モデルガン
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国際産業の金属製モデルガン S&W M36

モデルガン (Model gun) とは、銃器の外観や機構を模した遊戯銃(トイガン)の一種で、弾丸を発射する機能を持たないものをいう。Model gun は和製英語であり、英語では火薬玩具煙火)を使用するトイガンは Cap gun(キャップガン)と呼ばれる[1]

プラスチック製弾丸の発射機能を持つエアソフトガンは、銃器の外観を模したものであってもモデルガンの範疇には含めないが、報道などでは同一に扱われることが多い。

日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)により、特に金属製モデルガンは材質や構造、色などに厳しい制限が加えられている。
概要

モデルガンは銃器、すなわち拳銃小銃短機関銃散弾銃などの模型であるが、弾丸を発射できないこと、安全対策や作動性確保のために内部構造がアレンジされているなどの点が実物の銃器とは異なる。一般的にはほぼ実寸大で製作されるが、「ジュニアガン」と称する3分の2スケールの商品なども少数存在する。

使用される材質は、主に亜鉛合金ABS樹脂、ヘビーウェイト樹脂(重量増加や質感改善を目的に樹脂に亜鉛合金やなどの金属粉を混入して成型したもの)などである。現在市販されている金属製のものは、銃刀法で定める模造拳銃および模擬銃器に該当しないための措置が施されている。

日本では法規制により弾丸を発射できない構造になっているが、実包薬莢を模したカートリッジに火薬を装填して発火させ、擬似的な発砲音や火花、動作などを再現できるものが多い。一部には映画アニメゲームなどのフィクションに登場する、架空の銃をモチーフにしたものも存在する。

銃器の外観を模したものであっても、プラスチック製弾丸の発射機能を持つエアソフトガンはモデルガンの範疇に含めない。特撮ヒーロー番組などに登場する光線銃などを模した電池などで発光・発音するような種類のもの、駄菓子屋などで売られている紙火薬式の100連発銃や8連キャップ火薬を使用する8連発銃のように、純粋に子供向けの玩具とみなされるものは、通例モデルガンとは呼ばない[2]

なお、報道などで「モデルガン」と表現される場合、その多くは「銃器の形をした玩具」すなわちトイガン全般を指す用語としての慣用表現であり、厳密な意味でのモデルガンを指したものではない場合がほとんどである。

モデルガンには、火薬を使用せず外観や手動操作を楽しむための観賞用モデルと、火薬の使用が可能な発火モデルがある。発火モデルのうち、オートマチック式の拳銃や短機関銃、小銃のモデルガンは、火薬の爆発力を利用して実銃とほとんど同じように、排莢・装弾の動作(ブローバック)を行うことができる。初期のオートマチック式拳銃のモデルガンには、火薬で発砲音のみを再現するスタンダードモデルや、指で引き金を引く力を利用して装弾・発火・排莢を行う、スライドアクション(通称タニオアクション)モデルが存在した。

日本のモデルガンは銃口を覗いたりしない限り実銃とほとんど区別がつかないので、日本国内だけではなく海外においても、映画などの小道具として頻繁に用いられている。近年、グロック17の様に実銃自体がプラスチック部品を多用したものも登場し、ますます外観による区別がつきにくい状況にある。
歴史

日本におけるモデルガンの歴史は、法による規制の歴史と言い換えることができる。モデルガンは本来「玩具」に分類されるものであって、法で定める「銃」には該当しないが、実銃に見せかけて強盗などに使用したり、弾丸を発射できるように改造するなどの悪用事例が多発したことにより、特に金属製のものについては過去2回にわたって銃刀法による規制を受けている。
1960年代

1960年頃、アメ横中田商店江原商店が外国製キャップガンの輸入販売を始めたが、これは完全に子供向けの玩具であり、形状や構造が実銃とはかなり異なるものであった。その後、輸入キャップガンを改良してよりリアルな造形を施したものを「モデルガン」と称して発売し、大きな人気を集めた。当時人気があったのは、第二次世界大戦で使用された軍用銃や西部劇で使用されるSAAなどであった。この頃、一部には火薬[3]の爆発力を利用してプラスチック製の弾丸を発射できるトイガンもあったが、この種の商品はやがて当局により発禁処分とされた。

1962年には純国産モデルガン第一号のモーゼル軍用拳銃[4]が発売された。これに続く国産モデルガンとしてMGC製ワルサーVP-II[5]が発売されて以降、国内のモデルガン製造はMGCがほぼ独占的に行っていたが、1965年にそれまで販売専門だった複数の小売店が組合[6]を結成してモデルガン製造に参入した。初めはMGC製品の模倣品を製造していたが、やがて各メーカーが独自に設計したモデルガンを製造するようになった。その後、リアルな外観や機構を持つ様々な種類のモデルガンが製造されるようになり、当時人気だった映画やドラマの影響もあって国産モデルガンはブームを迎えた。
1970年代

