モモちゃんとアカネちゃんの本
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この項目では、「モモちゃんとアカネちゃん」並びにその前日・後日談のシリーズについて説明しています。

「モモちゃんとあかね」については「椋鳩十#著作」をご覧ください。

『モモちゃんとアカネちゃんの本』(モモちゃんとアカネちゃんのほん)は、松谷みよ子による日本児童文学作品。オリジナルは講談社から発行されている。

本記事ではシリーズ全6巻を便宜上「オリジナルシリーズ」、表題作を記述すると冗長な場合は1巻、2巻…と記す。また『ちいさいモモちゃんのえほん』など他の関連書籍についても解説する。
概要

両親と幼い女の子(モモちゃん)の一家に、擬人化された食べ物や動物がさりげなくやってくるファンタジー作品で、『龍の子太郎』『オバケちゃん』『怪談レストラン』と並ぶ、松谷の代表作。

登場する家族4人は松谷の家庭がモデルで、話を作るきっかけも当時4歳の長女(モモちゃんのモデル)に「自分が赤ちゃんだった頃の話をして」とせがまれた事による。オリジナルシリーズの構成・デザインは元夫の瀬川拓男(パパのモデル)。細かいエピソードや言及の中にも、実在した小さな出来事がオマージュとされているものが多数ある。

松谷の所属していた童話執筆サークル、びわの実会代表の坪田譲治は「この作品を手放してはいけない。ずっと書きなさい」とアドバイスしてくれたという。シリーズが続くにつれ離婚という大きな伏線を通して、「ママ」を中心とする家族の苦悩も描かれる。太平洋戦争下の惨禍を体感した世代ゆえか、反戦メッセージを感じる話も何本かある。
掲載

初出は「母の友1960年(昭和36年)10月発行号(通巻97号)(福音館書店)に載った「3つになったモモ」で、翌年の童心社の『ね、おはなしよんで』を経て、味の素株式会社の「奥さま手帖」」に『ちいちゃなモモちゃん』が1年間連載され、これを再編した単行本『ちいさいモモちゃん』が講談社から1964年(昭和39年)刊行された[1]。完結まで、単行本1?6巻で32年という歳月をかけており、作者は「大河童話」と呼んでいる。
挿絵・図柄

挿絵初代担当の菊池貞雄
は1巻が挿絵デビュー作だったが、4巻発行直後の1982年に夭折したため、5巻からは伊勢英子が担当。菊池より漫画的でラフなタッチの伊勢の絵は、特に菊池には似せてはいないが、同じペン画のため違和感はない。

1巻の挿絵は4巻発行時のリニューアルの際に菊池本人が新たに描いているため、モモちゃんの本@巻とモモちゃんとアカネちゃんの本@巻では挿絵が違う。

オリジナル版はカバーを外した表紙にも、挿絵と同じペン画が掲載されている。これは本文中挿絵の採録でなく、ボツとなった挿絵の再利用で、本文中と比較することで違いが判る。

もう一つの特徴は、表紙と本文中のフルカラー挿絵に人形が使われている事で、児童文学では比較的珍しいスタイルと言える(ただし5巻から人形は表紙のみで、フルカラー挿絵は伊勢の絵)。人形やジオラマの製作は、松谷夫妻が運営していた劇団「太郎座」のスタッフによる。全6巻がシリーズ化された時は、初版刊行時と異なる人形・小道具で、極力同じ構図から新たに撮影しなおしている。なお講談社青い鳥文庫などオリジナルシリーズ以外で版を変えて出した場合、人形写真は省略されている。

