モンツァ・サーキット
Autodromo Nazionale di Monza2018年の空撮より
所在地 イタリア, モンツァ[1]
標準時GMT +1(DST:UTC+2)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度37分14秒 東経9度17分22秒 / 北緯45.62056度 東経9.28944度 / 45.62056; 9.28944
モンツァ・サーキットは、イタリア北部の都市モンツァにあるサーキット。
正式名称は、アウトドローモ[注釈 1]・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ(伊: Autodromo Nazionale di Monza)。
自動車競技目的で建設されたサーキットとしては、世界で3番目に古い、歴史あるサーキットである。F1イタリアGPが行われる。 イタリアGPが初開催された翌年の1922年に完成したクラシックコース。イギリスのブルックランズ・サーキット(1907年、現在廃止)、アメリカのインディアナポリス・モーター・スピードウェイ(1911年)に続いて、世界で3番目に建設された本格的パーマネントサーキットである[5]。 1980年にイモラで開催された以外は、F1世界選手権が始まった1950年から現在まで毎年F1イタリアGPが開催されている。F1世界選手権の開催数は、世界のグランプリサーキットの中で最も多い。耐久レースでは、スポーツカー世界選手権のモンツァ1000km
概要
2輪でも、かつてはロードレース世界選手権イタリアGPの舞台となった。またスーパーバイク世界選手権も開催されていた。2011年イタリアGP終了後のピット前の光景
サーキットは広さ800ヘクタールという広大なモンツァ国立公園の森林の中にある。フェラーリの地元とあって、イタリアGPにはフェラーリファン(ティフォージ)が大挙押しかけ、情熱的な声援を送る。レース終了後にはグランドスタンドから観客が乱入して、コース上でフェラーリの社章(カヴァッリーノ・ランパンテ)の旗を広げる光景が名物となっている。
4本のロングストレートを3つのシケインと2箇所の複合コーナーで結んだ超高速コースであり、平均速度、最高速度共に現在F1が開催されるサーキットの中で最も速い。2003年にはミハエル・シューマッハがレース平均247.585km/hのF1最速記録で優勝している。周回平均速度はさらに速く、公式コースレコードは257.321km/hでこちらもF1最速である。そして最高速度は340km/hに達し、次点のスパ・フランコルシャンを10km/h以上上回る。2005年予選ではファン・パブロ・モントーヤが372.6km/h、決勝ではキミ・ライコネンが370.1km/hを記録している。
F1の場合、1周におけるアクセル全開率は83%に達し[6]、エンジンパワーが物をいう。空力面ではトップスピードを稼ぐため、モンツァ専用のドラッグの少ない薄く小さなウィングを装着する。その結果、シケインへのブレーキングやコーナリングではダウンフォースが不足するため、マシンの挙動が不安定になりやすい。シケインでは縁石を飛び越えるため、しなやかなサスペンションセッティングが要求される。
コースレイアウト
旧オーバルコース立体交差部分のバンクを通過するマシン(1925年)現在もサーキットに残されているオーバルコースのバンク
当初は5.5kmのロードコースと4.5kmのオーバルコースを組み合わせた全長10kmのコースだった。ホームストレートを境にふたつのコースが交互に入れ替わる形で、グランドスタンド側のホームストレートからロードコースを1周し、ピット側のホームストレートからオーバルコースに入る、という方式だった。ロードコースの中間付近(現在のアスカリシケイン手前)には、オーバルコースが頭上を跨ぐ立体交差がある。
安全性への懸念から1939年にオーバルの全面使用を止め、ロードコースにオーバル後半を組み合わせた全長6.3kmのレイアウトに改修された。
1955年にはオーバルのバンク外周部分の高さを10mに引き上げ、5.750kmのロードコースと4.250kmのオーバルを併用する複合コースに戻った[5]。F1イタリアGPではこのレイアウトを4回使用した(1955年,1956年,1960年,1961年)。