メッシーナ地震
等震線図
本震
発生日1908年12月28日
発生時刻05:20:27(現地時間)[1]
04:20:27(UTC)
震央 イタリア王国 メッシーナ海峡
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度09分00秒 東経15度40分59秒 / 北緯38.15度 東経15.683度 / 38.15; 15.683
メッシーナ地震[3](伊: Terremoto di Messina del 1908; 英: 1908 Messina earthquake)[注釈 1]は、1908年12月28日にイタリア南部のシチリア島からカラブリアにかけて発生した地震。モーメントマグニチュード(Mw)7.1の地震とそれに伴って生じた津波により、震源域となったメッシーナ海峡に面した大都市メッシーナとレッジョ・ディ・カラブリアは壊滅的な被害を受けた。犠牲者の数には諸説あり、8万2000人とも、10万人以上とも推定されている。近代ヨーロッパにおいて最悪の犠牲者を出した地震である。 1908年12月28日(月曜日)午前5時20分頃(現地時間)[6][注釈 2]、メッシーナ海峡を震源域として、モーメントマグニチュード7.1[2][注釈 3]の地震が発生した。地震の揺れは北東ないし東へ約400km離れたアルバニアやイオニア諸島でも感じられた[2]。地震の揺れが非常に大きいものであったばかりでなく、津波が発生したことで被害が大きなものとなった[2]。津波は、メッシーナ南部およびレッジョ・ディ・カラブリア南部で最大12メートルを記録している[2]。 6,000 km2におよぶ地域でほぼすべての建物が破壊され[2]、メッシーナ海峡に面した2つの大都市、メッシーナ(人口14万人)とレッジョ・ディ・カラブリア(人口4万5000人)は深刻な被害を受けた[2]。特にメッシーナでは地震と津波の襲来によって建築物の90%が破壊された[5][リンク切れ]。
地震