もと ふゆき
モト 冬樹
本名武東 裕男
(むとう ひろお)
別名義武東 冬樹
生年月日 (1951-05-05) 1951年5月5日(72歳)
出生地 日本 東京都豊島区巣鴨
身長173cm
血液型B型[1]
職業タレント、ミュージシャン、俳優、声優
活動期間1973年 -
配偶者既婚(2010年-)
著名な家族エド山口(実兄)
主な作品
テレビ番組
『ものまね王座決定戦』映画
『ヅラ刑事』
備考
グッチ裕三、ウガンダ・トラ等と共に『ビジーフォー』の一員として活躍。
テンプレートを表示
モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 - )は、日本のミュージシャン、タレント、俳優、声優。本名、武東 裕男(むとう ひろお)。東京都豊島区巣鴨出身[2]。デューズ所属(生島企画室との業務提携)。エド山口は実兄。血液型B型[1]。
モト冬樹
YouTube
チャンネル
モト冬樹チャンネル
実家は開業医 (産婦人科)[3]。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業[4]。高校在学中は成績最上位クラスだったが、ギターに夢中になって2番目のクラスに落ちると、グッチ裕三と同クラスとなり音楽で意気投合、兄のエド山口とバンドを結成し音楽活動を始める[5]。
プロデビューはグループ・サウンズブーム終息後に結成されたGS的バンドのローズマリー。当時の芸名は東冬木であった。1974年に、やはりGS的バンドのジュテーム
に参加していたが、またもブレイクすることなく解散した。1978年にグッチ裕三やウガンダ・トラらとコミックバンド「ビジーフォー」を結成し、スリム冬樹の芸名で参加した。当時在籍していた渡辺プロの直系とも言える音楽による笑いのコミックソングや、ものまねで人気を得る。グッチ裕三らとともに、『ものまね王座決定戦』(ものまね四天王)や『夜も一生けんめい。』や『THE夜もヒッパレ』などに出演、兄弟で東京ドンバーズとしても活動するなど、ギター奏者や歌手として活躍した。
1984年、ビジーフォー活動休止中に桜金造と共に「AJAPA」を結成。当時横山やすし司会の演芸番組「ザ・テレビ演芸」内の勝ち抜き新人オーディションコーナー「とび出せ笑いのニュースター・ホップステップジャンプ」に出場、ろくに練習もしていなかったにもかかわらず、同コーナーの8代目チャンピオンを獲得。準優勝に終わったコンビは横山やすしの弟子で、審査が終わって舞台袖で怒り狂ったやすしにボコボコにされる彼らを見て、自分達のような素人が漫才をやってはいけないと決意し、金造とのコンビを解消したという(2006年東京スポーツ連載中「オレは芸能界が好きなんだ!!」より)。
1992年にグッチ裕三以外のビジーフォースペシャルのメンバーに俵山栄子、メグ斉藤と藤井ヤマイを加え「モト冬樹とフリーマーケット」(現在は「モト冬樹とナンナラーズ」に改名)を結成。ライブ活動を開始。
2008年8月、株式会社デューズに移籍。
2021年1月、網膜に開いた穴を空気で塞ぐ網膜硝子体手術を受ける事を自身のブログで報告[6][7]。同年2月5日に退院した[8]。
2021年4月20日、生島企画室と業務提携することが分かった。[9]
人物
趣味・嗜好
ボウリングが趣味で、2010年に親善大使にも任命されている[10]。
喫煙者であり、1日1箱のたばこを吸っている。2021年5月に眼科の医師から促され禁煙を試みたが[11]、同年9月現在は喫煙を再開しており、「迷惑にならない快適な喫煙場所をたくさん作って欲しい」と訴えている[12]。
芸風
外国人アーティストを中心にさだまさしや長渕剛などのモノマネを得意とする(さだ本人の前で「ハゲ」に置き換えた「関白宣言」の一節を歌った物真似を披露したら「帰れ!!」と怒られ、挙句の果てにはシュガーサーバーに入っていた砂糖をふりかけられるというコントをしたことがある)。バラエティ番組にも多く出演し、その番組の中でも進行上、他の芸能人から薄毛をネタにされることも多い。2013年7月14日放送の『有吉反省会』では「薄毛関係の仕事で荒稼ぎしていること」を反省し、司会の有吉弘行が「テッパンの薄毛ネタ何個あるんですか!?」と大絶賛し、見届け人の伊集院光も「ものすごい量の武器を持ってる」と感嘆する、仕事の6割が薄毛を利用した毛髪関係の仕事だったことが番組の調査で判明する[13]。
『世界まる見え!テレビ特捜部』に、カツラとサングラスで変装し、「ミスタートモ」という名で出演、電動の泡立て器でギターをひく技を披露し、出演者を驚かせたことがある(その後でかつらとサングラスを外し、自分がモト冬樹であることを明かし、出演者達を更に驚愕させた)。
容姿が似ていることから、日本のニコラス・ケイジとも呼ばれる(本人とも共演有り)。ただし、その後本人には共演NGにされてしまったという(からかい目的での共演だったと勘違いされてしまったと話している)[14]。
石橋貴明からは「スナックトークの達人」と言われる(話す相手が7人までだと面白いが、それ以上になるとつまらなくなるという意味から)。
家族・親族
武東家のルーツは伊予国松山の山越という地の小さな城砦の城主だった吉村家だったと伝えられているが、詳細な記録は松山の菩提寺の火事や関東大震災で焼失し不明。父方の曽祖父、武東晴一は周防国(山口県)岩国高森出身で、数々の凶悪事件や迷宮入り事件を解決した警視庁の刑事であり、当時の新聞のニュースやコラムなどで度々取り上げられ「鬼武東」と呼ばれていた。明治44年に築地警察署長になり、大正元年に61歳で死去。最終肩書きは警視。その晴一の息子は海軍主計科に所属し警備任務をしており、彼の名高き父亡き後に生まれた息子にその父と同じ名前を付けたが、その晴一(1916?2017)がモト冬樹の父である。その命名の意図とは裏腹にゴキブリや注射針にすらおびえていたモトの父親の晴一だったが、戦争が全ての時代に少しでも前線に出る可能性を減らすために医者になり、軍医として中国大陸の華北に渡る。戦後は捕虜となるも1年後に帰国し、巣鴨で産婦人科を開いた。