メディア・リテラシー
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メディア・リテラシーとは、メディアの機能を理解するとともに、あらゆる形態のメディア・メッセージを調べ、批判的に分析評価し、創造的に自己表現し、それによって市民社会に参加し、異文化を超えて対話し、行動する能力である。また、用語としてのメディア・リテラシーはメディア・リテラシーの実践や運動を含む。
概要

世界的に広く使われている有力な定義としては、NAMLE(全米メディア・リテラシー教育学会)やカナダのAML(メディア・リテラシー協会)の影響を受けて設立されたアメリカのCML[注 1]欧州連合(EU)、ユネスコによる定義があげられる。

NAMLEの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーとは、あらゆるコミュニケーション形態を用いてアクセス、分析、評価、創造し、行動する能力である。もっとも単純な用語としては、メディア・リテラシーは伝統的なリテラシーを土台とし、新しい読み書きの形態をもたらすものである。メディア・リテラシーは、人々を批判的に思考し、かつ創造し、効果的にコミュニケーションするアクティブな市民にする。」[1]

また、CMLの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーは、多様な形態(印刷からビデオ、インターネットまで)のメッセージへアクセス、分析、評価、創造、参加するための枠組みをもたらす。メディア・リテラシーは、社会におけるメディアの役割の理解を構築するとともに探究に必須のスキルであり、民主主義社会における市民の自己表現に不可欠なものである。」[2]

EUの定義は以下の通りである。「メディア・リテラシーはあらゆる技術的、認知的、社会的、市民的および創造的諸能力に関わるものであり、それらは私たちがメディアへアクセスし、その批判的理解とメディアとの関わりあいを可能にする。これらの諸能力によって私たちは批判的思考力を鍛えるとともに、社会の経済的、社会的、文化的側面に参加し、民主主義的プロセスへ積極的な役割を演じることを可能にする。」[3]

一方、ユネスコはメディア・リテラシーと図書館界を中心に概念が形成された情報リテラシー[4] を統合し、ニュース情報を批判的に評価する能力としてのニュース・リテラシー[5] や情報・コミュニケーション技術を用いる能力としてのデジタル・リテラシー[6] などの新たなリテラシーを包含したメディア情報リテラシー[注 2]と呼ばれる用語を用いる。ユネスコによる情報リテラシーおよびメディア・リテラシーの定義は以下の通りである。[7]

情報リテラシー

情報の必要性を明確化・区分化する。

情報の場所を特定し、アクセスする。

情報を批判的に評価する。

情報を組織する。

情報を倫理的に利用する。

情報を交流する。

情報の加工のためにICTを利用する。

メディア・リテラシー

民主主義社会におけるメディアの役割と機能を理解する。

メディアがその機能を十分に発揮しうる条件を理解する。

メディア機能の観点からメディア・コンテンツを批判的に評価する。

自己表現、異文化間対話、民主主義的参加のためにメディアに取り組む。

ユーザー・コンテンツを創造するのに必要なスキル(ICTを含む)を身につけて用いる。

なお、ユネスコの定義に見られるように、メディア・リテラシーは情報リテラシーやニュース・リテラシーとは異なる概念であることに注意が必要である。とりわけメディア・リテラシーと情報リテラシーの類似性や違いについてはさまざまな議論がある。[8]
メディア・リテラシーの基本原理

メディア・リテラシーの概念をより正確に理解するためには、その基本原理と発展過程を理解する必要がある。メディア・リテラシーの基本原理の多くはイギリスのメディア・リテラシー研究者のマスターマン(Len Masterman)の研究に負っている。それに加えて、マスターマンに影響を与えた理論や思想、さらにはカナダのメディア研究者マーシャル・マクルーハンの影響についても考慮する必要があるが、本項では主としてメディア・リテラシーの基本原理に焦点を当てる。メディア・リテラシーの基本原理にとって重要な概念は、プロダクション(生産・制作)、リプリゼンテーション(テレビや演劇など、構成された表現・表象)、オーディエンス(視聴者)であり、これらの基礎概念の理解が求められる。また、用語としてのメディアがより具体的な表現であるメディア・テクストやメディア・メッセージといった用語に変化していった過程や、社会化の主体(エイジェント)としてのメディアという表現にも注目するとよいだろう。さらに、メディア・メッセージと情報の違いについても考えてみるとよい。メディア・リテラシーの基本原理は、メディア・リテラシーとは何か、メディア・リテラシーにおけるメディアとは何か、メディア・リテラシー教育はどのようにされるべきかといった原理的な問いに答えるものである。
メディア・リテラシーの原点