登場人物
モモちゃん一家
ママ
シリーズを一貫しての主人公。職業は
文筆業。アカネちゃんの出産後は通勤をやめ、在宅勤務になった。手術歴がある(松谷が結核による肺区域切除手術をした経験から)。北半球の大きな国から「働くお母さんの会議」に出席を要請され、友人と出かけたことがある(瀬川のモスクワ国際映画祭審査員行きに同行した話のオマージュ)。「森のおばあさん」(「絵本を書いてとママにおねだりした話」でも当時の話を再現)で「お前の亭主(パパ)は歩く木だ。二人一緒だと枯れてしまう」とアドバイスされ、「さよなら」でパパはママから持ちかけた離婚話に同意。二人の娘はママが、これまでの家はパパが引き取る。以後「引越し」と書かれた表現はすべて、ママと娘の転居を指す。
モモ
シリーズ前半では主役としての位置づけが多い。1巻冒頭で夏に生まれる。「雨のふるばんのこと」によると、生まれた当時の家は平屋で、上の階に増築を重ねたとママが説明している(自宅が劇団を兼ねていた)。育児施設「あかちゃんのうち」は、松谷親子が1歳から実際に預けていた施設がモデルで、当時はそうした施設が少なく、批判もあったという。二年生になってからは髪を一本しばり、みつ編みやポニーテールにしている。小学校半ばではバレエを習い、発表会もこなしたことがあるが、踊り好きはアカネちゃんにも遺伝したと説明されている。忘れ物で一等賞になったことがある。「プーがはがきをもらったこと」では、本名がモモでなくモモコ(漢字表記不明)であると語っている。由来はママが桃の花を好きなこと、パパが幼稚園でモモコ先生につきっきりだったことから。
アカネ
「ぽんぽのあかちゃん」で妊娠を公表、「雨のふるばんのこと」で生まれた、モモちゃんの6年下の妹。その時に見た夢に茜色の光が登場したのでアカネと命名。175日目に姉とプーの教えで寝返りができるようになる。3巻後半で体調が悪く入院。物心ついた時からパパがいない事を意識しはじめる。引越し先ではある程度成長すると、姉妹で二段ベッドとなった。姉と比べ舌がまわらず、幼い頃は「がんばれ」を「ばんがれ」と言ってしまい、姉が矯正しようとしたがうまく行かなかった。「頭をあらったアカネちゃん」までは、一人で頭が洗えなかった。シリーズ名が『モモちゃん』でありながら、後半では姉よりが活躍が多い。
パパ
ママ同様に文筆業で、絵も描く。本編では『モモちゃんとプー』以外はあまり登場せず、忙しい仕事から帰ってくるだけの演出が多い。離婚後はオオカミになってアカネちゃんの所に出てきたことがあるが(松谷の次女の例え表現がきっかけ)、着ぐるみのようにすっぽり脱げる。後述の死神の影響もあって徐々に体調をくずし、「モモちゃんのなみだの海」で死亡。「アカネちゃんの赤いシャベル」は葬式の話である。
一家の同居人
プー
。「クーがプーに なったわけ」によると、他の家で飼われていたが捨てられたため、まるでセールストークのように自分を売込み、一家で飼われることになった。名前は当初ママが真っ黒け・熊・食いしん坊からクーと命名したが、モモちゃんがプーと発声したためプーになった。幼い頃の娘の先輩ないし相棒として、家族内のムードメーカー・バイプレーヤーとして、ほぼ全編で安定した活躍を見せる。娘を追ってあかちゃんのうちや小学校に同行した事もある。好物は金魚が泳いでいる水、つまり「きんぎょ水(すい)」。顔を洗うという猫ではおなじみの天気予報は、モモちゃんいわく「テレビより当たる」。「プーご入院」では猫同士の喧嘩でケガをして入院。パパの葬式の時は「穴を掘ったらおしっこをしたくなる」という理由で同行させてもらえなかった。伊勢の絵では猫としてのデッサンがリアルになっており、カバーを外した背表紙のプーの絵も、5巻から伊勢の絵に差し替えられている。
タッタ、タァタ
アカネちゃんのためママが編んだ双子の靴下。出産前からこの編み物に関する会話をしていたので、アカネちゃんは胎内でもうその存在を知っていた。以後アカネちゃんの仲間かつ部下として、アカネちゃんから離脱して動き回るなど大活躍。チョウに縁があり、チョウを招き入れるエピソードがよく登場、チョウに変身したこともある。4巻のラストでママがアカネちゃんの同意を得ないまま、近所のサチコちゃんに譲ってしまう。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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