モレームのロベール
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モレームのロベール

他言語表記フランス語: Robert de Molesme
生誕1024年または1029年ごろ
フランスシャンパーニュ地方トロワ
死没1111年4月17日
モレーム
崇敬する教派カトリック教会
列聖日1222年
列聖決定者ホノリウス3世

モレームのロベール(フランス語: Robert de Molesme、1029年ごろ-1111年4月17日[1][2][3])あるいは聖ロベルトはカトリック教会に属する修道会シトー会の創設者の一人[4]列聖もされている[5]

本項では以降、適宜「ロベール」と記述する。
目次

1 生涯

2 評価

3 脚注

4 参考文献

5 外部リンク

生涯

1029年ごろフランス、シャンパーニュ地方の貴族の家系に生まれ、15歳で修道院へ入った[1][6]。1075年、万事に豪華なクリュニー会[7]に属していたロベールは、理想的な修道生活を送るためにモレームの森を開拓しモレーム修道院を設立する。この修道院は多くの寄進を受けるなどして発展したが、それゆえにロベールが求めた修道生活は困難となっていった[8]。ここで理想とした生活とは寄付や十分の一税を受けとらず、自ら行う労働と祈りの生活であった[9][10]。寄進を受けたら返礼として接待を行わなくてはならない[11]。このままでは理想的な修道生活は送れないとし、1098年にフランスブルゴーニュ地方ディジョン近郊にあった森シトー(現在のサン=ニコラ=レ=シトー)を開拓し、シトー会の原点を創設した[9]。当時は「新修道院」(ラテン語: Novum Monasterium[12])と呼ばれた、後のシトー修道院(英語版)である[2]。これは木造の小さな礼拝堂であった[13][14]

しかしロベールは翌年にはモレーム修道院へ戻ることになった[2][15]。わずか1年ほどで戻ってしまった理由としては以下の説がある。

モレーム修道院に残った修道士たちから教皇宛ての、ロベールをモレーム修道院に戻して欲しい、という要請により下された帰還命令[5]

ステファン・ハーディング(3代目シトー院長[16])らによる、ロベールには厳しさが足りないという反目[2]

ともあれ、厳しすぎる修道生活を嫌った数人の修道士も伴ってモレーム修道院へ戻る[11]と、以後はそこで過ごし、1111年にモレーム修道院長として死去した[2]。その葬儀は壮麗なものになったという[5]。なお、ロベールの設立した「新修道院」という名は1119年まで使われた[13]
評価

ロベールはその死後、西暦1222年に教皇ホノリウス3世により列聖された[5]


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