メルビン・モーラ
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メルビン・モーラ
Melvin Moraボルチモア・オリオールズでの現役時代
(2008年9月13日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地ヤラクイ州アグア・ネグラ
生年月日 (1972-02-02) 1972年2月2日(52歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手(主に三塁手)、外野手
プロ入り1991年 アマチュアFA
初出場CPBL / 1998年2月28日
MLB / 1999年5月30日
最終出場CPBL / 1998年6月6日
MLB / 2011年6月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


Libertader高校

三商タイガース (1998)

ニューヨーク・メッツ (1999 - 2000)

ボルチモア・オリオールズ (2000 - 2009)

コロラド・ロッキーズ (2010)

アリゾナ・ダイヤモンドバックス (2011)

国際大会
代表チーム ベネズエラ代表
WBC2009年
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

メルビン・モーラ・ディアス(Melvin Mora Diaz, 1972年2月2日 - )は、ベネズエラヤラクイ州アグア・ネグラ出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。
経歴
プロ入り前

高校時代はボクサーとして活躍。1981年からベネズエラサッカーリーグの下部組織に所属し、1990年までサッカーをプレーしていた。プロサッカー選手としてパラグアイアルゼンチンへの遠征経験もある[1]
プロ入りとアストロズ傘下時代

1991年ヒューストン・アストロズと契約。しかし、ここではメジャー昇格には至らなかった。
台湾球界時代

1998年には、台湾プロ野球・中華職業棒球大聯盟三商タイガースでもプレイしていた。
メッツ時代

1998年7月24日にニューヨーク・メッツと契約を結んだ[2]マイナーでは、セントルーシー・メッツ(A+級)とノーフォーク・タイズ(AAA級)で計28試合に出場し、打率.241・10打点・1盗塁という打撃成績を残した。守備面では、この頃から内外野どちらでも守れるユーティリティとしての実力を見せており、中堅手遊撃手二塁手左翼手三塁手の各ポジションを守った。

1999年5月30日に本拠地での対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で、「8番・遊撃手」としてメジャーデビューを果たした[3]。同年は外野メインで66試合に出場したが、打率.161に終わった。一方で、マイナーでは82試合の出場で打率.303・8本塁打・36打点・18盗塁・OPS0.844という好成績をマークしている。

2000年は遊撃手、外野の各ポジションで79試合に出場し、打率.260・6本塁打・30打点・7盗塁 (成功率70%) という打撃成績を記録した。
オリオールズ時代

2000年7月28日にトレードでボルチモア・オリオールズに移籍した。なお余談であるが、このトレードには阪神でプレー経験のあるマイク・キンケードが含まれていた[2]

オリオールズ移籍後は53試合に出場し、打率.291・2本塁打・17打点と好調を維持したが、走塁面では5盗塁・8盗塁死 (成功率38%) と不振に陥った。守備では遊撃手に特化し、53試合中52試合で遊撃守備に就いて、守備率.952という内容だった。

2003年までは、遊撃手、中堅手を中心に、複数のポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして出場した。

2004年に三塁手のレギュラーに固定[4]。同年、打率.340はイチローに次ぐリーグ2位、出塁率.419はリーグ1位。シーズン終了後にはシルバースラッガー賞を受賞。

2005年は、打率.283と前年より低下したが、2年ぶりにオールスターに選出された。

3年総額1050万ドルの契約最終年となった2006年、モーラは3年契約以上、年平均900万ドルの契約を要求したが、オリオールズでプレイしたいことを理由に5月19日、契約にノートレード条項を盛り込ませ、3年総額2500万ドルで契約延長[5]

2008年は前半戦こそ打率.232と低迷したが、後半戦は打率.376を記録し、8月にはプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞している。4年ぶりに20本塁打・100打点を達成。

2009年はシーズン開幕前の3月に第2回WBCベネズエラ代表に選出された[6]

シーズンでは5月以降は打率3割を越えることがなく、打率.260、OPS.679と不振に陥った。
ロッキーズ時代

2010年1月5日にコロラド・ロッキーズと125.7万ドルの1年契約を結ぶ。遊撃手を除く内野全ポジションと左翼手で起用され113試合に出場し、打率.285、7本塁打、OPS.779を残した。
ダイヤモンドバックス時代

2010年12月6日にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスと40万ドルの1年契約を結んだ。

2011年は控えとして42試合の出場で出塁率.244と不振に陥り、6月29日にFAとなった。


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