モギリョフ県
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ロシア帝国におけるの位置(1914年)モギリョフ県の地図(ブロックハウス・エフロン百科事典県章

モギリョフ県(ロシア語: Могилёвская губерния)は帝政ロシアの県(グベールニヤ)である。また北西地域のうちの1県でもある。1772年に制定され、1919年に廃止された。行政中心地はモギリョフ(現マヒリョウ)に置かれていた。現在、旧モギリョフ県の大部分はベラルーシマヒリョウ州に属し、一部がロシア・スモレンスク州ブリャンスク州に属している。
歴史

モギリョフ県は、第1次ポーランド分割によって帝政ロシアに編入された地域のうち、南部を範囲として制定された行政区画である(北部にはプスコフ県が制定された)。ロシアへの編入は1772年であった[1]。この時期の帝政ロシアでは、グベールニヤ(県)の下位区分としてプロヴィンツィヤ(郡[2]あるいは地区[3])が設置されており(1775年に廃止)、設立当初のモギリョフ県は、モギリョフ(ru)、ムスチスラヴリ(ru)、オルシャ(ru)、ロガチョフ(ru)の4プロヴィンツィヤから成っていた。その後の行政改革により、モギリョフ県内の下位区分は、12のウエズド(郡[4][5])に再編された。

1778年、グベールニヤの名称が廃止され、一時、名称がモギリョフ・ナメストニチェストヴォ(ru)(エカテリーナ2世の行政改革によって設置された管区)となった。このナメストニチェストヴォ制は1796年に廃止され、再びグベールニヤ制が復活したが、この改編の後にモギリョフ県はポロツク県と併せてベロルシヤ(白ロシア)県となった[6]

1802年、ベロルシヤ県は廃止され、再びモギリョフ県が設置された(なおベロルシヤ県の残り半分はヴィテプスク県となった)。この再設の際には、モギリョフ県内は12のウエズド(郡)に区分された。1917年、モギリョフ県の上位区分としてザーパド州(ru)が置かれた。

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が成立すると、1919年にモギリョフ県は廃止された。当時、県を構成していた11の郡のうち、9つはゴメリ県へ、ムスチスラヴリ郡(ru)はスモレンスク県へ、センノ郡(ru)はヴィテプスク県に編入された。なお、ムスチスラヴリ郡は1924年に廃止されるが、その領域は白ロシア・ソビエト社会主義共和国内へと組み込まれたため、旧モギリョフ県はほぼ全域が白ロシア(現ベラルーシ)の管轄となった。
下位区分・人口モギリョフ県の郡(1792年)。
最上段左:センノ郡、右:バビノヴィチ郡
二段目左:コプィシ郡、右:オルシャ郡
三段目左:モギリョフ郡、中:チャウスィ郡、右:ムスチスラヴリ郡
四段目左:ブィホフ郡、中:チェリコフ郡、右:クリモヴィチ郡
五段目:ロガチョフ郡
六段目:ゴメリ郡

廃止直前のモギリョフ県は以下の11の郡から成っていた。

モギリョフ県の下位区分(19世紀末 - 1919年)郡行政中心地面積(露里2)郷全域人口(人)行政中心地人口(人)
県全体マヒリョウ42134.6168,676414,7187
ブィホフ郡(ru)ビハウ4105.812,48206381
ゴメリ郡(ru)ホメリ4719.422,47233,6775
ゴルキ郡(ru)ホルキ(ru)2487.012,25596735
クリモヴィチ郡(ru)クリマヴィチ3711.414,32874714
モギリョフ郡(ru)マヒリョウ3009.915,57404,3119
ムスチスラヴリ郡(ru)ムスツィスラウ2220.410,33008514
オルシャ郡(ru)ヴォルシャ4813.918,70681,3061
ロガチョフ郡(ru)ラハチョウ6546.122,46529038
センノ郡(ru)シャンノ4268.816,16524100
チャウスィ郡(ru)チャヴスィ2168.08,86864960
チェリコフ郡(ru)チェルィカウ4083.915,02775249
[註]
・郡名はロシア語、行政中心地名はベラルーシ語を用いている。同地名のロシア語名 / ベラルーシ語名の関係にある。
・面積は平方ベルスタ(露里)。1ベルスタ = 約1067メートル[7]
・人口は1897年の統計による[8]
・旧称:ブィホフ郡 - 1852年までスタロブィホフ郡、ゴメリ郡 - 1852年までベリツァ郡。
・統廃合:バビノヴィチ郡(be)(バビナヴィチ)- 1840年にオルシャ郡へ編入、コプィシ郡(ru)(コプィシ) - 1861年にゴルキ郡へ編入。

民族比率(1897年[9])郡ベラルーシ人ユダヤ人ロシア人ポーランド人ラトビア人
県全体[1]82.4 %12.1 %3.4 %1.0 %…
ヴィホフ郡88.2 %9.1 %………
ゴメリ郡74.1 %14.4 %9.7 %1.0 %…
ゴルキ郡85.4 %13.1 %………
クリモヴィチ郡82.6 %10.8 %5.4 %……
モギリョフ郡69.9 %21.9 %5.6 %1.5 %…
ムスチスラヴリ郡81.5 %16.1 %1.4 %……
オルシャ郡79.9 %12.1 %2.6 %1.8 %2.0 %
ロガチョフ郡86.9 %9.7 %2.0 %1.1 %…
センノ郡85.6 %7.8 %3.4 %2.4 %…
チャウスィ郡89.6 %8.3 %………
チェリコフ郡89.6 %8.6 %………

行政の長「ru:Могилёвская губерния#Руководство губернии」も参照
出身者「Category:モギリョフ県出身の人物」も参照
出典^ a b Могилевская губерния // Малый энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона
^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P845
^ 田中陽兒、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史 2 -18世紀?19世紀-』山川出版社、1994年、P29
^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P1161
^ 東郷正延ら編 『研究社露和辞典(携帯版)』 研究社、1988年、P2434
^ Белорусская губерния // Еврейская энциклопедия Брокгауза и Ефрона
^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P87
^Демоскоп Weekly. Первая всеобщая перепись населения Российской Империи 1897 г. Наличное население в губерниях, уездах, городах Российской Империи (без Финляндии)
^Демоскоп Weekly. Приложение. Справочник статистических показателей


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