モンゴル文字
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この項目では、ウイグル文字系統のモンゴル文字について説明しています。

チベット文字系統のモンゴル語表記については「パスパ文字」をご覧ください。

現代モンゴル語のキリル文字表記については「モンゴル語#キリル文字表記」をご覧ください。

.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(モンゴル文字)が含まれています(詳細)。

モンゴル文字

モンゴル文字による「モンゴル」
類型:アルファベット
言語:モンゴル語
エヴェンキ語
トゥバ語(歴史的)
発明者:タタ・トゥンガ
時期:1208年-現在
親の文字体系:原カナン文字

フェニキア文字

アラム文字

シリア文字

ソグド文字

ウイグル文字

モンゴル文字






子の文字体系:満洲文字
トド文字
ヴァギンターラー文字
Unicode範囲:U+1800-U+18AF
ISO 15924 コード:.mw-parser-output .monospaced{font-family:monospace,monospace}Mong
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。
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インノケンティウス4世宛のグユクの勅書の朱印。モンゴル語で「長生なる天の力に依りて。イエケ・モンゴル・ウルスの海(ダライ)のカンの勅…」とある


音素文字の歴史


青銅器時代中期-原シナイ
前19-15世紀

ウガリット 前15世紀


原カナン 前14世紀

フェニキア 前11世紀

古ヘブライ 前10世紀

サマリア 前6世紀


アラム 前9世紀

ブラーフミー 前6世紀
インド系

チベット 7世紀

クメール 7世紀

ジャワ 9世紀
他多数


ヘブライ 前3世紀

シリア 前2世紀

ナバテア 前2世紀

アラビア 4世紀

ペルシア 7世紀

ウルドゥ 11世紀

ターナ 18世紀



パフラヴィ 前2世紀

アヴェスタ 4世紀


ソグド

突厥 5世紀

ウイグル 8世紀

(契丹小字 10世紀)

(女真小字 12世紀)


モンゴル 13世紀

満洲 16世紀

シベ 20世紀


トド 17世紀

ワキンダラー 20世紀




ギリシア 前9世紀

エトルリア 前8世紀

ラテン 前7世紀

ルーン 2世紀

オガム 4世紀

ゴート 4世紀



コプト 300年

グルジア 4世紀

アルメニア 405年

グラゴル 862年

キリル 10世紀



イベリア 前6世紀


南アラビア 前9世紀

ゲエズ 前5–6世紀


メロエ 前3世紀
カナダ先住民 1840年
注音 1913年

モンゴル文字(モンゴルもじ、蒙古文字〔もうこもじ〕、: МонгопBбичиг, Mongγol bi?ig、モンゴル文字:.mw-parser-output .font-mong{font-family:"Menk Hawang Tig","Menk Qagan Tig","Menk Garqag Tig","Menk Har_a Tig","Menk Scnin Tig","Oyun Gurban Ulus Tig","Oyun Qagan Tig","Oyun Garqag Tig","Oyun Har_a Tig","Oyun Scnin Tig","Oyun Agula Tig","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian","Mongolian Universal White","Mongol Usug","Mongolian White","MongolianScript","Code2000","Menksoft Qagan"}.mw-parser-output .font-mong-mnc,.mw-parser-output .font-mong:lang(mnc-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(dta-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(sjo-Mong){font-family:"Abkai Xanyan","Abkai Xanyan LA","Abkai Xanyan VT","Abkai Xanyan XX","Abkai Xanyan SC","Abkai Buleku","Daicing White","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian","Mongolian Universal White"}??????
??????)は、13世紀ごろウイグル文字から派生した文字で、主にモンゴル語を表記する。フドゥム、胡都木とも。専ら縦書きされ、行は左から右へ綴られる(左縦書き)。

現在は主に中華人民共和国内モンゴル自治区で使われている[1] ほか、長らくキリル文字を使用していたモンゴル国では1994年以降義務教育化され、歴史と伝統・文化の象徴として書道[2]クラフトアートをはじめとした芸術作品に活用されている。
歴史

モンゴル文字は、ウイグル文字そのものでモンゴル語を筆写していた時期の古典的な「ウイグル式モンゴル文字」と、子音母音の文字の整備がより進んだ「現代モンゴル文字」の 2 種類に大別される。
モンゴル帝国時代の「モンゴル文字」

