モハメド・アブドゥライ・モハメド
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モハメド・アブドゥライ・モハメド
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2020年7月22日撮影
ソマリア連邦共和国
第9代 大統領
任期2017年2月8日 – 2022年5月23日
首相オマル・アブディラシド・アリ・シルマルケ
ハッサン・アリ・カイレ
マフディ・モハメド・グライド(代行)
モハメド・フセイン・ローブル
ソマリア
首相
任期2010年10月31日 – 2011年6月19日
元首シェイク・シャリフ・シェイク・アフマド

出生1962年(61 - 62歳)
ソマリアモガディシュ
政党タヨ党(英語版)
出身校ニューヨーク州立大学

モハメド・アブドゥライ・モハメド(英語: Mohamed Abdullahi Mohamed、ソマリ語: Maxamed Cabdulaahi Maxamed、アラビア語: ???? ??? ???? ????‎、1962年 - )は、ソマリア外交官政治家。2017年から2022年まで同国大統領を務めた[1]。本来の任期は2021年2月からさらに2年間延長されたが、批判に抗しきれず自ら撤回した(後述)。同国首相などを歴任した。ソマリ族出身で、アメリカとソマリアの国籍を持つ[2]

通称ファルマージョ(Farmajo)。通称の使用はソマリ族によくみられる習慣で、ファルマージョはイタリア語のformaggio(チーズ)を意味する。この通称は、彼が父譲りのチーズ好きだったことから付けられた[2]
経歴
ソマリア首相就任まで

1962年5月5日、ソマリアモガディシュ生まれ[3]ゲド地域育ち[4]。出身氏族はダロッドのマレハン(英語版)[5][4]。モハメドの両親は、当時の与党ソマリ青年同盟の党員で、1970年代、モハメドの父は運輸省で働いていた[6]

モハメドはソマリアの全寮制学校で学んだ[6]。その後はアメリカ合衆国に移住。1985年から1988年にかけてワシントンD.C.にあるソマリア大使館にて[7]財務の業務を行った[8]

その後、1989年から1993年にかけてニューヨーク州エリー郡バッファローニューヨーク州立大学(SUNY)のバッファロー校において歴史学の学士を取得[9][10]

1994年、バッファローの住宅コミッショナーに選ばれ、1994年から1997年まで勤務[9]、財政議長も務めた[3]

1995年から1999年、バッファロー市鉛削減プログラムの事例管理員。その後は2000年から2002年、エリー郡雇用機会均等部門の少数民族就職支援担当、2002年からソマリアに戻るまで、アメリカ合衆国運輸省の市民権管理者[9]など、人権機関にて働いた[11]

2009年に同大学で政治学修士号を取得。修士論文の題は「アメリカ合衆国のソマリアへの戦略的関心:冷戦時代から対テロ戦争まで」[10]。その後、SUNYの一部であるエリー・コミュニティ大学においてリーダーシップスキルと紛争解決を教えている[9]
首相

2010年10月14日(48歳)、シェイク・シャリフ・シェイク・アフマド大統領より首相に指名され[3][8]、10月31日に議会に392票中、賛成297、反対92、棄権3で承認された[12]

11月12日に組閣。閣僚を39名から18名に大幅に削減し、前内閣からの留任は財政長官と通商工業長官の2名だけとした[13]。政府寄りの軍閥アル・スンナ・ワル・ジャマーに内務長官、労働長官という重職を与えた[13]。この内閣の議会承認にはやや時間がかかり、11月27日に343票中、賛成251、反対92で承認された[14]

就任後50日で、兵士に給与を支給。また、閣僚の資産公開法の承認、政府の腐敗防止委員会設立、公務員の不必要な海外出張禁止、閣僚の旅行を首相の承認制とするなどの改革を実施[15][2]


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