メリッサ・オフ・ダ・マー
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メリッサ・オフ・ダ・マー
Melissa Auf der Maur
2005年のライヴにて
基本情報
別名MAdM
生誕 (1972-03-17) 1972年3月17日(52歳)
カナダ
ケベック州モントリオール
ジャンルオルタナティヴ・ロック
職業ミュージシャン写真家
担当楽器ベースヴォーカル
共同作業者スマッシング・パンプキンズ
ホール
Hand of Doom
The Chelsea
公式サイト ⇒www.xmadmx.com

メリッサ・オフ・ダ・マー(英語: Melissa Gaboriau Auf der Maur、1972年3月17日 - )は、カナダケベック州モントリオール出身のミュージシャン。ホールスマッシング・パンプキンズのベーシストだったことで知られる。ミュージシャン以外にも、写真家・モデル・女優としての顔を持つ。
生い立ち

メリッサは1972年3月17日にカナダケベック州モントリオールで生まれた。父親はドイツ系スイス人の血を引くジャーナリスト兼政治家であるニック・オフ・ダ・マー(オフ・ダ・マーとはドイツ語で壁の上という意味である)[1]、母親のリンダはフランス語を学ぶためにモントリオールに移住したボストン生まれのアメリカ人で、カナダ初の女性ロックDJであり、現在は翻訳家として活躍している。当時ジャーナリストをしていたリンダはコンサートで知り合ったニックと一夜の関係を持ち妊娠したが、彼にはそのことを知らせないままメリッサを出産したため、メリッサは長らく実の父親を知らなかったという[2]。幼少期の彼女は母親に連れられ、アフリカやロンドンを旅し、ヒッピーの多いボヘミアンな環境で育った。その後、彼女はアートスクールに入学し、写真を学ぶ傍ら、聖歌隊に所属したり、ピアノトランペットを習うなど、音楽活動に高い関心を示すようになった。
キャリア
ミュージシャンへ

18歳になった彼女はコンコルディア大学で写真を専攻し始める。そして1991年7月、彼女は当時のルームメートだったブルースと一緒に当時初のカナダツアー中だったスマッシング・パンプキンズのモントリオール公演を観に行ったが、ブルースがヴォーカルのビリー・コーガンに野次を飛ばして喧嘩になったため、終演後にモントリオールを代表してビリーに謝罪したのをきっかけに文通を始めるようになった(ちなみにブルースは後にGodspeed You! Black Emperorのドラマーになっている)。

その後、パンプキンズのダーシーやホールのジル・エメリといった女性ベーシストに感銘を受けたメリッサは19歳で独学でベースを弾き始め、当時のボーイフレンドであったスティーヴ・デュランドらと共にティンカー(Tinker)というバンドを結成し、EPを1枚リリースした。ティンカーは1993年には再びモントリオールを訪れたパンプキンズの前座を務めるが、ビリーはメリッサの演奏スタイルやステージ上での存在感を気に入り、1994年6月に彼の元恋人のコートニー・ラヴがヴォーカルを務めるホールのベーシストにメリッサを推薦した。当時まだ大学生だったメリッサはボーイフレンドを残してアメリカに移住することに難色を示し一度はこのオファーを断るが、ビリーや父親のニック、そしてコートニーから直々に電話で説得を受け、大学を中退してホールに加入することを決意した。
ホール時代

ティンカー時代に6,7回しかステージでの演奏経験がなかったメリッサのホールの一員としての初ライヴは、加入からわずか2週間後、65,000人を前にしてのイギリスのレディング・フェスティバル公演だった。彼女は緊張しながらもこの大役を難なくこなし、当時発売されたばかりだったホールのセカンド・アルバム、『リヴ・スルー・ジス』のツアーで世界中を回り、さらに演奏力を上げていった。1995年2月にはホールの新宿リキッドルーム公演を行うために初めて日本を訪れている。女性ミュージシャンには辛口なことで知られるコートニーですら、「メリッサは女神よ。彼女は世界中で最も素晴らしい共犯者でロックスターなんだから。彼女はあたしが知っている人の中で最もスタイリッシュな女性で、素晴らしいミュージシャンなの」とべた褒めするほどだった[3]

メリッサはその後、バンドメンバーとともにロサンゼルスに移住し、サード・アルバムのレコーディングを開始した。このアルバム、『セレブリティ・スキン』はリリースされるとビルボード・チャートで最高9位を記録し、グラミー賞に3部門に渡ってノミネートされるなど、ホールのアルバムの中で最高のセールスを記録。マリリン・マンソンとジョイント・ツアーを行うなど、ホールはバンドとしての絶頂期を迎えた(ちなみに、ホールは1999年度のフジ・ロック・フェスティバルのグリーン・ステージ出演が決まっていたが、コートニーが出演する映画の撮影スケジュールと出演日が重なったため、出演をキャンセルしている)バンド活動が多忙を極めるようになったちょうどその頃、メリッサはソロ活動を始めるためにホールを脱退することを決意するが、ある日彼女はビリーから電話をもらい、パンプキンズを脱退したダーシーの後任として、バンドに加入するように頼まれた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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