ
過去の代表番組『空飛ぶモンティ・パイソン
映画:
モンティ・パイソン・アンド・ナウ
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル
ライフ・オブ・ブライアン
人生狂騒曲
公式サイト ⇒Official website
受賞歴
1988年 英国アカデミー賞生涯功労賞
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モンティ・パイソン(Monty Python)は、イギリスを代表するコメディグループ。グレアム・チャップマンジョン・クリーズテリー・ギリアムエリック・アイドルテリー・ジョーンズマイケル・ペイリンの6人で構成される(ただし、ニール・イネスキャロル・クリーヴランドを「7人目のパイソン」と表現することもある)。明らかにモンティ・パイソンを話題にしている場合、単にパイソンズと言うこともある。

1969年から始まったBBCテレビ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で人気を博し、その後もライブ、映画、アルバム、書籍、舞台劇等で活躍の場を広げ、その爆発的なインパクトはメンバー個人をスターの座に押し上げた。そのスケッチとスケッチの境界線をなくした革新的な構成と完成度の高いスケッチの数々は、アメリカのコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』をはじめ様々なジャンルのポップ・カルチャーに大きな影響を与え、「コメディ界におけるビートルズ」と表現された。その不条理なスタイルは「Pythonesque」という造語で表され、『オックスフォード英語辞書』にも収録されている。

日本では1976年から、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、金曜日の22時台に『空飛ぶモンティ・パイソン』の吹替版が初放送された。プログラミング言語であるPythonの名前のもとになった。[1]
歴史
パイソン前

イングランドに生まれたグレアム・チャップマンジョン・クリーズエリック・アイドルマイケル・ペイリンウェールズに生まれたテリー・ジョーンズの5人は、幼いころに放送していたラジオコメディ番組『ザ・グーン・ショー』の大ファンであった。その徹底したナンセンスさは5人に衝撃を与え、のちのコメディ作りにも大きな影響を及ぼした。

ケンブリッジ大学のコメディーサークル「フットライツ」に同時期に入団していたチャップマンとクリーズ(当時の「フットライツ」には、のちの『ザ・グーディーズ』のメンバーであるティム・ブルック=テイラーなどその後大成するコメディアンが多数在籍していた)、2人の卒業後に「フットライツ」で活動したアイドル、そしてオックスフォード大学のコメディーサークル「オックスフォード・レビュー」で出会ったジョーンズとペイリンは、それぞれ舞台と台本の執筆に取り組みコメディの作り方を学んだ。その時点ですでにメンバーのほとんどは面識があり、テレビ番組『フロスト・レポート』にはギリアム以外のメンバー全員がクレジットされている。

パイソンズ結成を決定づけたのは、1967年にクリーズとチャップマンが、参加していたTVコメディ『アット・ラスト・ザ・1948ショー(At Last the 1948 Show)』を制作していたときのこと。アイドル、ジョーンズ、ペイリン、アニメーターとしてテリー・ギリアムが参加(加えて、ニール・イネスが所属するボンゾ・ドッグ・バンドも出演)していた子供向けTVコメディ『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット(Do Not Adjust Your Set)』が並行して放送されており、クリーズとチャップマンはその番組のファンになった。当時から有名であったクリーズはBBCから新しい番組枠への出演を促されており、他のメンバーに『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット』に出演していたペイリンに目をつけた。ペイリンは番組の他のメンバーと参加したいと答えて、6人のメンバーが構成されることとなった。
パイソンとしての活動
空飛ぶモンティ・パイソン

パイソンズは、自分たちの制作する番組についての明確な方向性を見出していた。彼らの一番革新的だった部分は、当時当たり前のように存在したスケッチのパンチライン(オチ)を排除して、ギリアムの切り絵アニメでつなぐことで、流れるような効果的な番組構成を作ったことにあった。これにより、スケッチ本来のもつ面白さをなくすことなく番組を作り上げることができた。この構成は、BBCでスパイク・ミリガンが作ったカルトコメディ番組『Q5』を参考にしている。

