本記事では、モンゴル人の名前の原理について解説する。 モンゴル人は、基本的に氏(家族名、family name)をもたなかった。16世紀後半、アルタン・ハーンのチベット仏教入信を契機に、チベット語による命名の習慣が急速に普及・定着する。20世紀以降、モンゴル人の居住地域はソ連(現ロシア)領(ブリヤート、カルムイク)、独立国家のモンゴル人民共和国(現モンゴル国)、中国領(内蒙古、青海、新疆)など3カ国に分断、それぞれが独自に姓や、家族名の役割をはたす呼称についての習慣を確立していく。 個人名の全体または一部にチベット語を用いる習慣も、根強く残っている。 基本的に父の名を「家族名」の代用として使用する慣用が確立された。 婚外子、父が不明、事情があり父の名を用いたくない等の場合は母の名が使用される。 略称の場合は、父の名の頭文字を1字示し、続けて本人の名をフルネームで表記する。 中華人民共和国内の「モンゴル族」の命名原理としては、以下のような例がある。
苗字とオボク
モンゴル社会の近代化
モンゴル国(旧モンゴル人民共和国)のモンゴル人
基本的に父の名(状況によって母の名)を「家族名」の代用として使用する習慣が成立した。
ロシア(旧ソ連)領のモンゴル人
父の名を「家族名」とするのに加え、「父称」を用いるロシア(ソ連)式習慣を付加
中国領のモンゴル人
家族間では民族名を用いる一方、公的場面では中国姓・中国名を名乗るオボク(氏族名)+個人名をなのる
用例
モンゴル国における用例
元横綱朝青龍と兄弟
ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ(Долгорс?рэнгийн Дагвадорж; Dolgorsurengiin Dagvadorj)
ドルゴルスレンギーン・スミヤバザル(Долгорс?рэнгийн Сумьяабазар; Dolgorsurengiin Sumiyabazar)
ドルゴルスレンギーン・セルジブデ(Долгорс?рэнгийн Сэржб?дээ; Dolgorsurengiin Serjbudee)
この3兄弟の場合、「ドルゴルスレン(Долгорс?рэн)」が父の名、「-ギーン(-(г)ийн)」が所属を示す属格助辞
ペルジディーン・ゲンドゥン(モンゴル人民共和国初期の指導者、首相任1924-1937)
母の名「ペルジド」、「-ィーン(-ийн)」が属格助辞、本人固有の名「ゲンドゥン」
ホルローギーン・チョイバルサン(モンゴル人民共和国初期の指導者)
母の名「ホルロー」、「-ギーン(-(г)ийн)」が属格助辞、本人固有の名「チョイバルサン」
アナンディーン・アマル(モンゴル人民共和国初期の指導者、首相任1937-1939)
父の名「アナンダ」、「-ィーン(-ын)」が属格助辞、「アマル」が本人固有の名。
Д.Дагвадорж
Д.Сумьяабазар
Д.Сэржб?дээ
П.Гэндэн
Х.Чойбалсан
А.Амар
ロシア(旧ソ連)ブリヤート、カルムイクにおける例
ツェヴェーン・ジャムツァラノビッチ・ジャムツアラーノ(ブリヤート人)
ジャムサラン・ツェヴェーン(モンゴル語文献で、モンゴル式に表記された場合)「ツェヴェーン」が本人の固有名、父の名は「ジャムツァル(推定)」、「ジャムツァラノビッチ」が父称、ジャムツァラーノ
中国・内蒙古の例
家族内で用いる民族名を有するが、公式には中国姓+中国名を名乗る
オーノス・チョクト/楊海英(静岡大学人文学部教授)
オボク+本人固有の名
ボルジギン・ブレンサイン(滋賀県立大学人間文化学部准教授)
ボルジギン・デムチュクドンロブ(20世紀前半の南モンゴル〔内蒙古〕の政治家、独立運動の指導者。蒙古聯合自治政府の主席〔任1939年9月1日-1945年8月19日〕等を歴任)
本人固有の名
エンケトゥプシン(engketubsin,恩和図布新)(大相撲力士・蒼国来)