モシン・ナガン
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モシン・ナガンモシン・ナガン シリーズ
モシン・ナガン
種類ボルトアクション・ライフル
製造国 ロシア帝国
ソビエト連邦
フランス
 フィンランド
スイス
 オーストリア
アメリカ合衆国
設計・製造

設計:セルゲイ・イワノビッチ・モシン、エミール・ナガン、レオン・ナガン製造 :トゥーラ造兵廠、イジェフスク造兵廠、セストロレック兵器廠、フランス国営兵器工場、SIGスイス)、ステアーオーストリア)、レミントンアメリカ合衆国)、ウェスティングハウス(アメリカ合衆国)など多数
仕様
口径7.62mm
銃身長80.2cm
使用弾薬7.62mm×54R(ロシア)
7.62mm×53R(フィンランド)
装弾数5発(箱型弾倉・クリップ)
作動方式ボルトアクション
全長130.5cm
重量4,370g
銃口初速810 m/秒
歴史 
設計年1891年
製造期間1891年 - 1920年代
配備期間1891年 - 1950年代
配備先ロシア帝国軍
ソ連赤軍
東側諸国
関連戦争・紛争義和団の乱
日露戦争
第一次世界大戦
ロシア革命
ロシア内戦
フィンランド内戦
トルコ革命
スペイン内戦
第二次世界大戦
国共内戦
朝鮮戦争
ベトナム戦争
バリエーションバリエーションを参照
製造数3000万丁以上
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モシン・ナガン(ロシア語:винтовка Мосина (Vintovka Mosina), Мосин-Наган (Mosin-Nagant))は、ロシア帝国陸軍大佐セルゲイ・イワノビッチ・モシンベルギーの銃器メーカーであるエミール・ナガン、レオン・ナガンのナガン兄弟が設計したボルトアクション小銃

1891年にロシア帝国の制式小銃M1891として採用される。
概要

弾薬はM1891と同時に開発された7.62mm×54Rを使用する。

リアサイト(照門)はタンジェントサイトで、距離表尺の標示には、ロシア帝国独自の単位であるアルシン[注釈 1]が使われていた。

全長は約130cmで、世界各国の同世代の小銃と比べて最も長い。

銃剣はスパイク型を使用。第二次世界大戦中のソ連赤軍では、銃剣は着剣状態で携行するため、鞘が付属しておらず、銃剣状態で射撃することが基本とされていた。照準も着剣状態に合わせて調整しているため、銃剣を外して撃つ場合、改めて調整し直さなければならなかった[1]

歩兵用の小銃の他、騎兵用に10cmほど短くなったドラグーン・ライフル、ドラグーン・ライフルと同じ長さだが着剣できない、コサック・ライフルの3種類があった。
歴史日露戦争中に日本軍によって鹵獲されたモシン・ナガン

採用直後はロシア帝国の依頼により、フランスの国営兵器工場、スイスのSIGオーストリアステアーなどで生産された[1]。のちに国産化され、トゥーラ造兵廠、イジェフスク造兵廠、セストロレック兵器廠などの兵器工場で本格的に生産が開始。

1900年に起きた義和団の乱で、初めて実戦投入される。

1904年日露戦争時には380万丁のライフルが納入された。

第一次世界大戦でも主力小銃として使われているが、この時も生産が追い付かず、アメリカ合衆国レミントンウェスティングハウスに生産を発注している[1]

ロシア内戦などでも多数使用され、ロシア帝国からソビエト連邦移行後の1920年代まで生産され続けた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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