モハメド・アリ
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この項目では、アメリカ合衆国のボクサーのモハメド・アリについて説明しています。同名の人物については「ムハンマド・アリー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「カシアス・クレイ」はこの項目へ転送されています。その他の同名人物については「カシアス・マーセラス・クレイ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。

ムハマド・アリ

モハメッド・アリ

モハメド・アリ
Muhammad Ali1967年
基本情報
本名カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay Jr.)[1]
通称ザ・グレイティスト(The Greatest、史上最高)
ザ・チャンプ[2]
(The Champ、王者)
ザ・ピープルズ・チャンピオン
(The People's Champion、民衆の王者・皆の王者)
ザ・ルイビル・リップ
(The Louisville Lip、ルイビルのビッグマウス)
階級ヘビー級
身長191cm
リーチ198cm
国籍 アメリカ合衆国
バングラデシュ[3]
誕生日1942年1月17日
出身地 アメリカ合衆国
ケンタッキー州ルイビル
死没日 (2016-06-03) 2016年6月3日(74歳没)
死没地 アメリカ合衆国
アリゾナ州スコッツデール
家族レイラ・アリ(娘)
ニコ・アリ・ウォルシュ(孫)
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数61
勝ち56
KO勝ち37
敗け5
テンプレートを表示

獲得メダル
アメリカ合衆国
男子 ボクシング
オリンピック
1960 ローマライトヘビー級
全米ゴールデングローブ
金1959 シカゴライトヘビー級
金1960 ニューヨークヘビー級
シカゴ・ゴールデングローブ
金1959 シカゴライトヘビー級
金1960 シカゴライトヘビー級
全米選手権
金1959 トレドライトヘビー級
金1960 トレドライトヘビー級
アリのサイン

モハメド・アリ(Muhammad Ali、英語発音: [mu?h?m?d ???li?]1942年1月17日 - 2016年6月3日)は、アメリカ合衆国の元プロボクサーアクティビストケンタッキー州ルイビル出身。元WBAWBC世界ヘビー級統一王者[注釈 1]ローマオリンピックライトヘビー級金メダリスト。出生名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay Jr.)[1]
概要1966年

イスラム教改宗前の本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay Jr. 英語発音: [?kas??s m?r?s?l?s kle?])。1964年にネーション・オブ・イスラムへの加入を機に、リングネームをカシアス・クレイからカシアス・X、次いでモハメド・アリに改めた(モハメッド・アリ、ムハマド・アリという日本語表記もある[4][5])。

1960年、18歳の時にローマオリンピックライトヘビー級金メダルを獲得[4]。その後プロに転向し、1964年には当時「史上最強のハードパンチャー」と称されたソニー・リストンを相手に大番狂わせを演じ、22歳でWBAWBC世界ヘビー級統一王座を獲得した。ジョージ・フォアマンザイールで対戦し、8Rでの一発大逆転を演じたタイトルマッチ(キンシャサの奇跡)や、ジョー・フレージャーとの3度にわたる死闘など、ボクシング史上に残る数々の名勝負を行っている。最終的には、ヘビー級史上初となる通算3度の王座獲得成功[6]と19度の王座防衛に輝いた。「歴史上最も偉大なアスリート」のランキングにおいてトップにランクされることが多く「20世紀で最も偉大なスポーツ選手」とも称される[7][8][9]

黒人解放運動指導者マルコム・Xと出会いその思想に共鳴し、イスラム教に改宗。1960年に勃発し、後にアメリカが本格参戦したベトナム戦争への徴兵を拒否したことにより米国政府と長期にわたって争ったが、最終的には無罪を勝ち取ったことでも知られる(ベトナム反戦活動を参照)。アリの反戦活動は当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、アリは無敗のままWBAWBC世界ヘビー級統一王座とボクシング・ライセンスを剥奪され、3年7か月間のブランクを作ったが、復帰後、実力で王座奪還を果たした。また、反戦活動と同時に露骨な黒人差別を温存するアメリカ社会に批判的な言動を繰り返した。その後、反戦活動や公民権運動などへの貢献が称えられドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を受賞するなど、アリは「平和主義を象徴する人物の1人」となった[10]マハトマ・ガンディーマーティン・ルーサー・キング・ジュニアとともに壁画に描かれるアリ(ドイツミュンヘンにて)

