モット・ザ・フープル
1974年のモット・ザ・フープル
基本情報
出身地イングランド、ヘリフォードシャー
ジャンルロック、グラム・ロック、ハード・ロック
活動期間1968?1974
レーベルアイランド、CBS、コロムビア
旧メンバーイアン・ハンター(1969年 - 1974年)
ミック・ラルフス
モット・ザ・フープル (Mott the Hoople) は、イギリスのロックバンド。グラムロック全盛期に活躍し、「すべての若き野郎ども」(1972年)、「ロックンロール黄金時代」(1974年)、「ホナルーチ・ブギ」(全英12位)、「メンフィスからの道」(全英10位)、「ロール・アウェイ・ザ・ストーン」(全英8位)などがヒットした。「すべての若き野郎ども」は、同バンド解散の危機の際にデヴィッド・ボウイが提供した曲である。 1968年に結成された、サイレンスというバンドを前身とする。アイランド・レコードのプロデューサーのガイ・スティーヴンスが、ヴォーカルのスタン・ティピンズに不満を感じ、オーディションを経てイアン・ハンターがヴォーカルとして加入。スタン・ティピンズは、ロードマネージャーとしての役割を与えられ、時折レコーディングやライヴにも参加した。その後、バンド名をウィラード・メイナスの小説から採り、モット・ザ・フープルと改め、アイランド・レコードと正式に契約し1969年にデビューした。 デビュー当初からライヴが好評だったが商業的に振るわず、1972年3月26日のチューリッヒ公演の後、ついに解散を決定する。しかし、早くからファンだったデヴィッド・ボウイが、その話をオヴァレンド・ワッツから聞き付け、メンバーを説得、楽曲の提供とプロデュースを申し出る。当初、ボウイから提示された曲は「サフラジェット・シティ」(『ジギー・スターダスト』収録)だったが、モット・ザ・フープル側はこれを拒否、改めてボウイは別の楽曲を提供、モット・ザ・フープル側も大変気に入ったのが、「すべての若き野郎ども (All the Young Dudes)[1]」である。CBS移籍後に発表されたこの曲は、モット・ザ・フープル最大のヒットとなり(全英3位)、またグラムロックを代表する曲のひとつとなった。ちなみにボウイは、「ドライブ・イン・サタディ」(『アラジン・セイン』収録)も提供しようと持ち掛けたが実現しなかった[2]。これは自作曲「ホナルーチ・ブギ」がヒットした事もあり、新たな曲提供は不要とモット・ザ・フープル側が断ったためである[3]。ボウイは、もし実現していたら素晴らしい仕上がりになったであろうと回想している。 1973年1月、自作曲を発表する機会が少ないことを理由にヴァーデン・アレンが脱退し、バンドは暫くの間4人編成での活動を余儀なくされる。シングル「メンフィスからの道 (All The Way From Memphis)」がヒットするが『革命
略歴
1974年には「ロックンロール黄金時代」がヒットしたが、同年7月にミック・ボルトンが脱退、後任としてブルー・ウィーバーが加入する。同年9月、ルーサー・グロヴナーが脱退。後任としてミック・ロンソンを迎え入れ、マスコミはこれを歓迎した。しかし同年12月、アメリカン・ツアーのプロモーションのためミック・ロンソンと共に渡米していたイアン・ハンターが心労により体調を崩し入院し、そのままミック・ロンソンと共にグループを脱退。12月16日に、モット・ザ・フープルの解散が正式に告げられた。ミック・ロンソン在籍時に録音された曲は、シングル「モット・ザ・フープル物語」と「ラウンジ・リザード」のデモ録音のみだった。2009年に行われた再結成ライヴ
その後、残ったメンバーはレイ・メジャーを加えるが、ヴォーカリスト探しは難航し、最終的にミック・ラルフスの紹介でナイジェル・ベンジャミンが加わりバンド名をモットと改名するが、セールスは大きく落ち込み、さらに1977年にはヴォーカルのナイジェル・ベンジャミンが脱退し、ジョン・フィドラーに替わりブリティッシュ・ライオンズと改名し、アメリカに進出するが、レコード会社の支持を得られず、2作目のアルバムは未発表のまま翌年に解散した。
2009年、モット・ザ・フープル結成40周年を記念してオリジナルメンバーでの再結成ライヴが9月25日、26日にモンマスでウォーミングアップギグを行い、10月1日・2日・3日・5日・6日の5日間限定で、ロンドンのハマースミス・アポロにて行なわれる事が発表された。しかし、デイル・グリフィンは体調が悪化したため一部の曲のみ参加し、プリテンダーズのマーティン・チェンバースが代役を務めた。2013年にも、同様のメンバーでイギリス・ツアーを行った。
