モリスビル
町
Town of Morrisville
標語: "三角形の中心"
ウェイク郡内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度49分39秒 西経78度49分44秒 / 北緯35.82750度 西経78.82889度 / 35.82750; -78.82889
モリスビル(英: Morrisville)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州のウェイク郡とダーラム郡に跨る町である[4]。ウェイク郡の方に大半が入っている[5]。人口は2万9630人(2020年)。
モリスビルはリサーチ・トライアングル都市圏に属している。この都市圏名称は1959年にリサーチ・トライアングル・パークが創設されたことから生まれた。州都ローリーとダーラム両市の中間にある。リサーチ・トライアングル都市圏は、アメリカ合衆国国勢調査局の定義するローリー・ダーラム・ケーリー広域都市圏に入っている。 モリスビルとなった地域は当初の1852年にジェレマイア・モリスにちなんでモリスと名付けられた。モリスはノースカロライナ鉄道の駅、給水塔、その他の建物のために土地を寄付した。鉄道に加えて、チャペルヒル、ローリー、ヒルズボロに通じる道路の交差点にあったことで、町は成長を続けた。 南北戦争の最終盤である1865年4月13日、モリスビルの戦いが起こり、北軍ジャドソン・キルパトリック将軍の指揮する騎兵隊がモリスビル駅で、撤退する南軍と小競り合いを演じた。南軍は残っていた物資と負傷兵を西のグリーンズボロに移動させることに成功したが、北軍ウィリアム・シャーマン将軍の騎兵隊が南軍に列車を残したまま、ダーラムに撤退するように仕向け、最後はベネットプレースで南軍最大の部隊が降伏することになった[6]。 モリスビルの歴史標識には、次のように書かれている。 モリスビル駅: 1865年4月16日、北軍ウィリアム・T・シャーマン将軍の騎兵隊がローリーを占領し、鉄道に沿って西に撤退する南軍を追撃した。ヒルズボロ鉄道に沿った地点で殿軍の小競り合いが起こり、戦闘はモリスビルに着くまで続いた。北軍は騎兵隊と砲兵隊を使って南軍の物資と負傷兵を積んだ貨車を攻撃した。南軍は撤退する前に騎兵隊が攻撃を受け止めて遅延工作を行い、負傷兵を積んだ貨車を逃がしたが、物資の方は放棄した。これはシャーマンの方面作戦では最後の騎兵戦となった。翌日夜、南軍指揮官ジョセフ・ジョンストン将軍の伝令が、休戦の提案を持って馬でモリスビルにあった北軍のキャンプに入った。その後のジョンストンとシャーマンの間で行われた交渉で、4月26日、ダーラムのベネット農園で、南北戦争では最大の南軍部隊降伏となった。 この歴史標識は、コミッショナーであるC・T・ムーアの記憶で書かれたとしている[7]。 町は1875年に正式に法人化されたが、1933年に法人を返上した。その後の1947年に認証され、法人格を回復した。 著名な画家のメイベル・ピュー(1891年-1986年)がモリスビルで生まれた[8]。
歴史