メル・ブルックス
Mel Brooks
(2010年撮影)
本名Melvin Kaminsky
(メルヴィン・カミンスキー)
生年月日 (1926-06-28) 1926年6月28日(97歳)
出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク市ブルックリン区
職業映画監督
脚本家
俳優
プロデューサー
ジャンル映画
テレビ番組
ミュージカル
活動期間1949年 -
配偶者フローレンス・バウム
受賞
アカデミー賞
脚本賞
1967年『プロデューサーズ』
名誉賞
2023年
ロサンゼルス映画批評家協会賞
生涯功労賞
2021年
AFI賞
生涯功労賞
2013年
英国アカデミー賞
フェローシップ賞
2016年
エミー賞
ゲスト男優賞(コメディ部門)
1997年『あなたにムチュー』
1998年『あなたにムチュー』
1999年『あなたにムチュー』
脚本賞(バラエティ部門)
1967年『The Sid Caesar, Imogene Coca, Carl Reiner, Howard Morris Special』
グラミー賞
朗読コメディ・アルバム賞
1999年『2000 Year Old Man』
長編ミュージック・ビデオ賞
2002年『Recording 'The Producers': A Musical Romp with Mel Brooks』
ミュージカル・ショー・アルバム賞
2002年『プロデューサーズ』
トニー賞
ミュージカル作品賞
2001年『プロデューサーズ』
ミュージカル脚本賞
2001年『プロデューサーズ』
作詞作曲賞
2001年『プロデューサーズ』
ローレンス・オリヴィエ賞
ニュー・ミュージカル作品賞
2005年『プロデューサーズ』
その他の賞
サターン賞 最優秀監督賞
1975年『ヤング・フランケンシュタイン』ケネディ・センター名誉賞
2009年BFIフェローシップ
2015年
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メル・ブルックス(Mel Brooks, 1926年6月28日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優、プロデューサーである。俳優としても監督としても「コメディ映画の重鎮」として名高い存在として知られた。 ポーランド系ユダヤ人移民の父と、ロシア帝国(のちのウクライナ)キーウ出身のユダヤ人移民の母(旧姓:ブルックマン)の息子として、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる[1][2][3]。出生時の本名はメルヴィン・カミンスキー(Melvin Kaminsky)。2歳の時に父親が亡くなり、16歳でスタンダップ・コメディアンとして舞台を踏む。イースタン・ディストリクト高校を卒業後、心理学専攻の学生としてニューヨーク市立大学ブルックリン校で1年間を過ごした。その後、ヴァージニア・ミリタリー・インスティチュートの士官候補生になる。 軍務を終えてからは、シド・シーザー主演のテレビ番組などでコント作家として活動(番組の共同作家には、ニール・サイモンやウディ・アレンがいた)。1960年代には、カール・ライナーとコンビを組んで発表したコメディーレコード『2000 イヤー・オールド・マン(2000 Year Old Man)』や、原作・脚本を担当したテレビドラマシリーズ『それ行けスマート』で高い評価を得る。 1967年に『プロデューサーズ』で映画監督デビューし、第41回アカデミー賞(1969年)で脚本賞を受賞。以降、『ブレージングサドル』(1974年)、『ヤング・フランケンシュタイン』[4](1974年)、『メル・ブルックス/新サイコ』[5](1977年)、『スペースボール』[6](1987年)などの作品を脚本・監督し、ハリウッドのコメディ映画界、パロディ映画界を象徴する存在となった。 映画監督としてコメディやパロディ映画を専門とするが、「プロデューサー」としては『エレファント・マン』、『女優フランシス』、『ザ・フライ』などのシリアスな作品も手がけている。ただしシリアスな作品の製作は匿名(クレジットなし)で行っており、その理由は「自分の名前がクレジットされるとコメディと誤解されるから」とのこと。 2001年には自身の監督デビュー作『プロデューサーズ』を同名のミュージカルに仕立て、ブロードウェイで歴史的な大ヒットとなる(2007年4月22日閉幕)。2005年、さらにミュージカル版を映画化した『プロデューサーズ』がネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演で公開された。 アメリカ合衆国の文化や芸能に対する長年の貢献が称えられ、2009年、ケネディ・センター名誉賞を受賞。2010年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星となり、2012年にはデヴィッド・リンチとともにAFI名誉博士号を授与される。2013年にはAFI生涯功労賞を受賞し、2024年には第96回アカデミー名誉賞が授与された[7][8][9]。 1951年にブロードウェイダンサーのフローレンス・バウムと結婚し3人の子供を儲けたが、1961年に離婚。1964年に女優のアン・バンクロフトと再婚した(2005年に死別)。 アン・バンクロフトとの間に生まれた息子のマックス・ブルックス
来歴
作風
ユダヤ系アメリカ人であり、デビュー以来、一貫してナチスやアドルフ・ヒトラーを取り上げた作品を製作している。中でもヒトラーの物真似はブルックス自身の十八番で、NBCのコメディ番組『Peeping Times』(1978年)、映画『メル・ブルックスの大脱走』(1983年)、同作公開に合わせて製作されたミュージック・ビデオ『To Be Or Not To Be』(1983年)などでヒトラーを演じている。一連のナチスネタは強烈な風刺精神に基づくもので、「世界中でヒトラーを笑い飛ばすことは、私の生涯の仕事の一つになっている」と語っている[10]。
歴史的評価
アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の4賞すべてを受賞したことがある数少ない人物の一人である。
AFIが「AFIアメリカ映画100年シリーズ」の一環として2000年に選出した「アメリカ喜劇映画ベスト100」では、3本の監督作品がランクインしている[11]。
『ブレージングサドル』(1974年):第6位
『プロデューサーズ』(1967年):第11位
『ヤング・フランケンシュタイン』(1974年):第13位
私生活
フィルモグラフィ
映画