2016年1月17日、ドラマーのデイル・グリフィンがアルツハイマー病から生じた合併症により死去(享年67歳)。
2017年1月22日、ベーシストのオヴァレンド・ワッツが喉頭癌により死去(享年69歳)。
2018年、イアン・ハンターと、これまでの再結成に未参加だったアリエル・ベンダー(ルーサー・グロヴナー)、モーガン・フィッシャーによって再結成(サポートはイアンのバックバンド)。6月23日スペインのフェスAzkena Rock Festivalに出演、同月30日英フェスRamblin' Man Fairにヘッドライナーとして出演、7月2日にはスウェーデンで公演した。
2019年には同メンバーで「モット・ザ・フープル'74」プロジェクトを始動、4月に45年ぶりとなるアメリカ・ツアー(8公演)、そしてイギリス・ツアー(6公演)を行った。
4月のツアーが好評で、10月?11月にもアメリカ・ツアー(11公演)を行う予定であったが、直前にイアンの体調不良(深刻な耳鳴り発症)によりツアー中止となった。
メンバーと主な担当楽器
MOTT THE HOOPLE
イアン・ハンター (Ian Hunter 1939年6月3日 - ) ヴォーカル、ピアノ、リズムギター
ミック・ラルフス (Mick Ralphs 1948年5月31日 - ) ヴォーカル、ギター
デイル・グリフィン(Dale Buffin Griffin 1950年10月24日 - 2016年1月17日) ドラムス
オヴァレンド・ワッツ (Peter Overend Watts 1947年5月13日 - 2017年1月22日) ベース
ヴァーデン・アレン (Verden Allen 1944年5月26日 - ) オルガン
モーガン・フィッシャー (Morgan Fisher 1950年1月1日 - ) ピアノ
ミック・ボルトン (Michael Bolton 1948年12月20日 - 2020年1月1日) オルガン
ルーサー・グロヴナー (Luther Grosvenor 1949年12月23日 - ) ギター
ブルー・ウィーヴァー (Derek Blue Weaver 1947年3月11日 - ) オルガン
ミック・ロンソン (Mick Ronson 1946年5月26日 - 1993年4月29日) ギター
MOTT
ナイジェル・ベンジャミン (Nigel Benjamin) ヴォーカル
レイ・メジャー (Ray Majors) ギター
デイル・グリフィン - ドラムス
オヴァレンド・ワッツ - ベース
モーガン・フィッシャー - ピアノ
BRITISH LIONS
ジョン・フィドラー (John Fiddler 1947年9月25日 - ) ヴォーカル、ギター
レイ・メジャー - ギター
デイル・グリフィン - ドラムス
オヴァレンド・ワッツ - ベース
モーガン・フィッシャー - ピアノ
エピソード
当初から過激な暴力的なライヴ・パフォーマンスが有名で、客との喧嘩や機材の破壊などは日常茶飯事であった。イアン・ハンターによれば「ロイヤル・アルバート・ホールをめちゃくちゃにして、イギリスの色々なホールから締め出しを食らった」しかし、モーガン・フィッシャーによると自分が参加してからはそのような事は74年のハマースミスでの暴動以外には無く、ハンターがルーサーの首を絞める等のパフォーマンスもあくまで芝居としてやっていて暴力的なバンドではなかったと語っている。[5]
1974年の全米ツアーの前座としてクイーンが同行した。ブライアン・メイの急病により途中で降板しているが、メンバー間の交流は現在まで続いている。また、クイーンの「ナウ・アイム・ヒア」にはモット・ザ・フープルが歌詞に登場している。
バンド解散後、1970年代末のイギリスで巻き起こったパンク・ロックのブームのさなかにおいて、それまで活動していたロックバンドのほとんどが侮蔑の対象にされた中、モット・ザ・フープルは例外的にパンク・ロッカーたちのリスペクトを受けることになった。ザ・クラッシュのミック・ジョーンズはモット・ザ・フープルの追っかけをしていたことを公言し(ジョーンズの項参照)、クラッシュ自体もアルバム『ロンドン・コーリング』のプロデュースをガイ・スティーヴンスに託した。