モリオリ人
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モリオリ人1910年のモリオリ人の家族
総人口
約700人
居住地域
チャタム諸島36人 (2013年国勢調査)[1]
北島354人 (2013年国勢調査)[1]
南島348人 (2013年国勢調査)[1]
言語
モリオリ語(英語版)、英語マオリ語
宗教
ラータナ(英語版)を含むキリスト教[1]
関連する民族
マオリポリネシア人
オーストロネシア人
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モリオリ人はニュージーランドの東に位置する列島チャタム諸島(モリオリ語(英語版)でR?kohu、マオリ語で Wharekauri)のポリネシア系先住民である。モリオリ人の起源は、1500年頃にニュージーランド本土からやってきたマオリの移住者である[2]。この頃、ニュージーランド本土では、古代から現代へとマオリの文化が移行していた[3][4] 。口頭伝承では、チャタム諸島への複数の移住の波が記録されている[5][6]。数世紀にわたって、これらの入植者の文化は本土のマオリから分岐し、独特の方言、神話、芸術的表現、生活様式を発展させた[7]

初期のモリオリ人は、東ポリネシアの社会慣習と組織に基づいて部族グループを形成した;その後、著名な平和主義の文化が出現した(ヌヌク=フェヌア(英語版)を参照)[8]。この文化によって、1830年代のマスケット銃戦争では、タラナキのマオリの侵略者たちは、彼らをほとんど絶滅させることができた[9]。現在、モリオリ人とされる人は約700人いるが、そのほとんどはチャタム諸島には住んでいない[10]

19世紀後半、ある著名な人類学者は、モリオリはマオリ以前のニュージーランド本土からの移住者であり、おそらく起源はメラネシア人であると提唱した[11]。この仮説は、学者の間で支持を得られなくなって久しく後も、20世紀を通じてニュージーランドの学校で教えられていた[12][13][14]
歴史
起源

モリオリ人はポリネシア人ではあるが、太平洋のポリネシア人とは異なる文化を有している。彼らは現地の状況に適応しながら、チャタム諸島で独特のモリオリ文化を発展させた。かつては、赤道付近のポリネシアの島々から直接チャタム諸島に移住してきたと考えられていた。現在ではニュージーランドの南島南部から1500年ごろに移住してきたマオリが起源であるという考えが主流となっている[15][16][17][18]

この説の根拠としては、モリオリ語が南島のンガーイ・タフ(英語版)の話すマオリの方言と類似していることや、モリオリ (hokopapa) とマオリ (whakapapa) の系図の比較が上げられる。南太平洋に卓越風のパターンがあることから、チャタム諸島はポリネシアの発見と入植が行われていた時期に、太平洋で最後に居住が進んだ地域であるとの推測が強まっている[15]。Moriori という語は、ポリネシア祖語の *ma(a)qoli に由来し、「本物」という意味に再構されている。マオリ語の M?ori[19]同根であり、「(普通の)人々」という意味も持っていた可能性が高い。
現地の条件への適応木や岩に彫られたモリオリ人の意匠。

チャタム諸島は、最初の入植者たちが出発した土地よりも寒く、快適さに欠けており、資源は豊富ではあるが、もともとの土地とは大きく異なっていた。チャタム諸島はポリネシア人が知るほとんどの作物の栽培に不向きであり農業ができないため、モリオリ人は狩猟採集の生活様式を採用した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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