メリディアン_(アイダホ州)
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メリディアン
City of Meridian

メリディアンの歓迎看板
愛称 : トレジャー・バレーの中心
位置

アイダホ州におけるエイダ郡(右図)およびメリディアンの位置
座標 : 北緯43度36分51秒 西経116度23分56秒 / 北緯43.61417度 西経116.39889度 / 43.61417; -116.39889
歴史
村1903年
行政
アメリカ合衆国
 アイダホ州
 エイダ郡
メリディアン
City of Meridian
市長タミー・ド・ウィアード
地理
面積 
  域30.5 km2 (11.8 mi2)
    陸上  30.5 km2 (11.8 mi2)
    水面  0.0 km2 (0.0 mi2)
      水面面積比率    0%
標高794 m (2605 ft)
人口
人口(2010年現在)
  域75,092人
    人口密度  1143.7人/km2(2962.1人/mi2)
  都市圏624,000人
その他
等時帯山岳部標準時 (UTC-7)
夏時間山岳部夏時間 (UTC-6)
公式ウェブサイト : ⇒City of Meridian

メリディアン(: Meridian)は、アメリカ合衆国アイダホ州エイダ郡で2番目かつ州内では3番目に大きな都市である。2010年国勢調査での人口は75,092人だった[1]。これによってポカテッロアイダホフォールズを抜いて州内第3位になった。1位は東にある州都ボイシ、2位は西にあるナンパであり、すべてトレジャー・バレーの中にあり、ボイシ都市圏を構成している。メリディアンは州内で人口増加率が最大の都市であり、2000年から2010年までに115%増加した[1]。メリディアン教育学区は州内最大の教育学区である。
目次

1 歴史

1.1 灌漑(1890年 - 現在)

1.2 村(1903年 - 1941年)

1.3 鉄道輸送(1908年 - 1928年)

1.4 乳製品(1929年 - 1970年)


2 地理

3 気候

4 人口動態

4.1 収入


5 政府

6 交通

7 文化

8 レクリエーション

9 著名な住人

10 脚注

11 外部リンク

歴史

メリディアンとなった町は1891年に現在の地の北にあるオンワイラー農園に造られ、ハンターと呼ばれた。2年後にI.O.O.F.(インデペンデント・オーダー・オブ・オッド・フェローズ)の支部が造られ、ボイシ・メリディアン(ボイシを通る経線)に位置していたのでメリディアンと名付け、町の名前もそれに合わせて改名された。1892年、開拓者が灌漑水路を造って乾燥した地域を生産的農地に変え、1902年に自治体化された[2]
灌漑(1890年 - 現在)

この地域に到着した初期開拓者達は重力流灌漑に関する知識を持たなかった。元住んでいた所は作物を育てるために雨が適度の水分をもたらす地域だった。アメリカ合衆国公有地管理局から土地特許を取得するためには、水源を持つことが要求されたので、直ぐに灌漑の必要性が認識された。

灌漑は昔も今も骨の折れる仕事であり続けている。ショベルを使う長時間労働は新しい灌漑手段の利用で短縮されたが、それでも農業生産に携わる者には日常の仕事である。初期開拓者の多くは、作物に水をやるのが大変な場所に留まるよりも、雨が降る元居た場所に戻る道を選んだ。アイダホに留まった者は忍耐力のある市民だった。ナンパ・メリディアン開拓者灌漑地区のような灌漑組織がメリディアン地域の灌漑に関わり続けている。
村(1903年 - 1941年)

当初のメリディアンの町は1893年にイライザ・アン・ゼンガーに属するホームステッド法で与えられた土地に当てられた。その夫であるクリスチャンが一画を郡事務所に当て、それをメリディアンと呼んだ。初期開拓者の多くは親戚同士であり、荷車隊か移民用列車でミズーリ州にあった家から西部に来ており、その小屋を運び、信仰もそのままだった。彼等は到着から間もなく地方機関を設立し、ホームステッド用地を登録した。換言すれば以前の地域社会をそのまま運んできていた。

20世紀への変わり目頃、開拓者達は果樹園を造り、鉄道にそって果物の荷造り場やプルーン乾燥場を備えた。果樹園では多くの種類のリンゴやプルーンを育てた。果樹の生産は1940年代半ばまで続いたが、利益が出なくなったときに廃業された。1941年、メリディアンは村から市に移行した。
鉄道輸送(1908年 - 1928年)

オンワイラーからの都市間鉄道(メリディアン・アンド・アスティック鉄道)を敷くために4,000ドルが手当された後、メリディアンの中心部に鉄道が完成した。列車はブロードウェイで東に転じ、東2番通りで止まった後でメリディアンで夜を過ごし、翌朝早くに乗客と荷物を載せてボイシに向かった。1912年には都市間鉄道の駅と発電所(メリディアン通りとアイダホ通りにある古い図書館の西側3分の1)が建設され、鉄道はメリディアンを通ってナンパに繋がれた。ブロードウェイを通る線路は1912年以降使われなかった。都市間鉄道会社は破産管財人の管理下に置かれて1920年に閉鎖された。近郷の町への主要な連絡手段となり、経済的な輸送手段となったのは20年間だった。

ユニオン・パシフィック鉄道の分岐線が1900年に開通し、現在はアイダホ・ノーザン・アンド・パシフィック鉄道が運行している。この線を使って多くの工業会社が林業、農業および化学の産品を運び続けている。
乳製品(1929年 - 1970年) 歴史遺産パビリオン、メリディアン市役所広場、当初の乳製品製造所の煉瓦壁

世界恐慌のドン底にあった頃、アダ郡酪農業者協同組合製造所が1929年に運転を開始し、地域の酪農業に日が当たった。協同組合の会員に牛乳の検査機能を提供することで、税金を払えるようにし、家族のために食料をもたらすことを可能にした。地域社会の他の住人は牛乳を製造所に運び、また製造所で雇われ、製品はチャレンジ・バターの商品になった。

この製造所は40年間毎日製造を続けた。工場がフル稼働だったときに増設や改良も行われた。その後ワイス研究所がこの製造所を傘下に入れ、粉ミルクを製造させた。

1970年に製造所が閉鎖され、酪農家の牛乳はコールドウェル乳製品製造所に運ばれて加工されるようになった。



地理

メリディアンは北緯43度36分51秒 西経116度23分56秒 / 北緯43.61417度 西経116.39889度 / 43.61417; -116.39889に位置する。アメリカ合衆国国勢調査局による報告では、この内陸の町の市域全面積は11.8平方マイル (30.5 km2)であり、すべて陸地である。

メリディアンの市域の大半は平であり、大まかにはトレジャー・バレーの北中部に位置する。市の南端に沿っては段丘がある。市内には概ね南東から北西に流れる幾つかの灌漑用運河が通っている。市の遙か南にはスネーク川が流れている。北には標高5,873フィート (1,790 m) のスコー・ビュートが見える。北東には標高7,572フィート (2,308 m) のシェイファー・ビュートがある。遙か南にはオワイヒー山脈が見える。
気候

メリディアンの気候は半乾燥帯に区分され、四季がはっきりしている。夏は暑く乾燥し、気温は100°F (38℃)を超えることが多い。冬は寒く時には軽い降雪がある。降水は通常希であり少量であって、通常は1ヶ月当たり1インチ (25.4 mm) 未満である。1月が最も降水量が多くて、平均して1.35インチ (34 mm) であり、8月が最も少ない月で、0.26インチ (6.6 mm) となっている。春と秋は概して温暖である。



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