モス・デフ
Mos Def
モス・デフ(2012年)
基本情報
出生名Dante Terrell Smith
別名Yasiin Bey、Black Dante、Dante Beze、Flaco、El-Bey the Moor
生誕 (1973-12-11) 1973年12月11日(50歳)
ジャンルオルタナティブ・ヒップホップ、プログレッシブ・ラップ
職業ラッパー、歌手、ソングライター、音楽プロデューサー、俳優、活動家
活動期間1991年 - 現在
レーベルDowntown、グッド、ゲフィン、ロウカス
モス・デフ (Mos Def、本名ダンテ・テレル・スミス、1973年12月11日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身のMC、俳優[1]。
彼のキャリアはダ・ブッシュ・ベイビースとデ・ラ・ソウルのアルバムにおけるネイティブ・タンのポッセカットから始まる。1990年代には、同じくニューヨーク出身のMCであるタリブ・クウェリとのコンビ、ブラック・スターにおいて当時のインディーズ・ヒップホップ・シーンで主導的な役割を果たしていたロウカス・レコードの看板ミュージシャンとなり、アンダーグラウンド・ヒップホップを牽引していく。2000年代に入ってからは、俳優としていくつかの映画に出演し始め、評価を集める[2]。社会問題や政治への批評家としても活動しており、2005年にアメリカを襲ったハリケーン・カトリーナ災害の際は、被災者への援助をメディアを通して呼びかけた。2012年ごろからは、ヤシーン・ベイ(Yasiin Bey)に改名して活動している。 モス・デフことダンテ・スミスはニューヨーク州ブルックリンに生まれた[3]。彼の弟であるAbdul Rahman a.k.a. "Gold Medal Man" は、モス・デフのDJを務めている。最近の兄弟によるコラボレーションは、ダン・ジ・オートメーター・プロデュースのビデオゲーム向けサウンドトラック『NBA 2K7』中の「Here comes the Champ」である。Cesという妹と、Jermone、DCQという弟がいる。モス・デフはヒップホップの黄金時代に育ち、9歳からラップと演技を始めた。 モス・デフは1996年にアーバン・サーモ・ダイナミクス(Urban Thermo Dynamics、UTD)をCes、DCQと結成。ペイ・デイ・レコードとの間に契約を交わし、2枚のシングルとデビュー・アルバム『Manifest Destiny』を製作した。『Manifest Desitiny』は2004年にIllson Mediaが発売した。その後、ソロとして、デ・ラ・ソウルやブッシュ・ベイビーズとのフィーチャリング曲で注目を浴び、ソロ・アルバム『Universal Magnetique』はインディー・シーンでヒット作となった。 ロウカス・レコード 1999年にロウカスから、ソロ・アルバム『ブラック・オン・ボース・サイズ』を発売。耳の肥えたヒップホップ・フリークをうならせた同レーベルの『The Lyricist Lounge』シリーズにもフィーチャーされる。 ロウカスの倒産後は、Interscope/ゲフィン・レコードと契約、2004年にアルバム『ザ・ニュー・デンジャー』を発売する。『ザ・ニュー・デンジャー』はソウル、ブルースやロックなど様々なジャンルの音楽の折衷だという批判を以って、ファンに受け止められた。『ザ・ニュー・デンジャー』ではモス・デフ自身が結成したロック・バンド、ブラック・ジャック・ジョンソン(The Black Jack Johnson)が演奏を担当した。ブラック・ジャック・ジョンソンには、元祖黒人ハードコアパンク・バンドのバッド・ブレインズやリヴィング・カラーのメンバーも在籍していた。また、GMC デナリ・スポーツ・ユーティリティ・ビークルのTVコマーシャルに出演したことで、アンダーグラウンド・ヒップホップの活動では重要な要素になる地に足の着いた(Keep it real)気持ちをなくしてしまったとの批判をファンから受けた。 2006年にはゲフィンからの最後のアルバム『True Magic』を発売した。『True Magic』のCDはブックレットも無く、ケースにラベルも貼られていない、ただ透明なプラスティックのケースにCDが入れられただけという簡素なものだった。これはゲフィンがモス・デフのプロモーション費をカットしたことが理由と目されている。 その後、2007年にコンピレーション・アルバム『Mos Definite』をFrequent Mから発売する。 2009年にアルバム『ジ・エクスタティック (The Ecstatic 彼の俳優としてのキャリアは、ダンテ・ベーゼ(Dante Beze)の名で子役として始まる。14歳のとき、『God Bless The Child』というTV映画に出演。その後、『You Take The Kids』というシットコムに出演する。彼は音楽のキャリアよりも先に、テレビ・ドラマ『The Cosby's Mistery』で探偵役のビル・コスビーの相棒を務め、その演技により注目を集める。1996年には、Visaチェック・カードのコマーシャルにも出演している。 その後、2001年『チョコレート』、2003年『ミニミニ大作戦』、2005年『銀河ヒッチハイク・ガイド』、2006年『16ブロック』、2008年『僕らのミライへ逆回転』、『キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語』(Cadillac Records) などに出演している。 公開年邦題
バイオグラフィ
少年期
ラッパーとしてのキャリア
俳優としてのキャリア
ディスコグラフィ詳細は英語版「en:Mos Def discography」を参照
スタジオ・アルバム
『ブラック・オン・ボース・サイズ』 - Black on Both Sides (1999年)
『ザ・ニュー・デンジャー』 - The New Danger (2004年)
True Magic (2006年)
『ジ・エクスタティック』 - The Ecstatic (2009年)
??? (Negus) (2019年)[A]
コラボレーション・アルバム「:en:Black Star discography」も参照
『ブラック・スター』 - Mos Def & Talib Kweli Are Black Star (1998年) ※ブラック・スター名義 with タリブ・クウェリ
Manifest Destiny (2004年) ※UTD名義 with Ces and DCQ[5]
December 99th (2016年) ※Dec 99th名義 with フェラーリ・シェパード
No Fear of Time (2022年) ※ブラック・スター名義 with タリブ・クウェリ
フィルモグラフィ詳細は英語版「en:Mos Def#Filmography」を参照
映画
原題役名備考
1991ハード・ウェイ
The Hard WayDead Romeos
1997マイケル・ジャクソン 「ゴースト」
Michael Jackson's Ghosts町の住人
2000フリースタイル:アート・オブ・ライム
Freestyle: The Art of Rhyme本人
フライショック
Island of the Deadロビー・J劇場未公開
2001カルメン:ヒップ・ホペラ
Carmen: A Hip Hoperaミラー警部補
チョコレート
Monster's Ballライラス・クーパー
2002ショウタイム
ShowtimeLazy Boy
ブラウン・シュガー
Brown Sugarクリス劇場未公開
2003ミニミニ大作戦
The Italian Jobレフト・イヤー
2004奇蹟の手/ボルチモアの友情
Something the Lord Madeヴィヴィエン・トーマステレビ映画
2005ブルース・イン・ニューヨーク
Lackawanna Bluesバンドリーダーテレビ映画
銀河ヒッチハイク・ガイド