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モグーリスタン・ハン国の版図(茶)
公用語中古モンゴル語(初期)
チャガタイ語
首都アルマリク
ビシュバリク
イリバリク
ハン
1347年 - 1363年トゥグルク・ティムール
1487年 - 1508年マフムード
変遷
建国1340年
東西に分裂1487年
モグーリスタン西部の喪失1508年
モグーリスタン・ハン国(ペルシア語: ????? ????????, ラテン文字転写: Khanat Maghulistan, トルコ語: Mo?olistan Hanl???, 英語: Moghulistan Khanate)は、1340年代にチャガタイ・ハン国が東西に分裂した後の東側のハン国の別称。東チャガタイ・ハン国、あるいは単にモグーリスタン、モグール・ウルスとも呼ばれる[1][2]。 13世紀に成立したモンゴル帝国は、モンゴル高原と漢地を支配する元(大元ウルス)、中央アジアを支配するチャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)、西アジアを支配するイルハン朝(フレグ・ウルス)、南ロシアのキプチャク草原を支配するジョチ・ウルスに分裂した。その中の一つチャガタイ・ハン国は14世紀に東西に分裂したが、分裂の正確な時期は定かではない[3]。マー・ワラー・アンナフルを支配する西チャガタイ・ハン国(ブルガリア語版
概要