メロン
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この項目では、果物のメロンについて説明しています。その他の用法については「メロン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

メロン(甜瓜)
カンタロープメロン
分類

:植物界 Plantae
階級なし:被子植物 Angiosperm
階級なし:真正双子葉類 eudicots
階級なし:バラ類 rosids
:ウリ目 Cucurbitales
:ウリ科 Cucurbitaceae
:キュウリ属 Cucumis
:メロン C. melo

学名
Cucumis melo L. (1753)[1]
シノニム


Melo sativus Sager. ex M.Roem. (1846)[2]

和名
メロン
英名
melon[3]

メロン(甜瓜[注釈 1]、和名:メロン、: melon、学名:Cucumis melo)は、果実を食用にするウリ科一年生草本植物である。また、その果物・果実のこと。漢字では甜瓜(てんか)と呼び[7]、これはメロンを指すと同時にマクワウリをも含む表記である。

メロンは園芸分野では果菜(実を食用とする野菜)とされる[8]が、青果市場での取り扱い[8]や、栄養学上の分類[9]では果物あるいは果実と分類される。

インド原産で、中近東を経てヨーロッパに渡った西洋系品種と、中国で広まった東洋系品種があり、各地で栽培されている[7]。現在メロンとよばれる果実は、甘味や香りが強い西洋系メロンが主流で、甘味や香りがない東洋系メロンはウリとよばれている。果皮は緑色や黄色、白色などがあり、無地のほかネットメロンとよばれる網目模様のものや、縦縞模様が入るメロンもある[7]。栄養的にはビタミンCカリウムが豊富なのが特徴。
歴史
起源地と古代文明地への伝播

北アフリカ中近東地方の原産地と推定されたが、2010年に発表された植物学者スザンヌ・レナーとミュンヘン大学の研究者らの遺伝子研究によれば、インドが原産地と裏付けられた[10][11]。インドのインダス渓谷で紀元前2300年 - 同1600年ごろのメロンが、インド中西部で紀元前1600年ごろのものが発見されている[12]。古代インドのアーリア人が、原住民のムンダ族がメロンに名づけていた複数の言葉を借用して、サンスクリット語でチャルバター(carbhatah)やキルビタ(cirbhita)などと呼んでいたが、これがウリ科植物やメロンの仲間を表すラテン語のククルビット(cucurbit)の語源となった[12]

メロンはごく早い時代にインドから西方のイラン(ペルシア)へ広がったとみられており、紀元前3000年ごろのメロンの種子がイラン南東部の古代遺跡シャフリ・ソフタから発見されている[12]紀元前7世紀の古代メソポタミアでは、粘土板に書かれた楔形文字から、バビロニアの王、メロダク・バルアダン2世の菜園でメロンと解釈できる植物が栽培されていたとみられている[13]。紀元前2000年ごろの古代エジプトでは、エジプトメロンやヘビウリが食べられていたともいわれている[14]古代ギリシアにおいて、メロンの仲間についての記述として現れる最も古いものは、紀元前4世紀ヒポクラテスによるもので、科学者の多くはこれがメロンであるとみている[15]古代ローマでも、同様にメロンが食べられていたとみられているが、古代のメロンは現代のような甘いメロンではなかったと考えられている[16]

メロンがインドから東方の中国へ到達した時期は不明であるが、中国浙江省では紀元前3000年ごろのメロン種子が発掘されている[17]。このメロン種子は甘くないメロンだった可能性もあるが、植物学者のテレンス・W・ウォルターズによれば西周時代(紀元前1100年ごろ - 同771年)における中国では、マスクメロンと野菜用メロンは重要な果菜であったという[17]漢代(紀元前206年 - 紀元220年)にはメロンは中国で一般に食べられていた[17]
中世から近世

その後、甘いメロンが作られるまで数世紀に及ぶ改良の努力が行われた。研究者の多くは、中世の終わり(15世紀末)になって、ようやく現代と同じ甘いメロンがアルメニアからイタリアへと入ってきて、その後ヨーロッパ全土に広がったと考えている[18]。中世ヨーロッパではメロンは甘いものということは知られており、甘くて食味の良いメロンも作られていたとみられているが、一方では栽培技術が未熟であったため、メロンは味気ないものという評価もなされていた[19]ルネサンスのころに南フランスでカンタルー種のような甘い品種が作られるようになり、メロンは野菜の仲間ではなくなっていった[20]

近東と中央アジアなどのシルクロード沿いのオアシスでは、栽培環境が整った上に最高品質のメロンが採れ、その種を取引する市場となっていた[21]。10世紀にアラビア語による最古の料理書を編纂したアル=ワッラークは、多様なメロンについて執筆しており、中でも中国産メロンについて「蜂蜜のように甘く、麝香のような芳香を持つ」と評している[22]。6世紀の中国で書かれた農書にはメロンの栽培法について解説されており、『西遊記』の三蔵法師で知られる7世紀代の仏僧・玄奘は、旅先のインド滞在記にメロンについても記録を残している[23]。13世紀モンゴル帝国のシルクロードを旅したマルコ・ポーロは、ペルシアやアフガニスタンで栽培・日干し保存加工されている甘いメロンについて最高のものだと書き、メロンの評判を呼んでいた[24]。14世紀後半に中央アジアを支配したティムールを訪問したスペイン使節団は、中央アジアで食べたメロンの味に魅了され「すばらしく非常に美味しい」と評した[25]

大航海時代に入るとシルクロード(陸路)の交易は廃れたが、16世紀イギリスの探検家アンソニー・ジェンキンソンのほか、19世紀ヴィクトリア朝の探検家フィレッド・バービーナや、ジャーナリストのエドモンド・オドノヴァンらが中央アジアに訪れた際に食べた甘くて新鮮なメロンの美味しさに言及したとされる[26]。16世紀以降、カンタロープメロンと他の甘いメロンがヨーロッパで非常に人気があり、南フランスのカヴィヨン地方はカンタロープメロンの産地として有名になった[27]

新世界には元々メロンは存在しなかったが、クリストファー・コロンブスが1494年のカリブ海域をめざす2度目の航海で初めて持ち込んだ[28]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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