モアモア爆笑新鮮組
番組生放送が行われていた川崎岡田屋モアーズ
ジャンルバラエティ番組/演芸番組
放送方式生放送
放送期間1991年7月6日 - 1993年4月3日
放送時間毎週土曜日 16:35 - 17:00
放送局ニッポン放送
パーソナリティはたえ金次郎(初代)
松尾伴内(2代目)
大東めぐみ
提供岡田屋モアーズ
テンプレートを表示
モアモア爆笑新鮮組[1](モアモアばくしょうしんせんぐみ)は、ニッポン放送で、1991年7月6日から1993年4月3日まで毎週土曜日 16:35 - 17:00[1]の時間帯で放送されていた公開放送形式のラジオ番組である。岡田屋モアーズの一社提供[1]。当番組のタイトル「モアモア」とはこれに由来している[2]。 前番組『モアモア歌謡センター』に引き続き、神奈川県川崎市川崎区の川崎駅東口にある、川崎岡田屋モアーズ内の特設ステージから毎週お笑い芸人を迎えて、主にネタ披露とトークで構成。司会は最初、当時のニッポン放送アナウンサーのはたえ金次郎[3]だったが、後に松尾伴内に交替。1991年7月6日の初回のゲストは立川ボーイズと松村邦洋[3]。25分枠ながら基本的に毎週生放送で行われていた[2]。 1993年4月改編で、Jリーグ中継枠(毎週土曜日は14:55、15:20、15:50いずれかから試合終了まで)を新設することによる土曜日編成の変更により[4]、本番組は川崎岡田屋モアーズ内からの公開生放送形式と共に終了した[5]。岡田屋モアーズの一社提供枠のみ『森高千里 '"`UNIQ--templatestyles-0000000C-QINU`"'千里(ちさと)の道も一歩から
概要
司会者
はたえ金次郎 (1991年7月6日 - 9月)[3]
松尾伴内 (1991年10月 - 1993年4月3日)[1]
大東めぐみ (1991年7月6日 - 1993年4月3日 一貫して出演)[1]
主なゲスト
立川ボーイズ(立川談春、立川志らく)[3]
松村邦洋[3]
浅草キッド
MANZAI-C[6]
チェリーズ
男同志[7]
ふうりんかざん(フランキー為谷、寺田体育の日)[7]
相馬ひろみ(現・藤本芝裕)[8]
他多数
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e ラジオ新番組速報版 1991年秋号?1992年秋号 ニッポン放送番組表
^ a b ラジオ新番組速報版(三才ブックス)1991年秋号「AM各局別改編ニュース」p.12
^ a b c d e 読売新聞 1991年7月6日朝刊21面(ラジオ欄)での本番組の紹介記事。
^ ラジオ新番組速報版 1993年春号「春の新番組完全ガイド」(p.12)、ニッポン放送番組表(p.44 - 45)
^ a b ラジオ新番組速報版 1993年春号 ニッポン放送番組表
^ “PICKUP19”. サンハウス. 2024年3月7日閲覧。
^ a b “PICKUP6”. サンハウス. 2024年3月7日閲覧。
^ “協会員プロフィール 藤本芝裕”. 落語芸術協会. 2024年3月7日閲覧。
ニッポン放送 岡田屋モアーズ 一社提供枠(1991年7月?1993年4月)
前番組番組名次番組
モアモア歌謡センターモアモア爆笑新鮮組森高千里 千里の道も一歩から
(日曜日 23:30 - 24:00)
ニッポン放送 土曜16:35?17:00枠(1991年7月?1993年4月)
モアモア歌謡センターモアモア爆笑新鮮組Jリーグスーパースタジアム
(Jリーグ中継が無い場合)
山田邦子 涙の電話リクエスト