メルフェルデン=ヴァルドルフ
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ダルムシュタット行政管区
郡:グロース=ゲーラウ郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度59分23秒 東経08度33分58秒 / 北緯49.98972度 東経8.56611度 / 49.98972; 8.56611座標: 北緯49度59分23秒 東経08度33分58秒 / 北緯49.98972度 東経8.56611度 / 49.98972; 8.56611
標高:海抜 104 m
面積:44.13 km2
人口:

34,641人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:785 人/km2
郵便番号:64546
市外局番:06105
ナンバープレート:GG
自治体コード:

06 4 33 008
行政庁舎の住所:Westendstrase 8
64546 Morfelden-Walldorf
ウェブサイト:www.moerfelden-walldorf.de
首長:トーマス・ヴィンクラー (Thomas Winkler)
郡内の位置

地図

メルフェルデン=ヴァルドルフ (ドイツ語: Morfelden-Walldorf, ドイツ語発音: [m?r?f?ld?n ?vald?rf][2]) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州グロース=ゲーラウ郡に属す市である。人口 34,000人を超え、リュッセルスハイム・アム・マインに次いで同郡で 2番目に大きな街である。
地理
位置

メルフェルデン=ヴァルドルフは、ライン=マイン地方のマイン川下流盆地に位置する。ヘッセン州南部のフランクフルト・アム・マインダルムシュタットヴィースバーデンの大都市トライアングル内にあり、フランクフルト空港の南側にあたる。北部のヴァルドルフ区の中心と南部のメルフェルデン区の中心は約 3.8 km 離れている。両市区の間には種苗栽培園と総合学校があるだけの空き地が約 1.5 km ある。広大なメンヒブルーフ自然保護地区の多くの部分が市の西部にある。メルフェルデンの東、アウトバーン A5号線沿いのオーバーヴァルベルク (145 m) は、旧塵芥処理場のあった場所で、グロース=ゲーラウ郡の最高地点にあたる。
隣接する市町村

メルフェルデン=ヴァルドルフは、北は郡独立市のフランクフルト・アム・マインおよびノイ=イーゼンブルクオッフェンバッハ郡)、東はランゲンおよびエーゲルスバッハ(ともにオッフェンバッハ郡)、南はエルツハウゼンヴァイターシュタット(ともにダルムシュタット=ディーブルク郡)およびビュッテルボルングロース=ゲーラウ郡)、西はグロース=ゲーラウナウハイムおよびリュッセルスハイム・アム・マイン(いずれもグロース=ゲーラウ郡)と境を接している。
市の構成

メルフェルデン=ヴァルドルフは、メルフェルデンおよびヴァルドルフの 2つの市区からなる。かつてはヴァルドルフの北東にグントハイムという村があった。
歴史
メルフェルデン

メルフェルデンは、ロルシュ・コデックス830年から 850年までの間に Mersenualt という表記で記録されており、フランク王国領に属した。メルフェルデンは、時代とともに史料中に以下の表記で記録されている: 1016年 Mersfelt、13世紀から14世紀 Mersevelt、1413年 Mersfeldt、1550年 Merffeld、1573年 Mehrfelden、1614以降現在の Morfelden[3]。メルフェルデンの教会は、1304年にはすでに「グントホールに支教会をもつ教区教会」となっていた。

メルフェルデン周辺は、中世には「ヴィルトバン・ドライアイヒ」と呼ばれる狩猟場の一部をなす広い森林地域であった。この狩猟場と帝国との関係は狩猟場法で規定されていた。これは1338年皇帝ルートヴィヒ・フォン・バイエルンランゲンのマイゲリヒトで制定したものである。この中でこの村はいわゆる 30 ヴィルトフーベン(森の村)の 1つ Mersevelt として記載されている。

この村は交易路沿いの交通の便が良い場所にあったことから、15世紀には税関が設けられるなど交易・交通の要衝に発展した。三十年戦争がこの発展を妨げた。この村は何度も掠奪され、荒廃した。その後ペストがこの町を襲い、1648年に戦争が終わった時には、栄えていた交易地は跡形もなくなっていた。人口が約 500人に達したのはそれから何世紀も経ってからであった。18世紀末にメルフェルデンの人口はやっと約 900人にまで回復した[4]

1600年にメルフェルデンはヘッセン=ダルムシュタット方伯領となり、1806年からはヘッセン大公国領に属した。行政上、この町は、1820年までアムト・ケルスターバッハに属した。このアムトは1816年からはヘッセン大公国のプロヴィンツ・シュタルケンブルクに属した。1821年に大公国にラントラーツベツィルク制が導入され、メルフェルデンはラントラーツベツィルク・ドルンベルクの一部となった。1832年にさらに組織変更がなされ、クライス(郡)が設けられた。これによりメルフェルデンは、グロース=ゲーラウ郡に組み込まれた。大公国のプロヴィンツ、郡、ラントラーツベツィルクは 1848年7月31日に廃止され、レギールングスベツィルクに改組されたが、1852年5月12日に元に戻された。この1848年から1852年までの間、メルフェルデンはレギールングスベツィルク・ダルムシュタットに属した。その後、今日に至るまでの行政改革のいずれにおいてもこの町の所属は変わっていない[3]

19世紀にこの町は、ベッドタウンとして発展した。1920年代にメルフェルデンは労働者運動の牙城となった。こうした発展は1930年代のナチ党の権力掌握によって終結した。

第二次世界大戦後、1948年の通貨改革によりメルフェルデンは便利な住宅地となった。初めは被追放者難民の受け容れによって、その後は継続的な人口流入によって急速な人口増加が起こった。これは 21世紀に入るまで続いた[4]

この町は、1968年3月18日にヘッセン内務大臣により市に昇格した。
ヴァルドルフワルドー派の教会

ヴァルドルフは、1699年に「Waldenserkolonie am Gundhof」(グルントホーフのワルドー派コロニー)として 14家族によって建設された。これについては、ヘッセン=ダルムシュタット方伯エルンスト=ルートヴィヒが、三十年戦争で住む者が大幅に減少した土地にヴァルド派プロテスタントフランス人難民)を受け容れる、と説明している。この町は 1715年から現在の名前になっている。行政上の変遷は上記メルフェルデンを参照のこと。

長年にわたる経済的苦境の後、フランクフルトオランダイギリススイスの改革派組織からの寄附に助けられ、1804/05年にヴァルドルフに教会が建設された。ドイツ語の浸透は徐々にしか進行しなかったが、1815年には神事でフランス語が使われなくなった。

その後、1879年に鉄道 フランクフルト - マンハイム線が営業を開始すると、この町はそれまでの農村からベッドタウンに変貌していった。しかし継続的な移住による発展は、両世界大戦によって阻まれた。

1935年頃から1944年まで、ヴァルドルフには強制収容所ヴァルドルフ分所があった。


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