メリーランド大学
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度59分15.0秒 西経76度56分24.0秒 / 北緯38.987500度 西経76.940000度 / 38.987500; -76.940000

University of Maryland, College Park
旧称Maryland Agricultural College (1856年-1916年)
Maryland State College (1916年-1920年)[1]
モットーFatti maschii, parole femine ()
Strong deeds, gentle words()非公式[2]
種別旗艦 公立大学
ランドグラント
Sea-grant
Space-grant
設立年1856年
資金98億6200万ドル (2015年)[3]
学長ウォレス・ロー
Wallace Loh[4]
プロヴォストメアリー・アン・ランキン
Mary Ann Rankin
教員数4,509人 (2015年秋)[5]
職員数5,315人 (2015年秋)[5]
学生総数38,140人 (2015年秋)
学部生27,443人 (2015年秋)[6]
大学院生10,697人 (2015年秋)[7]
所在地 アメリカ合衆国
メリーランド州カレッジパーク
北緯38度59分17秒 西経76度56分41秒 / 北緯38.98806度 西経76.94472度 / 38.98806; -76.94472
キャンパス都市部, 1,250エーカー (5.1 km2)[8]
機関紙ダイアモンドバック
The Diamondback
スクールカラー赤、黄、黒、白[9]
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運動競技NCAA Division I ? Big Ten
MAISA
ニックネームTerrapins, Terps
マスコットTestudo
University System of Maryland
AAU
Fields Institute
CIC
CUWMA
APLU
ORAU
URA
Universitas 21
公式サイト ⇒www.umd.edu
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メリーランド大学カレッジパーク校(メリーランドだいがくカレッジパークこう、University of Maryland, College Park)はアメリカ合衆国ワシントンD.C.の郊外メリーランド州カレッジパークに位置する州立総合大学である。大学の略称は「UMD」。ノーベル賞フィールズ賞受賞者を輩出している。パブリック・アイビー(州立大学版アイビーリーグ)の一校に数えられる[10][11]メリーランド州で最も規模の大きい大学であり、国内大学ランキング、世界大学ランキング常連の名門校。[12][13]イリノイ大学ミシガン大学ウィスコンシン大学などに並ぶ、ビッグテンカンファレンスの加盟校の一校。2016年時点で100を越える学部専攻と120を越える博士課程プログラムを取り扱っている。

工学部の研究が盛んで、特にコンピューターサイエンス分野の研究に強く2008-2018年のランキングは国内11位、2018年US Newsランキングによるとハーバード大学、カリフォルニア大学サンディエゴと同位で16位にランクインしている。[14][15]また、物理学、特に量子・物性物理分野の研究に強く、国内9位、世界16位にランクインしている。[16][17]

アメリカ合衆国首都ワシントンDCに近い地理を生かした研究パートナーシップがアメリカ連邦政府と敷かれており、金銭面や施設面のサポートを各機関から受けている。(アメリカ航空宇宙局、アメリカ国立衛生研究所、アメリカ国立標準技術研究所 、アメリカ食品医薬品局、アメリカ合衆国国土安全保障省[18][19]メリーランド大学カレッジパーク校は2016年にメリーランド大学ボルチモア校と提携を結び、研究援助金を元手にキャンパス内で医療、科学、教育のプログラムを行っている。2017年度支援額は約$2.1 billion, 日本円にして2310億円にも上る(1ドル110円計算)。2018年度には同校は$545 million, 日本円にして599.5億円の追加研究資金援助を受ける。[20]
歴史
初期

1856年3月6日に、メリーランド大学はメリーランド農業カレッジ (Maryland Agricultural College、略称:MAC) として認可を受けた。2年後の1858年、カレッジパークにあったリバーデール農園が保有していた420エーカー(1.7 km2)の土地を、二代目のボルティモア統治者であるセシル・カルバートの子孫であり、後にアメリカ合衆国議会議員となるチャールズ・B・カルバートが$21,000で取得した。カルバートは株式を売却した費用を充て、同年暮れに学校を設立した。1859年10月6日、カルバートの4人の息子を含む34名が、第一期生としてメリーランド農業カレッジに入学した。開校日の基調公演を行ったのは、スミソニアン学術協会の初代長官であったジョセフ・ヘンリーであった。

1862年6月、メリーランド農業カレッジが初めて学位を授与した同月、時の大統領エイブラハム・リンカーンはMorrill Land Grant Act(モリル・ランドグラント法)を制定した。この立法により、農業・工業、および軍事訓練を教える学校に対して政府補助が支出されることとなった。1864年2月にメリーランド州議会がこのモリル・ランドグラント法を承認した後に、この法制を活用してメリーランド農業カレッジはランドグラント大学の一つになった。
南北戦争の終わり

認可を受けた数ヶ月後、メリーランド農業カレッジは南北戦争における戦略地域の一部に位置付けられた。1864年4月に、アンブローズ・E・バーンサイド将軍及び北軍第六軍隊の6,000人の兵士は MAC キャンパスに駐屯した。兵士はバージニア州のユリシーズ・S・グラント将軍の兵力の増強ために回された。その年の晩夏、ブラッドリー・T・ジョンソン将軍に率いられた南軍の兵士は、ワシントン襲撃の準備期間にかの地に留まることとなった。このような南北戦争による問題と、入学者数の減少によりメリーランド農業カレッジは破綻することとなる。その後二年間に渡り、キャンパスは男子向けの予備校として使用された。
校名と大学構成の変更

1997年にメリーランド州議会は、メリーランド大学システムの最重要機関であるメリーランド大学カレッジパーク校を、シンプルに"メリーランド大学"として認知する為の立法を通過させた。本件に関する詳細情報は右記に示す同大の公表を参照のこと ⇒"Identity Guide" (PDF format)。

メリーランド大学ボルチモア校(UMB)は時に"University of Maryland"と称されることがあるが、UMBは専門大学院教育にその対象範囲が限られることから、特に混乱を招いてはいない。
学問
学部構成

College of Agriculture and Natural Resources

School of Architecture, Planning, and Preservation

College of Arts and Humanities

College of Behavioral and Social Sciences

Robert H. Smith School of Business


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