モンゴル国の国際関係
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モンゴル国の国際関係(モンゴルこくのこくさいかんけい)は、近代以降に限っても、
中国」への組み込みを目指す清朝中華民国歴代政権との対峙(1908年?1946年

中国と対峙するのに必要な軍事経済支援をあおぐ代償としてのロシア帝国ソビエト連邦への従属(1908年?1990年

南モンゴルとの統合をめぐる試行錯誤(ボグド・ハーン政権の模索・モンゴル人民革命党の綱領・ヤルタ協定

全方位外交への道(建国初期の模索/ソ連一辺倒の時代/冷戦終結により訪れた春)

チベット仏教を背景としたチベットとの連帯と断絶、交流の再開

などの要素がある。
ロシア詳細は「露蒙関係」を参照

モンゴル人民共和国時代は、「ソ連の16番目の共和国」と呼ばれるほどソ連との関係が緊密であった。ソ連のインターコスモス計画に基づき、ソ連の宇宙船ソユーズにモンゴル人宇宙飛行士アジア人として2番目に乗り組んだこともあり、1942年キリル文字採用は言うに及ばず、現代生活のほとんどすべての面にわたってソ連及びロシアの習慣が普及している。民主化後のモンゴルの大統領モンゴルの首相も殆どがソ連に留学した経歴を持っている。

2018年9月に行われたロシア史上最大の軍事演習「ヴォストーク2018(英語版)」には中国とともに初参加し[1]、その際にロシアのセルゲイ・ショイグ国防相がモンゴルと中国を「同盟国」と呼んで注目され[2]、視察に訪れたロシアのウラジーミル・プーチン大統領も「我々は必要であれば同盟国を支援する」[3]と演説して中国人民解放軍兵士4名とモンゴル軍兵士2名に褒章のメダルを与えた[4]
中国「中蒙関係」および「台蒙関係」も参照

1949年10月16日に中華人民共和国とモンゴルは国交を樹立、1960年5月31日には中蒙友好相互援助条約を結んだ。中国はモンゴル政府の要請で中国人労働者を派遣してウランバートル平和橋(英語版)などを建設し[5]、中ソ蒙を縦断するモンゴル縦貫鉄道も完成するなど当初は友好的だったが、中ソ両大国のはざまに存在するモンゴルはソ連との親密な関係のために中ソ対立の期間、中国との激しい抗争を続けてきており、縦貫鉄道の線路も中国側が標準軌に改軌するほどだった。中ソ対立が沈静化しつつあった1988年11月には、両国の国境問題処理に関する条約が調印され、さらに中蒙領事条約が結ばれた。両国国民の居住や旅行などに関する同条約は、1987年1月に発効。1988年、夏季北京?ウランバートル間の定期便がモンゴル航空により運航されるようになった。

中国側が非難してきたモンゴル駐留ソ連軍の一部が、1987年4月に撤兵した。次いで1989年5月の中ソ首脳会談開催と同時に、5万数千人と推定されたソ連軍のモンゴルからの本格撤兵が始まり、1992年9月には全面撤兵した。こうして中蒙関係は急速に改善され、1990年5月にはポンサルマーギーン・オチルバト人民大会幹部会議長らが訪中。同年6月には、ウランバートルと中国・内モンゴル自治区フフホトとの間に、週1往復の直通国際列車が開設された。

1991年8月には中国の国家元首の初訪問として、楊尚昆国家主席が訪蒙、中蒙関係は更に強化された。1994年4月には李鵬中国首相としては34年ぶりに訪蒙し、ポンツァグ・ジャスライ(英語版)首相との会談で中蒙友好関係協力条約が調印された。しかし同年9月には、亡命中のチベット指導者ダライ・ラマ14世が1992年に次いで訪蒙するなど亀裂も残っている。1996年6月、モンゴルは中国、ロシアとの3カ国間で東西の国境を画定した。1999年7月には江沢民主席が訪蒙してナツァギーン・バガバンディ大統領と会談、善隣友好関係の確立に合意。2003年6月には胡錦濤主席が就任早々に訪蒙。モンゴルの最大の貿易相手国として経済技術協力協定を結んだ。

2005年にはモンゴルは上海協力機構の最初の準加盟国(オブザーバー)となった。

2009年が約3600万トン、が約1200?1300トンという埋蔵量が見込まれているオユトルゴイ鉱山カナダのアイヴァンホー・マインが将来の利益の「前渡金」として2億5000万米ドルをモンゴル政府に納付することを含めて開発に合意した。中国のチャイナルコも強い関心を示していたが、「モンゴル政府は根気強く中国を締め出した」とも伝えられている[6]

2010年のモンゴルにおける主要国資本企業数は、中国5303社、韓国1973社、ロシア769社、日本451社であるが、こうした「中国のブラックゴールドラッシュ」と呼ばれる急激な進出をモンゴル国民は歓迎しておらず、空前の反中ムードが高まっており[7]ツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領は、2011年10月BBCのインタビューを受け、資源の輸出先を「中国1国だけに依存する状態は望んでいない」と中国への依存度を高めることに警戒を示した[8]。「中国のブラックゴールドラッシュ」を避けるために、日本やアメリカのような西側諸国を「第3の隣国」として積極外交に乗り出そうとしており、同年10月28日には欧州安全保障協力機構への加盟申請を正式に提出した[8]。これについて中国紙は「モンゴルの脱亜入欧」と報じた[8]

2014年8月には中国の習近平主席が訪蒙、モンゴルでの会見では、モンゴルに資源を求めて進出を続ける中国への警戒感が強いことを受けて「モンゴルの領土完全性を尊重する」と表明した[9]

同年10月にはモンゴル政府が提出したタバントルゴイのUkhaa Khudagとオユトルゴイ鉱山中蒙国境のGashuun Sukhaitを標準軌で結ぶ全長240kmの鉄道建設を議会が可決した[10][11]2015年にはエルベグドルジ大統領は日本、アメリカ、ヨーロッパ諸国から懸念を招いた中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に出席してモンゴル軍を天安門広場で行進させた[12][13]


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