モンキー・パンチ
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モンキー・パンチ
2009年9月6日、京都府京都市にて
本名加藤 一彦
(かとう かずひこ)
生誕 (1937-05-26) 1937年5月26日
日本北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町
死没 (2019-04-11) 2019年4月11日(81歳没)
日本千葉県
国籍 日本
職業漫画家
称号修士東京工科大学2005年
活動期間1959年 - 2019年
ジャンル青年漫画
代表作『ルパン三世
『一宿一飯』
受賞インクポット賞
ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞
AMD Award功労賞
日本漫画家協会賞文部科学大臣賞
公式サイト ⇒モンキー・パンチ公式WEBサイト
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モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)[1]1937年昭和12年〉5月26日 - 2019年平成31年〉4月11日)は、日本漫画家東京工科大学大学院修士課程修了。

有限会社エム・ピー・スタジオ代表(初代)、デジタルマンガ協会会長(初代)、大手前大学人文科学部教授、大手前大学メディア・芸術学部教授、社団法人日本漫画家協会理事専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問などを歴任した。

筆名として加東 一彦(かとう かずひこ)、ムタ 永二(むた えいじ)、かとう・一彦(かとう かずひこ)といった名義を用いたこともある。
概要

ルパン三世』や『一宿一飯』をはじめとして、多数の青年漫画を手掛けた。漫画の制作にコンピュータを積極的に取り入れており、デジタルマンガ協会を設立すると、その初代会長に就任した。『ルパン三世』のみならず、『復讐屋』や『シンデレラボーイ』、『MUSASHI -GUN道-』などアニメ化された作品も数多い。アニメーション映画ルパン三世 DEAD OR ALIVE』では自ら監督に挑戦した。また、大手前大学にて人文科学部やメディア・芸術学部にて教授を務め、後進の育成にあたった。その他、東京工科大学のメディア学部客員教授として招かれるとともに、専門学校札幌マンガ・アニメ学院の顧問を務めた。また、日本漫画家協会では理事や参与を務めた。
来歴
生い立ち

北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町)出身。実家は漁師。学生時代は地元唯一の医師である道下俊一の元でレントゲンの助手などを行っており、漫画で患者を和ませていた。北海道霧多布高等学校を経て、東海大学専門学校電気科中退。

手塚治虫の漫画の影響を受けて[2]、漫画を描き始め、高校卒業後の1957年に上京、1959年から「加東一彦」のペンネームで貸本専門の出版社で執筆をしながら、弟の加藤輝彦と、もう一人の友人と同人活動を行っていた。

上京後、アメリカのパロディ雑誌『MAD』の影響を受け、アメコミ風に作風が変化する。それが『漫画ストーリー』(双葉社)の清水文人編集長の目に留まり、1966年に、「ムタ永二」のペンネームにて『プレイボーイ入門』(『漫画ストーリー』)で本格的なデビューを果たす。「マニア・ぐるうぷ」名義で、「摩周仙二」「霧多永二」などが参加しているようにみせていたが、実際はすべて加藤一人で手がけた。
漫画家として2009年9月6日、国際マンガサミットフェスタにて国際マンガサミット実行委員会委員長水島新司(左端)、マンガジャパン代表理事里中満智子(左から2人目)、環境大臣斉藤鉄夫(中央)、日本漫画家協会常務理事ちばてつや(右から2人目)と

1966年、清水編集長の命令でペンネームを「モンキー・パンチ」に改名する[2]。清水が新人に適当に付けた名前なので本人は気に入っておらず、1年ほどで変えるつもりだったが、この名義で翌年に発表した作品が大ヒットしてしまったので変えられなくなった。なお、清水がこの時期に新人に適当に付けた外国人風の名前にはバロン吉元ケン月影などがある。

1967年5月、バロン吉元やケン月影など『漫画ストーリー』の新人漫画家を中心として刊行された『増刊漫画ストーリー アクション特集号』の表紙絵に抜擢され、8月に清水を編集長として新たに創刊された青年向け週刊漫画雑誌『週刊漫画アクション』の表紙絵も引き続いて担当。また、『漫画アクション』8月10日創刊号より「ルブラン原作」表記で『ルパン三世』の連載を始める。これが現在も継続してアニメ化されるほどの大ヒットとなり、出世作にして代表作となった。

1980年代以降、サンディエゴ・コミックコンベンションにてインクポット賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞を受賞し、国内外から注目されている。

2003年4月、66歳にして、「きちんとした勉強をしないと、これ以上先に進めない」と考え、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に入学し、2005年3月に修了した。

2005年4月より、大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース教授(2007年4月より、メディア・芸術学部マンガ・アニメーション系)。


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