1960年代から続くモデルガンブームに水を差すことになったのが、1971年(昭和46年)に行われた法規制(46年規制)であった。この規制によってブームは一時下火になったが、徐々に人気を取り戻し、1970年代中頃には再びブームを迎えた。しかし1977年(昭和52年)には二度目の法規制(52年規制)が行われ、モデルガンの主流が金属製からプラスチック製へ転換する契機となった。
46年規制

リアルなモデルガンの登場に伴い、強盗、恐喝などに、威嚇目的で悪用される事例が相次いだ。1969年には行政指導により、モデルガンに識別用の標識(王冠マーク)を付けることや販売時に身元を確認することなどが行われたが悪用は続き、1970年にはハイジャックにも使用された。このような事例に対処するため、一見してモデルガンであることが識別できるように1971年(昭和46年)の銃刀法改正によって外観に対する規制(46年規制)が行われた。金属製の拳銃型モデルガンは銃腔に相当する部分を金属で完全に閉塞し、銃把(グリップ)に相当する部分を除く表面全体を白色黄色に着色することが義務付けられた。内閣府令で定めるこれらの措置が施されていないものは銃刀法で定める模造拳銃に該当し、輸出用などの一部の例外を除き、所持が禁止された。また過去に販売されたものは所有者自身で銃腔に相当する部分を塞ぎ、表面を白色か黄色(金色)に着色しなければ所持が認められなくなった。この規制以降に発売されたものはメッキにより金色(事実上の黄色とみなされている)に着色されている[7]銀色ステンレス製やニッケルクロームメッキの実銃が多数実在することから白色とはみなされず、認められていない。

このとき対象になったのは金属製の拳銃型[8]のみであり、小銃や短機関銃などの長物は隠し持つことが難しく、悪用されることが無かったため、規制の対象にはならなかった。46年規制から1年後には、耐衝撃ABS樹脂を主な素材とするモデルガンが作られるようになったが、プラスチック製のものは法規制の対象外であったので、拳銃型であっても色がいままで販売することができた。
52年規制

モデルガンの悪用事例として威嚇目的以外で問題視されていたのが、暴力団関係者などによる改造拳銃(モデルガンを改造して弾丸の発射機能を持たせたもの)の製造であった。銃身内にインサート鋼材(鋼製の詰め物)を鋳込むなどの改造防止策は初期のモデルガンの頃から行われていたが、メーカー間で統一されたものではなかった。1970年に警察が押収した改造拳銃の数は23丁であったが年々増加し、1975年には1,024丁(押収拳銃の約7割)に達した。

1975年、メーカー組合[9]は金属製の拳銃型モデルガンについて自主的に改造防止構造の規格を定め、規格検査に合格したものにsmマークを付けて販売した。しかし、組合に加入していないメーカー[10]自主規制に拘束されず、また組合メーカーの製品にも規格を満たさないものが見つかるなど、業界内での改造防止策の足並みは揃わなかった。さらにsmマーク付きのものや長物にも改造事例が出始めたことから、1977年(昭和52年)には再度の銃刀法改正によって構造に対する規制(52年規制)が行われた。金属製モデルガンの主要部分[11]に使用できる素材はブリネル硬さ91以下の金属(亜鉛合金など)に制限された。また、銃身に相当する部分の基部にインサートを鋳込むこと、回転弾倉に相当する部分の前部にインサートを鋳込み、薬室に相当する部分の隔壁に切れ目を入れること、銃身に相当する部分が交換できないように機関部体(フレーム)に相当する部分と一体鋳造にすることなど、拳銃や小銃などの形態を問わず、金属製モデルガン全般の構造について厳しい規定が追加された。内閣府令で定めるこれらの規定に適合しないものは(46年規制やsm規格に適合するものであっても)銃刀法で定める模擬銃器に該当し、販売目的の所持が禁止された(すでに所持しているものについては販売を目的としない限り、そのまま所持が認められる)。新たな規制に適合した製品にはメーカー組合によりSMGマーク[12]が付されている。

この法改正を不服とするメーカーとモデルガン愛好家協会[13]を中心に結成された原告団は国を相手に訴訟オモチャ狩り裁判)を起こしたが、1994年に原告の全面敗訴が確定している。当時、法改正によりモデルガンは文鎮化される、あるいは所持が認められなくなるなどの話が流布されたが、これについて警察庁は「規制反対運動に大衆を誘導するための誤った宣伝」との見方をしている[14]プラスチック製モデルガンの銃身インサート。銃口を見ればモデルガンであることがすぐに分かる。

52年規制によって、特に銃身が分離するタイプのオートマチック式モデルガンは金属で作ることがほとんどできなくなってしまったため、以降プラスチック製のものが主流になっていった。プラスチック製モデルガンについては法規制の対象外ではあったが、メーカー組合による自主規制が行われ、銃身内や回転弾倉の前部に焼き入れインサート鋼材を入れるなどの改造対策が施された。自主規制適合品にはメーカー組合によりSPGマーク[12]が付されている。また、映画やドラマなどの撮影に供されるステージガンプロップガンはメーカーの自主規制に適合していないが、銃刀法で定める「銃砲」にはあたらない。ただ外観からモデルガンと判別しにくい(インサートの一部が除去されている)ため、取扱いや保管、管理などは美術セクション担当者や小道具担当者が責任を持って行わなければならない。
1980年代以降

