メキシコドルはメキシコを中心にラテンアメリカ各国で鋳造された、8レアル銀貨である。貿易決済に用いられスペインなどヨーロッパ諸国、中国など東アジア諸国にも大量に流入し流通した貿易銀であった。
額面は8レアルであるが、アメリカにおいて1ドル銀貨として通用したことから日本では「メキシコドル」と呼ばれるようになった。英語では "Pieces of eight" と呼ばれたが、これはこの銀貨を8分割して、1レアルとして使う習慣があったためである(実際に銀を含むので、破片でも価値があった)。戦前の清国および日本ではメキシコを墨西哥と表記するため墨銀とも呼ばれ、外国から流入した洋銀の主流的位置を占めた。 スペインの植民地時代発行のものはピラードル(スペインドル
目次
1 概要
2 略史
3 貿易銀としての流通
3.1 ヨーロッパ
3.2 アメリカ
3.3 中国
3.4 日本
4 参考文献
概要
鋳造所はアラモス(ミントマークA, As)、レアル・デ・カトルセ(Ce)(Ca)、クリアカン(C, Cn)、ドゥランゴ(Do)、メヒコ州(EoMo)、グアダラハラ(Ga)、Guadalupe y Calvo(GC)、グアナフアト(Go)、エルモシージョ(Ho)、メキシコシティ(Mo)、オアハカ(O, Oa)、サン・ルイス・ポトシ(Pl)、サカテカス(Zs)と多岐に亘る。同様にスペインの植民地であったボリビア、チリ、ペルー、ニカラグアでも鋳造された。 新大陸の大半を植民地としたスペインは金銀を求めて探索を開始した。そこで1545年のポトシ銀山、1546年のサカテカス銀山と相次いで大規模な銀鉱床が発見される。特にポトシ銀山は混汞法
略史
スペインはカルロス1世の命により、本国の貨幣制度に基づいて1535年からメキシコにおいて8レアル銀貨の鋳造を開始した。この豊富な銀の産出を元手に大量の鋳造が可能であったメキシコドルは国際通貨としての地位を獲得するに至る[2]。
一方で急激な銀産出の増大は国際的な銀価格の下落をもたらし、メキシコドルがスペインを経由してヨーロッパへ大量に流入すると価格革命を引き起こすに至った。不安定な銀相場の動向により1816年にイギリスが金本位制に移行したのをきっかけに、各国で銀本位制から離脱し金本位制を採用する動きが現れる。これにより銀価格の下落に拍車をかけ、余剰となった銀需要の開拓を中国など東アジア諸国に求める動きが強まった。スペインドルは16世紀頃から中国へ流入し、19世紀には東アジア各国への流入が加速し、洋銀とも呼ばれた[4]。
アメリカ、イギリス、フランスおよび日本などが貿易銀を発行して東洋貿易の主導権争奪戦が始まるが、東アジアにおけるメキシコドルの地位は依然揺るがないものであった。 15世紀後半頃より胡椒や絹を求めて対価としてヨーロッパより銀貨が中国へ流入するようになった。
貿易銀としての流通
ヨーロッパ