モンゴル部オノン川で発祥した時には元来文字を持たなかった[3]1204年チンギス・ハーンナイマン王国を攻略したとき、捕虜となったナイマンの宰相でウイグル人であったタタ・トゥンガ(塔塔統阿)という人物がチンギスの下問に答えて国璽と文字の効用を説いたことにより、モンゴルでも国事の遂行に印璽を使用するようになり、モンゴル人の子弟にウイグル文字を習わせた、とされている[4]1222年にチンギス・カンの宮廷を訪れた丘処機が長生の術についてチンギスに講じた内容を、ウイグル人の書記がウイグル文字で記録していたという記事が『長春真人西遊記』にある。チンギス、オゴデイグユクの時代に活躍したウイグル人書記官チンカイはナイマンケレイト攻略以前にチンギスの幕下で活動しており、ナイマン攻略前後からモンゴルはウイグル文字と接触し、その存在を意識していた可能性は高い。1246年に即位したグユクローマ教皇インノケンティウス4世に宛てたペルシア語による勅書がバチカンに現存するが、この書簡の書面にウイグル文字モンゴル語による銘文をもつ印璽が2か所捺されており、これが絶対年代が判明している最古のモンゴル語とモンゴル文字の資料となっている。(1226年頃にチンギス・カンの甥イェスンゲが射た遠矢の記録を記念したいわゆる「イェスンゲ紀功碑」が最古のモンゴル文字とされているが、記念碑の建立年代には異論もある)

モンゴル帝国および大元ウルスでモンゴル語の筆写に使用されていた、いわゆる「モンゴル文字」として知られている文字は、当時漢語では「畏兀児文字」、同時代のイルハン朝などで書かれたペルシア語資料でも khaṭṭ-i Uyghrī (ウイグルの文字)と称されており、飽くまでも「ウイグル文字」であって「モンゴル文字」とは呼ばれていなかった。モンゴル語の筆写にはウイグル文字がそのまま使用されていたため、正書法もウイグル文字そのものであった。このようにモンゴル語を筆写するために書かれた当時のウイグル文字を、敢えてウイグル語文書などのウイグル文字と区別するために「ウイグル式モンゴル文字」と称される場合もある。

なお、大元ウルスで「蒙古字」ないし「蒙古新字」と称されていたのは、チベット文字を基にチベット人僧侶パクパ(パスパ)がつくったパスパ文字である。

では満洲文字漢文と共に三体と呼ばれ、三体は公用文字として公文書には必ず用いられた。
モンゴル国における文字事情

なお、歴史上モンゴル語の表記には別系統の文字も数種類使用されている。ソビエト連邦の影響下に組み込まれたモンゴル人民共和国ではキリル文字による表記が一般化したが、新生モンゴル国が発足した頃からモンゴル文字の使用が見直されてきている。一時はキリル文字表記からモンゴル文字表記への全面的な切り替えが計画され小中学校での教育が始まったが、一般国民の間では歴史と伝統・文化の象徴と見なされてはいるものの、「モンゴル文字」イコール「話しことばとは無関係の文語」というイメージが定着してしまっている上、横書きができないという弱点を抱えていることもあって、いまだ完全な移行にいたっていない。ただ、モンゴル政府は、2025年から公文書でモンゴル文字とキリル文字を併用することを目指している。[5]
他の文字への派生

モンゴル文字を基にしてつくられた文字として、の時代にヌルハチがつくらせた満洲語満洲文字モンゴル諸語オイラト語を表記するために考案されたトド文字がある。
文字

UnicodeIPAモンゴル文字パスパ文字元朝秘史訳音漢字[6]ラテン文字転写[7]キリル文字
語頭語中語末
U+1820 (?)[a]阿(1-7-3)[8]aА語頭を除き、a,e は同形。aは男性語、eは女性語で使われる。子音b,pの後、または女性語の子音k,gの後の本母音の語末形は左にカーブする。
U+1821 (?)[e]額(1-4-2)eЭ
U+1822 (?)[i][9][10]亦(8-3-1)i, yiИ, Й, Ы, Ь対応する音声言語では、語中の他の母音の影響を受けて様々な母音が対応する。
U+1823 (?)[o]斡(1-20-1)、兀(1-11-3)oОo,uは同じ語形。先頭以外の音節ではoは起こらない。
U+1824 (?)[?]uУ
U+1825 (?)[?]斡(6-18-1)、兀(5-6-2)[11]o?o,uは同じ語形。先頭以外の音節ではoは起こらない。この字母は、uと i合字
U+1826 (?)[u]u?
U+1827 (?)?е?は借用語でのみ使用され、その字形は w と同じ。
U+1828 (?)[n][12][13]訥(1-2-3)(音節頭)、安(11-27-5)(音節末)nНnは母音の後では点が付くが、それ以外では a,e と同形。


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