今日のメディア・リテラシーの理論にもっとも大きな影響をもたらしたのはマスターマンの『Teaching the Media』[9](日本語訳『メディアを教える』世界思想社)[10] である。マスターマンの理論はイギリスのみならず、カナダのAMLやアメリカのCMLおよびNAMLEによって北米のメディア・リテラシー教育運動に大きな影響をもたらした。これらの組織はユネスコによるMIL(メディア情報リテラシー)プログラムの中心的位置を占めており、マスターマンの理論は今日のグローバルなメディア・リテラシー教育運動の土台となっている[11]

彼のメディア・リテラシー思想の土台として、まず第一に、F・R・リーヴィスとデニス・トムソンらの文芸批評論があげられる。マスターマンは、彼らの『文化と環境』(1933)[12] の出版がイギリスにおけるメディア教育の始まりだったと述べている(マスターマン邦訳前掲、p.53)。しかし、彼らの立場は新たなメディアがもたらす大衆文化[注 3]から伝統的文化を守ることであった。

マスターマンは、彼らの伝統的なメディア教育論に対して、ロラン・バルト記号論スチュアート・ホールらのカルチュラル・スタディーズアントニオ・グラムシのヘゲモニー論やパウロ・フレイレの批判的リテラシー論・解放の教育学をもとに、新しいメディア教育学[注 4]を構想した[13]。その理論構成は、ほぼ同時期に構築されたヘンリー・ジルーの批判的教育学からの影響を見ることができる[14]。実際、カナダ・トロント市にあるAML(メディア・リテラシー協会)は、マスターマンの理論のみならず、批判的教育学(英語版)の理論からも影響を受けたといわれている[15]

このようにして構築されたマスターマンの理論によれば、メディア・リテラシーのもっとも重要な原則は、「メディアは能動的に読み解かれるべき象徴的(あるいは記号の)システムであり、外在的な現実の確実で自明な反映などではない」[16]という点にある。そして、メディア・テクストを批判的に読み解くこととは、「単に送り出されたメッセージの内容だけでなく、それがどのように構成されどのような効果を生み出しているかに注意を向けること」[17]であり、その教育の目的は「批判的主体」[注 5]を育てることであった[18]。これがメディア・リテラシーにおける批判的思考の原点である。
メディア・リテラシーの基本原理

最初のメディア・リテラシーの基本原理は、AMLのバリー・ダンカン[注 6]らによるメディア・リテラシーの8つのキー・コンセプトである。ダンカンらはマスターマンの理論の影響を強く受け、メディアの内容よりも伝達形態の重要性の指摘した「メディアはメッセージ」[19] の言葉で著名なマクルーハンのメディア論と融合させながら、1987年にこれらのキー・コンセプトを作り上げた。この8つのキー・コンセプトはオンタリオ教育省発行の「メディア・リテラシー・リソース・ガイド」[注 7]に収録されている[20]。さらにオンタリオ州のみならずカナダ全国の教職員研修に用いられた。同書では、メディア・リテラシーを次のように定義づけている。

「メディア・リテラシーはマスメディアの性質、マスメディアによって用いられたテクニック、およびこれらのテクニックの影響を十分かつ批判的に理解できるよう生徒たちを支援することに関わっている。さらに言えば、メディアがどのように機能し、メディアがどのように意味を作り出し、メディアがどのように組織され、そしてメディアがどのように現実を構成するのかということを生徒がより理解し、楽しむことができることを目的にしている。メディア・リテラシーはまた、生徒に対してメディア作品を創造する能力をもたらすことも目的としている。」

AMLによる8つのキー・コンセプトは以下の通りである。
8つのキー・コンセプト

メディアはすべて構成されたものである

メディアは現実を作り出す

視聴者はメディアを探りつつ意味を解釈する

メディアは商業的な意味を含む

メディアはイデオロギー的、価値的メッセージを含む


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