モアブ
市
Moab
メインストリート(アメリカ国道191号線)の南を望む
ユタ州内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度34分21秒 西経109度32分59秒 / 北緯38.57250度 西経109.54972度 / 38.57250; -109.54972
モアブ(英: Moab)は、アメリカ合衆国ユタ州の都市。グランド郡の郡庁所在地である[4]。人口は5,366人(2020年)。コロラド州境に近く、アーチーズ国立公園やキャニオンランズ国立公園の玄関口となっている。スリックロック・トレイルなど広範なトレイルのネットワークを利用するマウンテンバイク乗りや、毎年開催されるモアブ・ジープ・サファリに訪れるオフロード車愛好者の基地として人気がある。
歴史シェイクスピア・キャニオン近くにあるインディアンの岩刻絵
聖書に出てくるモアブという名前はヨルダン川東岸にある地域を指している。歴史家の中には、このユタ州のモアブ市がその名前を使うようになったのは、最初の郵便局長ウィリアム・ピアースが、聖書のモアブもこのユタの地方も共に「遙か遠隔の国」にあると考えたからだと考える者がいる[5][6]。しかし、この言葉はパイユート族インディアンに起源があり、蚊を意味する「moapa」に起因すると考える者もいる[7]。この地域の初期住人の中には、聖書のモアブの民が近親相姦や偶像崇拝などで品位を落とされている故に、名前を変えようとした者がいた。1890年に行われた請願では59人が署名してビナへの改名を求めた[8]。またウバダリアに改名しようという動きもあったが、どちらも失敗した[7]。
1800年代、現在のモアブ市周辺は古スペイン・トレイルがコロラド川を渡る場所だった。1855年4月、末日聖徒イエス・キリスト教会員が「エルク・マウンテン・ミッション」と呼ばれた川の渡し場に、川を渡る旅人と交易する交易用砦を設けようとした。この任務に40人の会員が呼ばれた。1855年9月23日にピーター・スタッブスの仲間であるジェイムズ・ハットがインディアンに銃で撃たれて殺されたことなど、インディアンの攻撃が繰り返された[9][10]。その最後の攻撃の後、砦は放棄された[11]。1878年、再度恒久的な開拓地を設ける試みが行われた。モアブは1902年12月20日に法人化された[7]。
1883年、デンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道本線が、ユタ州東部を通って建設された。この線はモアブを通らず、40マイル (64 km) 北にあるトンプソンスプリングスとシスコを通った[12]。その後、リーズフェリー、ナヴァホブリッジ、ボールダーダムなどコロラド川を渡す他の拠点が建設された。これらの変化で交易の道がモアブを離れ、農夫や商人は通り過ぎる旅人との交易から、遠隔の市場まで商品を送る仕事に適応するしかなくなった。間もなく、コロラド川を渡す数少ない天然の渡し場の1つというモアブの位置付けは忘れられた。それでもアメリカ軍が第二次世界大戦までにモアブの橋を護衛下に置くほど重要なものと見なした。
モアブの経済は当初農業に基づいていたが、次第に鉱業に移っていった。1910年代と1920年代に地域でウランやバナジウムが発見された。カリウムやマンガンが続き、さらに石油や天然ガスが発見された。