モモ
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この項目では、植物の「桃」について説明しています。その他の用法については「モモ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

モモ
モモ
分類APG III[注釈 1]

階級なし:被子植物[2] angiosperms[3]

真正双子葉類 [4] eudicots[3]

中核真正双子葉類 [5] core eudicots[3]

バラ類 rosids[3]

マメ群 [6] fabids[3]
:バラ目 Rosales[7]
:バラ科 Rosaceae[7]
亜科:モモ亜科 Amygdaloideae[8]
:スモモ属[9] Prunus
:モモ P. persica

学名
Prunus persica (L.) Batsch (1801)[10]
シノニム


Amygdalus persica L. (1753)[11]

和名
モモ
英名
Peach

モモ(桃、学名: Prunus persica)はバラ科[7]スモモ属[9]落葉低木から小高木。また、その果実のこと。

中国原産[12]。食用・観賞用として世界各地で品種改良されて栽培される。には五または多重弁のを咲かせ、には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。未成熟な果実や種子にはアミグダリンという青酸配糖体が含まれる。観賞用はハナモモという。中国では邪鬼を払う力があるとされた。
名称

モモの語源には諸説あり、「真実(まみ)」より転じたとする説、実の色から「燃実(もえみ)」より転じたとする説、多くの実をつけることから「百(もも)」とする説などがある。漢字の「桃」は木偏に兆(きざし)と書かれるが、古い桃の品種は核(種子)が簡単に割れたので、2つに割れることはめでたい兆しとされ、「桃」の字が作られたとされる[13]

英名ピーチ(Peach)は“ペルシア”が語源で、ラテン語の persicum malum(ペルシアの林檎)から来ている。学名の種小名 persica(ペルシアの)も同様の理由による。
形態・生態

落葉広葉樹低木[14]から小高木[13]。樹高は5メートル (m) ほどになる[15]互生[13]、花よりやや遅れて茂る[15]。幅5センチメートル、長さ15センチメートル程度の細長い形で、葉縁は粗い鋸歯状。

花期は3月から4月上旬ごろで、薄桃色の花をつける[13]。淡い紅色であるものが多いが、白色から濃紅色まで様々な色のものがある。5弁または多重弁で、多くの雄しべを持つ。花柄は非常に短く、枝に直接着生しているように見える[13]

果期は7月から8月で、球形で縦に割れているような筋が1本あるのが特徴的。果実は赤みがかった白色の薄い皮に包まれている。皮の表面には毛茸(もうじ)が生えている。果肉は水分を多く含んで柔らかい。水分や糖分、カリウムなどを多く含んでいる。



袋掛けされた実

モモ畑

花が満開のモモ畑

花 白色

花の例 淡紅色

花の例 紅色

歴史

原産地は中国からペルシア(現在のイラン)、アフガニスタンなどに渡る地域とされる[16]ヨーロッパ(欧州)へは紀元前にシルクロードを通り、ペルシア経由で紀元前後ごろに伝わった[17]。アメリカ大陸へは、16世紀ごろにスペイン人やポルトガル人によって持ち込まれ、そこから南北アメリカへと広まった[17]。日本へは縄文時代から食べられていたと考えられ[12]、相当古い時代に中国から渡来したものと見られている[13]

中国では裴李崗文化(約7500年前)において、モモの出土が確認されている[18]。日本では長崎県多良見町にある伊木力遺跡[19][20]から、縄文時代前期(約6000年前)の日本最古となる桃核が出土しており、これが日本最古とされている[18]弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来し桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。桃は食用のほか祭祀用途にも用いられ、斎串など祭祀遺物と伴出することもある。平安時代 - 鎌倉時代には日常的な食材となり「菓子」として珍重されていたが、当時はスモモ程度の大きさで明治時代以降のモモとは異なる果実と考えられており[21]、それほど甘くなく主に薬用・花の観賞用として用いられていたとする説もある[16]江戸時代にさらに広まり、『和漢三才図会』では「山城伏見、備前岡山、備後、紀州」が産地として挙げられるほか、諸藩の『産物帳』にはモモの品種数がカキ、ナシに次いで多く、特に陸奥国と尾張国に多いと記されるほど、全国で用いられるに至った[22]

明治時代の中頃には、甘味の強い水蜜桃系(品種名:上海水蜜桃など)が輸入され、食用として広まった[16]。1875年(明治8年)、(中国)を調査していた内務省の武田昌次と岡毅、通訳の衣笠豪谷は、日本へ帰国時に多くの種苗を持ち帰ったが、その中に上海種と天津種の水蜜桃があった[21]


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