メタファー
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サミュエル・D・エアハート画、雑誌『パック(英語版)』の風刺漫画民主党というレッテルを貼られた農家の女性が政変の竜巻から避難している様子が描かれている。

メタファー(: μεταφορ?[注釈 1]: metaphora、: Metapher、: metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)とも呼ばれ、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。
概説

メタファーは、言語においては物事のある側面をより具体的なイメージを喚起する言葉で置き換え、簡潔に表現する機能をもつ。わざわざ比喩であることを示す語や形式を用いている直喩よりも洗練されたものと見なされている。

メタファーにもいくつかタイプがあるが、一例を挙げると「人生ドラマだ」のような形式をとるものがある。集団の中で悪影響を及ぼす人物をたとえた腐ったリンゴ

メタファーは日常的に頻繁に用いられているもの、話している本人も気づかずに用いているものから、詩作などにおいて創造される新奇なものまで、様々なレベルにわたって存在している。一度壊れると容易には元に戻らないものとして例えられるハンプティ・ダンプティ

メタファーが用いられるのは、いわゆる"言語"(言葉)に限らず、絵画映画などの視覚の領域でも起きる。

メタファーは人間の類推能力の応用とされることもあり、さらに認知言語学の一部の立場では、人間の根本的な認知方式のひとつと見なされている(概念メタファー)。メタファーは、単に言語の問題にとどまるというよりも、もっと根源的で、空間の中に身体を持って生きている人間が世界を把握しようとする時に避けることのできないカテゴリ把握の作用・原理なのだと考えられるようになってきている。
メタファーの例

冒頭に挙げた「人生はドラマだ」はもっとも初歩的なメタファーである。「…は…だ」という形で比喩だということがある。

次のようなものもメタファーである。

人生は旅だ。私と一緒に旅をしてみないか?

この例などは、ひとつめの文に加えて、ふたつめの文「私と一緒に旅をしてみないか?」もメタファーであるが、ひとつめの文がメタファーだと分かるため、ふたつめも引き続きメタファーだとわかる。

次の会話の例にもメタファーが含まれている。A 「どうしたのですか?」B 「それが・・・、最近、いくら努力してもうまく行きません。つらいことばかりなのです。」A 「そうですか・・・。一緒にがんばりましょう。が深ければ、夜明けは近いのですよ。」

この会話では「が深ければ、夜明けは近い」がメタファーである。

(人によっては)メタファーだと気づきにくいタイプのメタファーもある。例えば次のような例である。

わらべは見たり、野中のばら (男の子は見つけた、野に咲く薔薇を) ? ゲーテの詩『野ばら

私のスミレが咲いた。

上記2例のようなメタファーは、をする男性の心に生まれることがあるものである。

さらに気づきにくい例を挙げる。例えば次のような一文が芸術的な小説の中に配置されていれば、それは単なる情景描写というよりもメタファーの可能性が高い。

その時彼がふとの外を見ると、一羽の鷹が、強風にも流されず、空中に静止していた。

メタファーは人間が根本的に持つ世界の認知、世界の見え方に深く関わっており、聞き手の心の状況に合ったメタファーは強く心を打ち、大きな影響力を持つ。
古典的なメタファー

メタファーは古今東西の文学作品に普遍的に存在している。その中でも歴史的に見て、多くの人々に読まれ、影響力の大きなメタファーをいくつか挙げる。

メタファーは現存する最古の文学作品といわれる『ギルガメシュ叙事詩』にも豊富に見だすことができる。同作品は多数の写本が作成され、広く流布したと考えられており、現代の視点でも文学作品として第一級だとしばしば評されている。

聖書は、メタファーと譬え話に満ちた文書の典型としてしばしば挙げられている。聖書およびイエス・キリストのたとえ話は、西洋文学におけるメタファーのありかたに多大な影響を与えている。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっていれば、その人は実をゆたかに結ぶ。 ? 新約聖書、『ヨハネによる福音書』 15:5、イエスの言葉

私は、世のです。


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