国産の高性能なキャップ火薬がそれまでの平玉火薬に代わるものとして、1979年の「MGキャップ」を皮切りに各メーカーから発売され始めた。平玉火薬と比べて装填や整備の手間が少なくなり、また火薬の過剰装填による事故の危険性が低くなった。キャップ火薬の一例。7mmおよび5mmサイズ。

これに伴ってキャップ火薬の使用を前提としたオートマチック用のカートリッジが新規に開発され、平玉火薬を使用していた頃と比べ、より簡便で快適な作動が可能となった。発火性能の高いプラスチック製モデルガンが次々に発売され、また安価な組立キットの登場などにより1980年代前半には新たなブームを迎えた。

52年規制以降に主流になったABS樹脂製モデルガンの外観はプラスチック然としたものが多かったが、メッキ技術が進歩したことにより、ガンメタリックやシルバーメタリックのモデルガンが製作できるようになった。通常の黒以外にニッケルフィニッシュなどのカスタムモデルが発売され、通常品より高価であったにもかかわらず、ファンの人気を集めた。

その後、樹脂(主にナイロン系)に亜鉛合金や鉄などの金属粉を混合したヘビーウェイト樹脂が開発され、プラスチック製モデルガンの欠点であった軽さと手触りの問題が解決された。ヘビーウェイト樹脂は、樹脂に金属粒子が混ざる形となり、ABS樹脂よりも脆く割れやすい性質を持っているため、火薬の使用には不向きとなったが、改造防止という観点からは非常に好ましい素材である[15]

MGCから、火薬が発火したときに生じる赤外線センサーで捕らえる、擬似射撃システム「シューターワン」が発表されて話題になった。同システムを使用したシューティングマッチが開催されるなど、一時期盛り上がりを見せたが、機構上の制約[16]やエアソフトガンの台頭などもあり、広く普及することはなかった。

1980年代中頃からエアソフトガンの売り上げが伸び始めると、製品の主力をエアソフトガンに移すメーカーやモデルガンの製造から撤退するメーカーが相次ぎ、トイガン市場でのモデルガンのシェアは徐々に減少していった。モデルガン製造に参入する新興メーカーもあったが、人気が低迷するなか、種類や生産数が限定的で、かつての隆盛を取り戻すには至っていない。

しかし、水面下ではモデルガンの人気復活を願うファンは多く、2004年には元MGC開発部長・小林太三やくろがねゆうらの呼びかけにより、製品化されていないブローバックモデルガンを作るイベント「全日本BLK化計画」がスタートするなど、モデルガンの人気を復活させるための活動は個々のファンの間で続いている。
オートマチック式モデルガンのブローバック

オートマチック式モデルガンの醍醐味は派手なブローバックである。撃発時に遊底が後退し、カートリッジがはじき出される動作を再現する仕掛けをブローバックという。
オープンデトネーター式

1968年にMGCが開発したMG-BLK (BLowbacK) は少量の紙火薬を詰めたカートリッジをシリンダー、銃身内のデトネーター(撃針)をピストンとして火薬の爆発力で遊底を後退させ、カートリッジを勢いよくはじき出させる仕掛けである。カートリッジは構造が単純で単価も安いが、紙火薬は装填に時間がかかる上、安定したブローバックが難しく、うまく作動させるためには熟練と調整を要した。また発火で生じる汚れがかなり多く、クリーニングにも手間と時間を要した。

1979年にキャップ火薬が開発されると安定したブローバックが可能になり、発火性能の高いモデルガンも次々に誕生した。火薬の装填やクリーニングが容易になったものの、カートリッジとデトネーターのクリアランスがタイトなため汚れに弱く、弾倉何本分も連続発火させることは難しかった。発火方式としてはすでに過去のものになっていたが、2009年に樹脂製の使い捨てカートリッジを使用するものが新たに製品化されている。
閉鎖型カートリッジCP-HW・PFC各カートリッジの一例(PFCは撃針固定式でOリングの無い旧型。大まかな構造や原理は新旧ともに同様である)

1980年マルシン工業が開発したPFC (Plug Fire Cartridge)[17] はオープンデトネーター式に代わる閉鎖型ブローバックカートリッジの先駆けである。ブローバックに必要な爆発力の気密性確保にカートリッジ内のピストンを利用するため、オープンデトネーター式のように汚れによるクリアランスの問題が発生せず、発火性能がさらに向上した[18]。PFCに続いてPiston Push Cartridge(東京CMC)、Spin Jet Fire Cartridge(国際産業)、Piston Fire Cartridge(ハドソン産業)など、各社で閉鎖型カートリッジが開発され[19]、MGCも1982年に開発したCP-BLK (CapPiston-BLowbacK) カートリッジ[20]をもってオープンカートリッジから閉鎖型カートリッジへ移行した。


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