メロエ文字
[Wikipedia|▼Menu]

メロエ文字

神聖象形体と草書体(民衆体)のメロエ文字
類型:アブギダ
言語:メロエ語(en)
おそらく古ヌビア語(en)
時期:紀元前200年頃-紀元後600年
親の文字体系:エジプトヒエログリフ

エジプト民衆書体 (デモティック)

メロエ文字


子の文字体系:古ヌビア文字
Unicode範囲:.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

U+10980?U+1099F メロエ神聖文字

U+109A0?U+109FF メロエ草書体

ISO 15924 コード:.mw-parser-output .monospaced{font-family:monospace,monospace}Mero
注意: このページはUnicodeで書かれた国際音声記号 (IPA) を含む場合があります。
テンプレートを表示

音素文字の歴史


青銅器時代中期-原シナイ
前19-15世紀

ウガリット 前15世紀


原カナン 前14世紀

フェニキア 前11世紀

古ヘブライ 前10世紀

サマリア 前6世紀


アラム 前9世紀

ブラーフミー 前6世紀
インド系

チベット 7世紀

クメール 7世紀

ジャワ 9世紀
他多数


ヘブライ 前3世紀

シリア 前2世紀

ナバテア 前2世紀

アラビア 4世紀

ペルシア 7世紀

ウルドゥ 11世紀

ターナ 18世紀



パフラヴィ 前2世紀

アヴェスタ 4世紀


ソグド

突厥 5世紀

ウイグル 8世紀

(契丹小字 10世紀)

(女真小字 12世紀)


モンゴル 13世紀

満洲 16世紀

シベ 20世紀


トド 17世紀

ワキンダラー 20世紀




ギリシア 前9世紀

エトルリア 前8世紀

ラテン 前7世紀

ルーン 2世紀

オガム 4世紀

ゴート 4世紀



コプト 300年

グルジア 4世紀

アルメニア 405年

グラゴル 862年

キリル 10世紀



イベリア 前6世紀


南アラビア 前9世紀

ゲエズ 前5–6世紀


メロエ 前3世紀
カナダ先住民 1840年
注音 1913年

メロエ文字(メロエもじ、英語:Meroitic script)は、古代エジプト神聖象形文字民衆文字起源を持つ音素文字である。

メロエ文字は、メロエ王国において、少なくとも紀元前200年頃まで、メロエ語を書き記すのに使用されていた。またおそらく、後継者である諸ヌビア王国古ヌビア語を記すのに使用された。メロエ語は後に、アンシャル体のギリシア語アルファベットで書き記され、このとき、三つの古メロエ象形文字が表記に追加された。

基本的に音素文字であるので、メロエ文字はエジプト神聖象形文字と比べて、かなりに異なる使われ方をされた。ある学者、例えばハールマン(Haarmann)は、メロエ文字が、その他の点でギリシア文字とは違う働きを持っているにもかかわらず、主として母音用の文字を備えていることより、この文字の発達にギリシア文字が影響を及ぼしたと信じている。
概説

メロエ文字は本質的にアルファベットであったが、子音の発音については、他の母音の表記がない場合は、母音として /a/ が含まれていることになっていた。単独子音は、子音記号の後に、母音 /e/(シュワー schwa)を続けることで表示された。つまり、二つの文字からなる me は、音節としての /me/ と、単独子音としての /m/ の両方を表している。他方、音節としての /ma/ は、一つの文字、つまり /a/ を含んだ m で表記され、/mi/ は m と i の二つの文字で表記された。その他の幾つかの音節は、特別な象形文字を有していた。この意味で、メロエ文字は、正しくは「半音節」文字であり、同じ頃にインドで起こった文字体系のアブギダと類似している。/n/ や /s/ などの幾つかの音節末子音は、しばしば省略された。
文字

全部で23個の文字記号があった。これらの文字には、4個の母音文字が含まれていた:

a (語頭においてのみ使用された。他の場合、/a/ の母音は子音に予め含まれていた)、e (または
シュワー schwa )、i、o (または u)。

他の母音が付いていない場合は、/a/ の母音があらかじめ付いているとされる14個ほどの子音:

y (a)、w (a)、b (a)、p (a)、m (a)、n (a)、r (a)、l (a)、ch (a) (おそらく、ドイツ語の ich のような硬口蓋子音か、またはオランダ語の dag に似た口蓋垂音 )、kh (a) (ドイツ語の Bach のような軟口蓋子音 )、k (a)、q (a)、s (a)、sh (a)、d (a)、y (a)、

更に、幾つかの音節文字:

ne または ny (a)、se または s (a)、te、to、t (a) または ti。

se は、音節を表していたのか、/?/ としての s とは区別される、子音 /s/ を表していたのかに関し議論が存在する。同様に、ne は音節だったのか、子音 /n/ であったのか。また、t は音節としての ti であったのではないかという議論もある。ある音に関し、アルファベット文字の代わりに音節文字が使用されたのは、一つの統合文字システム内で、メロエ語の方言的なヴァリエーションを表現する必要があったためだろうと考えられている。
二つの字体

メロエ・アルファベットには、二つの書記字体があった。エジプト神聖象形文字から取られた記念碑書体と、民衆文字から派生した草書体である。大部分の文書は草書体で書かれている。エジプト文字の書き方とは異なり、メロエ文字の二つの字体のあいだには、単純な一対一対応が存在した。例外は、草書体では、子音が後続する母音 i と一つに纏められて「合字(リガチュア)」となるということであった。

記念碑書体は草書体よりも後[1]に作られ、支配者層のみ[1]しか使用できなかった。後には支配者層でも草書体の使用が広がり、記念碑書体は信仰に関わる事柄でのみ[1]用いられるようになった。

書記の方向は、草書体では右から左へ、そして上から下へであった。神聖象形文字体では、右から左へとならぶ列のなかで、文字は上から下へと書かれた。記念碑文の文字は、エジプト神聖象形文字の書記法がそうであるように、文書の始まりに、顔の方向が向かっていた。

また、水平あるいは垂直にならべた三個の点からなる文字(記号)があり、単語や句を分離するのに使用された。これが唯一の句読法記号である。
その他

この文字が本当にヌビア諸王国で使用されていたとすると、メロエ文字は、紀元6世紀におけるヌビアへのキリスト教の導入と共に、コプト文字コプト語アルファベット)に置き換えられたことになる。

文字と書記法は、1909年に、英国のエジプト学者であるフランシス・ルウェリン・グリフィスによって解読された。しかし、メロエ語自体が完全には解読されていない[1]ため、文書研究はあまりよく進んでいない。
Unicode

Unicode バージョン 6.1 以降、以下の領域に次の文字が収録されている[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef