メリーチョコレートカムパニー
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ロッテホールディングス > メリーチョコレートカムパニー

株式会社メリーチョコレートカムパニー
Mary Chocolate Co.,Ltd.本社・大森工場(2023年2月)
種類株式会社
本社所在地 日本
143-8508
東京都大田区大森西七丁目1番14号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度34分13.6秒 東経139度43分11.0秒 / 北緯35.570444度 東経139.719722度 / 35.570444; 139.719722座標: 北緯35度34分13.6秒 東経139度43分11.0秒 / 北緯35.570444度 東経139.719722度 / 35.570444; 139.719722
設立1952年9月
業種食料品
法人番号4010801011868
事業内容高級チョコレートの製造・販売
代表者小屋松 儀晃(代表取締役社長)
資本金1億円
売上高175億2,630万円
(2009年8月期)
営業利益約19億円
(2008年8月期)
純利益8億5700万円
(2023年3月期)[1]
総資産201億1800万円
(2023年3月期)[1]
従業員数707名
決算期8月
主要株主ロッテホールディングス(100%)
関係する人物原邦生(2代目社長)
外部リンクhttps://www.mary.co.jp/
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株式会社メリーチョコレートカムパニーは、東京都大田区大森西本社を置く、日本の洋菓子メーカー。主力商品はチョコレート

菓子メーカーとしては早期から情報技術への投資を進めた。現在は、ロッテグループの一員となっている(下記 沿革欄等 参照)。
概要

販売チャネルは、百貨店総合スーパー(GMS)を中心としており、2004年時点の売上高の比率は、百貨店が58%、GMSが28%、残り14%はテーマパーク空港売店、ブライダル直販などとなっている[2]。創業以来問屋を通さない直販システムを採用しており、百貨店・専門店に250店舗、量販店には1,250店舗を展開する[3]東京本社の他に、札幌仙台名古屋大阪福岡の5支店を設け、全国を15ブロックに分けて統括している[2]

商品は、主力のチョコレート以外に、キャンディゼリークッキーマロングラッセなどがあり、本社に隣接した大森工場および情報流通センターのある船橋工場で製造している[2]2008年の経常利益率は10.0%[3]と高収益を上げて[4]おり、日本国内のチョコレート業界で第3位のシェア[2]を持つロッテホールディングスの傘下にある[5][要出典]。
歴史

モロゾフの菓子職人だった原堅太郎が1949年東京都目黒区の小さい作業場でチョコレート製造を始めたが、売上不振で翌1950年に操業を停止している[6]

1952年に再スタートし、現在の青山、表参道エリアにあたる渋谷区青葉町(現・渋谷区神宮前)に資本金50万円で株式会社メリーチョコレートカムパニーを設立した。

1956年には同区鶯谷町に本社と工場を移転している。1958年2月12日から2月14日にかけては、アルバイトをしていた堅太郎の次男・原邦生伊勢丹新宿店で同社初のバレンタインデーフェアを行なった。これは日本初のバレンタインデーイベントと言われている[7]

創業7年目の1958年の販売先は64店舗しかなかったが、やがて三越阪急百貨店などとも取引を始め、1969年にはロサンゼルスに初の海外店舗を出店した[8]。また、同年10月に大田区大森西の現在地に本社工場を新築・移転している。1971年には三菱電機MELCOMを導入して在庫管理に活用し、翌年からは納入伝票の発行を自動化するなど早くから情報技術に投資を行なった。1975年には後のPOSの原型となる販売日報制度を導入し、各店舗から商品動向や顧客の要望を毎日吸い上げる仕組みを整えた[2]

1972年にはマロングラッセ1978年にはデザートゼリーの製造販売を開始[9]1985年に堅太郎の長男で専務の原晃が、翌1986年には社長の堅太郎がそれぞれ亡くなると、営業担当の取締役だった原邦生が社長に就任した。同年には2ヶ所目の製造拠点となる船橋工場を建設している[要出典]。

一方で、1982年に本社のメインコンピュータと各売場の端末を接続するなど、発注や売上・店舗報告をオンライン化するなど同年までの14年間で77億円に上る情報関連の投資を進め、1994年には船橋で工場増築と情報流通センター建設に33億円を投じている[10]。これによって在庫・商品管理の効率は大きく向上し、船橋の情報流通センターでは在庫管理から出荷までをバーコード入力により自動化し、それまで75人で行なっていた作業を7人で進められるようになった[11]ほか、200億円分の製品を出荷して不明金は20万円にとどまり、不正防止にも効果を発揮している[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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