モンチェニージオ
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モンチェニージオ
Moncenisio

行政
イタリア
ピエモンテ
県/大都市 トリノ
CAP(郵便番号)10050
市外局番0122
ISTATコード001157
識別コードD553
分離集落
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 3A (sismicita bassa)
気候分類zona F, 4545 GG
公式サイト ⇒リンク
人口
人口32 [1] 人 (2020-01-01)
人口密度8 人/km2
文化
住民の呼称moncenisini o ferreresi
守護聖人聖ジョルジョ
(San Giorgio)
祝祭日4月最終日曜日
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度12分 東経06度59分 / 北緯45.200度 東経6.983度 / 45.200; 6.983座標: 北緯45度12分 東経06度59分 / 北緯45.200度 東経6.983度 / 45.200; 6.983
標高1461 (1175 - 1907) [2] m
面積3.98 [3] km2
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} モンチェニージオの位置

トリノ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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モンチェニージオ(イタリア語: Moncenisio)は、イタリア共和国ピエモンテ州トリノ県にある、人口約30人の基礎自治体コムーネ)。

モン・スニ峠(モンチェニージオ峠)南麓に位置する、フランスとの国境の村である。2012年1月1日現在のコムーネ人口は42人で、ペデジーナソンドリオ県)、モルテローネレッコ県)に次いでイタリアで3番目に少ない。
名称

この集落のもともとの名はフェッレーラ(Ferrera)で[4]、コムーネの名称は1940年の終わりまでフェッレーラ・チェニージオ(Ferrera Cenisio)であった[5]

1960年代の終わり、モンチェニージオ・ダムが建設された際に、コムーネの名はフェッレーラから現在のモンチェニージオに変更された[4]
地理
位置・広がり

トリノ県西部、ヴァル・ディ・スーザの支脈にあたるチェニスキア渓谷 (it:Val Cenischia) に位置するコムーネである。トリノからは70km離れている。

かつてはフェッレーラと呼ばれた集落は、アルプス越えの主要道路であったモン・スニ峠(モンチェニージオ峠)の南側、旧街道沿いに所在しており、チェニスキア川に沿って広がっている。コムーネには2つの自然の池がある。
隣接コムーネ

隣接するコムーネ、およびそれに相当する行政区画は以下の通り。FRで始まるものはフランス領で、FR-73はサヴォワ県に属する。

ノヴァレーザ - 南東

ヴェナーウス - 南

ヴァル=スニ(英語版) (ランスルブール=モン=スニ(英語版)) (FR-73) - 北西
ヴァル・ディ・スーザ地図。中央上部に示された大きな湖がモン・スニ(モンチェニージオ)湖である。傍らにモン・スニ峠越えの国道が赤線で示されている。白線は伊仏国境線。
歴史

フェッレーラをはじめとするチェニスキア渓谷の村々の歴史は、モン・スニ峠(モンチェニージオ峠)の歴史でもある。16世紀頃、モン・スニ峠の交通が増加すると、旅人に対する宿泊所や休憩所の提供、馬車の修理や蹄鉄や交換などといった、様々な仕事の需要が増大した[4]。1800年頃のフェッレーラ集落には300人ほどが暮らし、4軒の宿屋が営業しており、多くの村人が同行ガイドやポーター、荷馬の賃貸、御者などの形で峠越えの交通と結びついて暮らしていた[4]。また、牧畜業も営まれていた[4]

19世紀初頭、ナポレオンがモン・スニ峠越えの街道を改良して新道(現在の国道25号線 (it:Strada statale 25 del Moncenisio) )を建設すると、チェニスキア渓谷の村々は衰退する[4]。新道は集落内を通らず、またガイドやポーターの必要も少なくなったのである。当初は道路工事に従事していた人々であったが、牧畜業に回帰したり、あるいは村の外の標高の低い地域へと移り住んでいった[4]

1860年、サルデーニャ王国(翌年にイタリア王国となる)はサヴォワ地方をフランスに割譲したため、モン・スニ峠は国境となった。周辺地域では多くの要塞建設が進められた。1947年第二次世界大戦の講和条約であるパリ条約で、イタリアは峠の南東側の領域(集落を除くこのコムーネの大部分)をフランスに割譲した。

1960年代の終わり、フランスによってモン・スニ(モンチェニージオ)に巨大なダムが建設された際に、このコムーネの名はフェッレーラから現在のモンチェニージオに変更された[4]
脚注^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Total Resident Population on 1st January 2020 by sex and marital status” (英語). 2020年12月15日閲覧。
^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Tavola: Popolazione residente - Torino (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月29日閲覧。
^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Torino (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年3月29日閲覧。
^ a b c d e f g h “ ⇒Storia”. Comune di Moncenisio. 2014年4月24日閲覧。


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