台本の執筆は、基本的にクリーズとチャップマン、ジョーンズとペイリンの2組のコンビと、一人で書くアイドルで構成されていた。彼らは書き上げたスケッチを製作会議で持ち寄って、お互いに読みあい、面白さを判定してスケッチを取捨選択していた。配役も自然に決められていた。そのスケッチの中には、差別的なものなど数々の危険な内容も含まれており、BBCとはたびたびぶつかる結果となった。番組は1969年10月5日から放送が開始された。深夜の放送であるにもかかわらず、番組には特定のファンもつくようになり、『空飛ぶモンティ・パイソン』は結果的に人気番組になった。番組内で演じられた「死んだオウム」、「ナッジ・ナッジ」、「木こりの歌」、「バカ歩き省」、「スペイン宗教裁判」、「スパム」、「チーズ・ショップ」などのスケッチは、現在でも広く知られている。

しかしジョン・クリーズは、第2シリーズの途中から番組の制作に飽きるようになり、第4シリーズにはついに参加しなかった。クリーズは「もはや番組が大量生産のソーセージ・マシンのようになっており、新鮮さが薄れていた」と語った。最終的に、『空飛ぶモンティ・パイソン』は1974年に第4シリーズで終了した。
映画
モンティ・パイソン・アンド・ナウ(1971年)
パイソンズ初の長編映画。テレビシリーズの第1、第2シリーズから選ばれたスケッチを再撮影して公開された。アメリカ進出のために制作されたが、結果的に成功はしなかった。
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(1974年)
初のオリジナル映画。アーサー王伝説をもとに制作された。監督はジョーンズとギリアムの二人であった。低予算ゆえの努力が随所に認められる。全国で大ヒットし、パイソンズの知名度を上げた。
ライフ・オブ・ブライアン(1979年)
『ホーリー・グレイル』に続いて制作された。監督はジョーンズが担当した。聖書をパロディ化した内容であったため、あちこちで論争を巻き起こし、公開禁止の地域も多数現れた。
モンティ・パイソン・ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル(1982年)
『人生狂騒曲』の準備中にハリウッド・ボウルで公演されたライブの映画化。
人生狂騒曲(1983年)
「人生」を主題にしたオムニバス。監督はジョーンズ。1989年にチャップマンが死去したため、これがパイソンズとしての最後の仕事となった。
パイソン後
ソロ活動の開始

『空飛ぶモンティ・パイソン』第4シリーズに参加しなかったクリーズは、『フォルティ・タワーズ』を制作。俳優としてマイペースに活動し、ヒットした映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら』ではペイリンと共演している。

ペイリンとジョーンズのコンビはテレビコメディシリーズ『リッピング・ヤーン』を制作した後、ジョーンズは監督、ペイリンは俳優の方へと進んでいった。

ギリアムは映画監督の道へ進み、パイソンの全メンバーが登場する『ジャバーウォッキー』で初の単独監督後、『バンデットQ』(クリーズとペイリンが出演)、『未来世紀ブラジル』(ペイリンが出演)、『バロン』(アイドルが出演)などで監督作の出演者にパイソンメンバーを起用している。

アイドルはニール・イネスらとビートルズのパロディ・バンドラトルズを結成する他、俳優としても活動する。
ポスト・パイソン作品

結成20周年のベストスケッチを集めたテレビスペシャル『ベスト・オブ・モンティ・パイソン』で6人集まったのを最後にチャップマンが死去し、パイソンズは解散状態になる。結成30周年のイベント『ライブ・アット・アスペン』などでたまに集まることはあるが、また新しく何かを制作する話は出てきては立ち消えになっていたらしい(『ホーリー・グレイル』の続編を作る案など)。ペイリンは「5人だけでも何かはできるかもしれないけれど、グレアムが欠けてるとそれはもうパイソンズとは言えないんだ」と語っていた。