ボクサーの他に、アクティビストセックスシンボル、そしてポップカルチャーのアイコンとして、アリは書籍映画音楽ゲームテレビ番組などを含む数多くのジャンルで取り上げられてきた。また、アリは「世界で最も有名な人物」と呼ばれることも多く、1974年から1980年にかけて、アリの1試合の視聴者数は推定10億から20億人を記録し、1996年のアトランタオリンピックでアリが聖火台に点火したシーンは世界中で推定35億人の視聴者数を記録した[11]テレビ視聴件数を参照)。

引退から3年が経った42歳のとき、現役時代に受けた頭部へのダメージが原因とされるパーキンソン病と診断され闘病生活を送っており[12]2016年6月3日に74歳で死去した。死因は敗血症ショック[13][14]

弟のラーマン・アリ(英語版)、娘のレイラ・アリも元プロボクサーであり、レイラはWBC世界女子スーパーミドル級の初代王者となり、ジョー・フレージャーの娘であるジャッキー・フレージャー・ライドと2001年に対戦している。総合格闘家のケビン・ケーシー(英語版)は義理の息子[15]。また、孫にプロボクサーのニコ・アリ・ウォルシュ、総合格闘家のビアッジョ・アリ・ウォルシュ、父方の祖先にアーチャー・アレクサンダー(英語版)(1815-1880)がいる[16][17]
人物
ファイトスタイル

大男の力任せな殴り合いだったパワー偏重のヘビー級ボクシングにおいて、アリはリング上を縦横無尽に絶え間なく旋回する「ダンシング」と形容される華麗なフットワークと、両手を低く構え予想外の角度から放たれる鋭い左ジャブを活用する型破りなアウトボクシングを持ち込んだ。また、アリは決してハードパンチャーではなかったが、相手のジャブにカウンターの右ストレート合わせる離れ業や、ブライアン・ロンドンとの試合で見せた2.8秒の間に12発のパンチを放つ驚異的なスピード、並外れた反射神経と動体視力を駆使し相手のパンチをノーガードで交わすディフェンス技術を持っていた[18]マイク・タイソンが出現した現代においてもなお、ヘビー級史上最速と評価される(アリを尊敬しているタイソン自身がアリとの比較で「アリは私には速すぎる」と語っている)。タイソンの共同マネージャーだったジミー・ジェイコブスは、シンクロナイザーを用いて全盛期のアリと、パウンド・フォー・パウンド史上最高のボクサーと称されたシュガー・レイ・ロビンソンのパンチ速度を測定したところ、アリの方が50ポンド(22.6kg)体重が重かったのにもかかわらず、アリのパンチはロビンソンのパンチよりも25%速く、アリのパンチは約1000ポンド(453.5kg)の威力を生み出していたという[19]。全盛期のアリと対戦したジョージ・シュバロは「彼はとにかく速かった。彼がパンチの射程距離に入った時には、もう既に彼が先にパンチを打ち始めていた。だから、もし君がパンチを当てるために彼が射程距離に入るのを待っていたら、君は殴られ続けることになるだろう」と語っている[20]。映画『ALI アリ』でアリ役を演じたウィル・スミスのトレーナーを務めたダレル・フォスターは「アリの特徴的なパンチは左ジャブと右オーバーハンドだった。また、アリは少なくとも6つの種類のジャブを使い分けていた」と語っている[21]。蝶のように舞い、蜂のように刺す(Float like a Butterfly, Sting like a Bee)[22]という著名なフレーズは、アリのトレーナーのドリュー・バンディーニ・ブラウン(英語版)がアリのフットワークとパンチを形容したもので、試合前によく肩を組んで「蝶のように舞い、蜂のように刺す!」と一緒に叫ぶパフォーマンスを見せていた。キャリア後期になりスピードとフットワークが衰えると、アリは試合中に自らロープにもたれかかり(ロープの弾力を利用し相手のパンチの衝撃を和らげるため)両腕でガードを固め、相手のパンチを腕でブロックしながら、時にリング外にのけぞるようにスウェーしてパンチを回避し、相手が攻め疲れたところを反撃するクレバーな戦法を取るようになり、これは後に『ロープ・ア・ドープ(英語版)』として定着した。ボクシング審判員のアーサー・メルカンテ(英語版)は、キャリア晩年のアリについて「アリは全ての技術を知っていた。特にクリンチの技術は私が見た中で最高だった。彼はクリンチを体力回復の為に用いただけでなく、身体の大きさを活かして相手に寄りかかり、押したり引っ張ったりして相手に休む暇を与えず、着実に体力を奪っていた」「彼はとても賢かった。


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