メルヴィンズ
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出典検索?: "メルヴィンズ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年7月)

メルヴィンズ
Melvins
2006年10月 左からバズ、コーディー、
(ドラムに隠れて)デイル、ジャレド
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
ワシントン州 モンテサノ
ジャンルオルタナティヴ・ロック
オルタナティヴ・メタル
グランジ
ドゥームメタル
ノイズロック
ハードコア・パンク (初期)
活動期間1982年 -
レーベルアトランティック・レコード, イピキャック・レコーディングス, C/Z, Man's Ruin, Alternative Tentacles, Alchemy, Boner, Amphetamine Reptile, Slap A Ham
共同作業者ニルヴァーナ
デッド・ケネディーズ
トゥール
ファントマス
フィーカル・マター
Altamont
Big Business
Lustmord
Porn
The Cows
The Murder City Devils
Thrones
公式サイト ⇒†M†E†L†V†I†N†S†

メンバーバズ・オズボーン
デイル・クローヴァー
スティーヴン・マクドナルド

旧メンバー下記参照

メルヴィンズ (Melvins)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。基本的にトリオ編成で活動しているが、2006年から2016年までは2人のドラマーを擁する4ピース・バンドとして活動。また、ライブでは時折、サイド・ギタリストを迎え入れる。

バンド名はオズボーンが従業員として働いていたモンテサノ市にある「Thriftway」というスーパースーパーヴァイザーの名前に由来。そのメルヴィン (Melvin)氏は、他の従業員から非常に軽蔑されていたため、バンドのメンバーも程よく馬鹿げた名前になると感じ取り、これを取って命名した。
来歴

メルヴィンズは1980年初頭、バズ・オズボーン、マット・ルーキン、マイク・ディラードの3人が通っていたワシントン州モンテサノ市にある高校で結成された。結成当初はザ・フージミ・ヘンドリックスのカヴァーをしており、次第に高速なハードコア・パンクを演奏し始めるようになる。ディラードの脱退後、デイル・クローヴァーが参加した際に、バンドは練習の場をワシントン州アバディーン市にあるクローヴァーの実家の奥の部屋に移した。その後すぐに、彼らは他の誰よりも遅くて"重い"曲を演奏し始めた。

1986年、全6曲を収録したEP盤「6 SONGS」をリリース。この作品は再発の度に曲数が追加されていき、最終的には全26曲となった。同年、彼らにとって初めてのフルアルバムとなる『Gluey Porch Treatments』をリリース。当時は、ハードコア要素の強い楽曲が目立ち、曲のほとんどは演奏時間が短めであり、現在のテンポの遅い、重めなサウンドの楽曲は比較的少なかった。

1987年、ルーキンが方向性の違いにより、バンドから離脱[1]。ルーキンの脱退後の翌年、2人は活動拠点地をカリフォルニア州サンフランシスコに移す。

引っ越した際に知り合った、女性ミュージシャン、ロリー・ブラック(かつての名子役、シャーリー・テンプルの次女)を新しいベーシストに迎え、アルバム『Ozma』をレコーディングし、リリースする。彼女の在籍時より、現在のスラッジな作風が徐々に確立され、1991年にリリースされたアルバム『Bullhead』では、「Boris」など重々しい作風の楽曲が収録され、演奏時間の長い楽曲も多くなった。ちなみに、同アルバムはファンからの評判が高く、バンドのなかでも代表傑作であるという評価も多い。他にもEPやライブ・アルバムなど数枚ほど制作するも、ロリーが一身上の都合により離脱。新たなメンバーとして、長年バンドの大ファンだった元アースのジョー・プレストンが加入するも、音楽性の違いから、長くは在籍しなかった。

その後、1993年にメジャー・デビューするまでロリーが復帰した。同年、アトランティック・レコードと契約を交わすことに成功し、アルバム『フーディーニ』を同レーベルよりリリース。メジャーデビューを果たした。デイルが参加したことのあるバンド「ニルヴァーナ」のギタリスト、ボーカリストで、メルヴィンズとは私生活上関係の深かったカート・コバーンが、アルバムの数曲をプロデュースし、収録曲の「Sky Pup」でギタリストとして参加、「Spread Eagle Beagle」ではパーカッションを演奏した[2]。その直後、ロリーが技術上の問題からバンドを解雇される。バズはその理由に関して「彼女は勤労意欲に欠けていた」とだけ述べ、インタビューでは明確な答えを出していない[3]が、実際にはロリーのヘロイン中毒の症状が悪化して音楽活動に支障をきたしていたためである。バズは、お金ばかりかかったと評し、このアルバムの出来に対しては不満を持っている。しかし、現在でもファンから評判の高いアルバムの一つとなっている。

脱退したロリーの代わりに、バズとデイルから依頼され『Gluey Porch Treatments』のリリース元の代表者だった音楽プロデューサー兼ミュージシャンであるマーク・デュートロムが加入する。彼自身は『Houdini』のレコーディングには参加していないものの、収録曲「Lizzy」や「Honey Bucket」のPVにおいてベースを演奏している姿が確認できる。その後、1994年に『ストーナー・ウィッチ』を発表。通常のオルタナティヴ・ロックとは異なったヘヴィな作風を目指すも、前作ほどヒットしなかった。ちなみに、同アルバムより、バズの配偶者であるマッキーがアートワークを担当するようになる。そのため、1996年に発表したアルバム『スタッグ』を持って、アトランティック・レコードとの契約を終了した。その後も、インディーズでバンドは継続的に活動したが、1998年に、デュートロムがソロ活動に専念したいという意向と、住居上の問題[4]から、バンド活動との両立が困難になったことで脱退した。

後任として、オーディションの結果、元カウズのベーシストであるケヴィン・ラトマニスがバンドに加わる。同時に、友人を通して知り合ったマイク・パットンの設立したレーベル「イピキャック・レコーディングス」に移籍。これに伴い、ロサンゼルスを活動の拠点地に移した。花の写真をジャケットに採用した3枚のアルバム『The Maggot』、『The Bootlicker』、『The Crybaby』をリリース。作風の違いによって、三枚のアルバムに分けて収録した。それぞれ、歪んだギターの音色を特徴とするヘヴィな作風の楽曲、アコースティックな音色を用いた楽曲、他のアーティストとのコラボレーション楽曲が中心になっている。同時に、バズがファントマスのメンバーとしての活動も開始。ケヴィンの演奏技術は、メンバーのみならずファンからも好評だった。しかし、活動の途中からライブの出演を直前にキャンセルすることが多くなり、代役のベーシストが参加するようになる。その後、2005年初夏をもってバンドから脱退[5]

2006年、2ピース・バンドとして活動しているビッグ・ビジネスのジャレド・ウォーレン、コーディー・ウィリスの2人を迎え、これまでの3ピース体制から、ツイン・ドラム形式の4ピースバンドとして活動を開始。当初は、ジャレッドのみを採用する予定だったが、コーディーの演奏を見た2人が、その実力に惚れ込みそのまま2人とも招き入れることとなった。


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