最近の活動には、2002年に行われたジョージ・ハリスンの追悼コンサートである『コンサート・フォー・ジョージ』への参加[注 1]、アイドルが企画し2005年に初演された、『ホーリー・グレイル』を元にしたミュージカル『スパマロット』、パイソンズが自選したスケッチ集『モンティ・パイソン・パーソナル・ベスト』、2009年にテリー・ジョーンズの息子ビル・ジョーンズが制作した6部構成のドキュメンタリー番組『Monty Python : Almost the Truth (The Lawyer's Cut)』(日本版のDVDタイトルは『モンティ・パイソン・アンソロジー』)、アイドルが企画しロイヤル・アルバート・ホールで公演された40周年記念のコメディオペラ『ノット・ザ・メシア』などがある。

2011年6月には、チャップマンの自伝『A Liar's Autobiography: Volume VI』が映画化されることが発表された。それはチャップマンの回想録を元にしたアニメーション映画で、14のアニメ会社がそれぞれ違うスタイルで1パートずつ制作し、それをつなぎあわせた3D作品になる。アイドルを除く4人のメンバーが声優として制作に携わっており、チャップマン自身が生前に録音した肉声も使用される。2012年内にイギリスで公開された。また、日本でも邦題を『モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝』として公開された。

2012年1月には、ジョーンズの監督するSFコメディ映画『ミラクル・ニール!』において再びアイドルを除くパイソンズの面々が集合することが発表され、のち2014年2月にはアイドルの参加も決まった。パイソンズは素顔の出演ではなく、宇宙人の声を担当した。
モンティ・パイソン 復活ライブ!詳細は「モンティ・パイソン 復活ライブ!」を参照

2013年11月19日、モンティ・パイソンの再結成が正式に発表され、本国イギリスではトップ・ニュースとして報道された。パイソンズは2014年7月1日にロンドンO2アリーナで一夜限りのライブを行うことを予定したが、チケットが2013年11月25日の発売開始後43.5秒で完売し、新たに7月2日から5日までの4公演を追加した。しかしそのチケットもすぐに完売、さらに7月15日から20日までの公演が追加され、最終的に10回公演となった。最終日の様子はイギリス国内450館、世界1500館の映画館で中継上映された。ライブは『Monty Python Live (Mostly): One Down, Five to Go』と題され、メンバー全員が(チャップマンもあの世から)参加している。ワールドツアーなども検討されたが、メンバーの多忙により断念しており、おそらくこれがパイソンズ最後のライブとなることをペイリンが明かした。また、ライブに合わせ2014年5月にはベスト盤CD『Monty Python Sings』が6曲の新曲を加えて再発された。
メンバーの関係の変遷

パイソンズには『空飛ぶモンティ・パイソン』第2シリーズ以降から仲を深めたメンバー間の亀裂が生まれていた。特にクリーズとジョーンズは度々衝突し、短気なジョーンズはある日クリーズと口論になりタイプライターをクリーズの頭に投げつけ、大出血させてしまったこともあった。しかし近年二人の仲は比較的良好なものになり、互いにツイッターでフォローし合う仲にまでなっている。

一方アイドルは『空飛ぶモンティ・パイソン』の頃から一匹狼として知られ、脚本をほとんど一人で書いていた。一度チャップマンが一緒に書いたことがあるものの、アイドルは自身のアイデアに対する一切の干渉を嫌いたいへんやりづらかったとチャップマンの伝記で言及されている。キャロル・クリーヴランドも後年「他のメンバーは気さくだったがエリックだけは気難しく仕事がやりづらかった」と語っている。このアイドルの性格は解散以降も変わらず、自身が制作に関わった『スパマロット』ではクリーズが神の声役を行っていたが突然役を降板させ自分が代わりに役を担当したことからクリーズが激怒し、収益を独り占めしようとしているとして他のメンバーとの関係も急速に冷え込んでいる。クリーズは3番目の妻との間で取り決められた多額の慰謝料があり、アイドルはクリーズには慰謝料を払うだけのギャラを払ったのだからアンフェアではないと反論している[2]
メンバー右上から時計回りに、エリック・アイドル、テリー・ギリアム、マイケル・ペイリン、ジョン・クリーズテリー・ジョーンズ


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