メルキッシャー郡
[Wikipedia|▼Menu]

紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区:アルンスベルク行政管区
郡庁所在地:リューデンシャイト
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度15分44秒 東経07度42分46秒 / 北緯51.26222度 東経7.71278度 / 51.26222; 7.71278座標: 北緯51度15分44秒 東経07度42分46秒 / 北緯51.26222度 東経7.71278度 / 51.26222; 7.71278
面積:1,061.08 km2
人口:

406,793人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:383 人/km2
ナンバープレート:MK
自治体コード:

05 9 62
郡の構成:15 市町村
行政庁舎の住所:Heedfelder Strase 45
58509 Ludenscheid
ウェブサイト: ⇒www.maerkischer-kreis.de
郡長:トーマス・ゲムケ (Thomas Gemke)
州内の位置

地図

メルキッシャー郡 (ドイツ語: Markischer Kreis) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州アルンスベルク行政管区に属す郡である。ザウアーラント北西部に位置しており、南ヴェストファーレン地域に含まれる。
地理
位置

メルキッシャー郡はザウアーラントの西部を含む。北部はルールタールを境とし、南は丘陵に富む。最高地点はエッゲ山地ノルトヘレの海抜 663 m、最低地点は、イーザーローン=ライネン近郊のルール川沿いの海抜 106.2 m である。

郡内を流れる重要な川は、レネ川(ドイツ語版、英語版)、フォルメ川(ドイツ語版、英語版)、ヘネ川(ドイツ語版、英語版)、リスター川(ドイツ語版、英語版)、エスター川および郡の境界をなすルール川である。
隣接する郡

メルキッシャー郡は、北西から時計回りに、ウナ郡ゾースト郡ホーホザウアーラント郡オルペ郡、オーバーベルギッシャー郡(ドイツ語版、英語版)、エネペ=ルール郡(ドイツ語版、英語版)および郡独立市ハーゲンと境を接する。
歴史

メルキッシャー郡は、1975年の地域再編によって、異なる歴史背景を有するヴェストファーレンの地域が合併して成立した。特にクルーゼンシュタイン城を有するヘネタールは、中世からマルク伯領とアルンスベルク伯領(ドイツ語版)との境界をなしていた。これは宗教改革後にはカトリック福音主義との境界でもあった。

郡名は、マルク伯領であったことに由来する。マルク伯は、現在ハム=エントロープ管区に属す市区となっているマルク村に一族累代の城を構えて、現在の郡域の大部分を収めていた。マルク伯領の全体像は、ザウアーラント、ルール川沿いのベルギシェス=メルキシェス・ヒューゲルラント、現在のルール地方やゾースト盆地(ドイツ語版、英語版)を含むものであった。また、現在の郡域は、アルテナ伯領(ドイツ語版)、リムブルク伯領(ドイツ語版、英語版)、ケルン選帝侯のヴェストファーレン公領(ドイツ語版、英語版)が合併して成立した。地域再編の際、現在のメルキッシャー郡に「メルキッシュ」という名前が与えられた理由は明らかでない。むしろ、エネペ=ルール郡(ドイツ語版、英語版)が「メルキッシャー郡」と呼ばれたり、郡独立市のボーフムハムハーゲンが「メルキッシャー市」と呼ばれる可能性もあった[2][3][4]。立法機関は、意識的に領邦時代を遡って、歴史的現実とほとんど関わりのない名称を選択したのであった[5]

現在カトリックのパーダーボルン大司教区(ドイツ語版、英語版)と新しいエッセン司教区(ドイツ語版、英語版)との境界がメルキッシャー郡内を通っている。この地域は歴史的にはケルン大司教区(ドイツ語版、英語版)の一部であった。
地域再編

メルキッシャー郡は、自治体再編に伴い1975年1月1日に、郡独立市イーザーローン、イーザーローン郡(シュヴェールテと旧ホーエンリムブルク市を除く)、リューデンシャイト郡、アムト・バルヴェを含むバルヴェ市、アルンスベルク郡のアスベックが合併して成立した[6]。リューデンシャイト郡は1969年にアルテナ郡と郡独立市リューデンシャイトが合併して成立した郡であった。

メルキッシャー郡は、郡域再編後にリューデンシャイトに新築された郡庁舎の他、旧郡庁所在地のイーザーローンアルテナにも行政庁舎を有している。
住民
人口推移

時点人口(人)
1961年6月6日399,213
1962年12月31日406,876
1965年12月31日424,001
1970年5月27日432,405
1970年12月31日435,991
1975年12月31日428,896
1980年12月31日425,294
1985年12月31日411,507

時点人口(人)
1987年5月25日421,321
1990年12月31日443,026
1995年12月31日458,221
2000年12月31日457,465
2005年12月31日448,800
2010年12月31日430,965
2014年12月31日413,820
2021年12月31日406,793

1961年、1970年、1987年の数値は人口調査結果によるものである。

1977年以前のデータは、1976年7月1日の市域から換算している。数値はノルトライン=ヴェストファーレン州統計担当部局による[7]

2014年 IT.NRWによれば、2025年までの今後10年間で人口は約37,200人、約 10 % 減少すると予測している。2015年 IT.NRW の一般予想によれば2014年から2040年の人口減少率は 20 % を超えると予想している。さらに IT.NRW は、人口統計学的動向(年齢構成)に基づく同じ期間の労働人口について、28.6 % の減少(200,500人から143,100人に57,400人減少する)と予想している。
行政メルキッシャー郡郡役場
専任郡長

1997年 - 1999年: クラウス・トヴェール (
SPD)

1999年 - 2009年: アオリス・シュテップーン (CDU)

2009年 - : トーマス・ゲムケ(CDU)

名誉職の郡長(1997年まで)

1975年: ハインツ・ビックマン (CDU) 委嘱

1975年 - 1994年: ヴァルター・ホスタート (CDU)

1994年 - 1997年: クラウス・トヴェール (SPD)

上級郡監督(1997年まで)

1975年: ヴィルフリート・ドロステ (SPD) 委嘱

1975年 - 1986年: ユルゲン・アルバート (CDU)

1986年 - 1997年: ベルンハルト・シュナイダー (CDU)

郡議会

2014年9月現在の政党別郡議会議席数を以下に示す[8]

CDUSPDGRUNEFDPUWGDIE LINKEAfDNPDPIRATEN合計
2721533321166

紋章

図柄: メルキッシャー郡の紋章は、 - 白(銀)の3層の格子模様の帯で上下二分割。上部は黄色地(金地)で、赤い爪と舌で威嚇する黒い獅子の半身。下部は白地(銀地)で、端から端まで貫く黒十字[9]

解説: 紋章の上部は旧アルテナ郡の紋章に由来する。この旧アルテナ郡の紋章にもすでに採用されていた赤 - 白の市松模様の帯は、マルク伯領の領主で創設者であるマルク伯家の紋章である。紋章の獅子は、旧アルテナ伯領の、後にはマルク伯領の紋章動物である。

マルク伯アドルフ1世(ドイツ語版、英語版)は、ベルク=アルテナ家出身のマルク、アルテナ、クリーケンベックの伯であり、マルク伯領およびマルク家の創始者である。彼は金地に市松模様の帯と半身を現した獅子の紋章を使用した。配色については伝えられていなかったが、アルテナ城(ドイツ語版、英語版)のステンドグラスに用いられている金地に赤い色で威嚇する黒い獅子が採用された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:62 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef