メガマソ
別名Megamasso、萌EN?を[1]
出身地 日本
ジャンルポップ・ロック[2]
ダンスロック
メガマソは、日本のヴィジュアル系[5][6]ロックバンドである。彩冷える(アヤビエ)のギタリストであった涼平を中心に結成された。2017年11月23日をもって解散(後述)。 メガマソの発起人である涼平は、それまで所属していたバンドの彩冷えるを脱退したのち、当初は自身がボーカルとなるバンドを組もうと考えていた[7]。その時点で涼平からメガマソへの加入を熱烈に勧誘されたのが、Gou(現ベーシスト)と、優太(旧ドラマー)であった[7]。涼平の要望によりGouは6弦ベースを弾くことになったが、本人はそれを楽しんだという[7]。また優太は本人の希望により、スリー・バスのドラムセットを組んだ[7]。涼平はメガマソを、今後の可能性を大きく広げることのできるバンドとして出発させたいと望んでいた[7]。このような経緯からメガマソ最初期のメンバーが確定したのち、涼平は知人から偶然にインザーギのデモ音源を手渡された[7]。それを聴いた涼平はインザーギの歌声に惚れ込み加入を打診し、インザーギはそれを快諾した[7]。バンドの世界観の中心を担っているのは涼平であるものの、決して彼のワンマン・バンドではなく、涼平自身がメンバーの個性に面白味を感じることのできる編成での活動開始となった[7]。 2007年3月21日にはメガマソ初のフルアルバムとして『ゆきしたたりほし』を発売し、これをもって、第一期メガマソの集大成とした[7]。同年3月9日より初の全国単独ツアー「しんげつのみずたまり」を開催し、3月24日にはZepp Tokyoにて最終公演を行った[8]。2006年12月16日にShibuya O-EASTにて行われたデビュー・ライブとは違い、初の全国単独ツアー「しんげつのみずたまり」の最終公演の演出は簡素なものであった[8]。デビュー・ライブではバンドとしての経験不足が露呈してしまったことから、それを克服するため、全国を単独公演で巡る必要があったと涼平は述べている[8]。 2007年6月9日のライブをもって、優太(ドラマー)がメガマソから脱退した[9]。優太の脱退はバンドにとって大変なマイナスであったものの、残された三人が団結することにより、その危機を乗り越えることができた[10]。優太の脱退が公表されてから、特に涼平は多くの非難にさらされた[10]。しかしインザーギとGouが涼平を精神的に守り、メンバー間の結束はさらに強まった[10]。11月21日よりツアー公演「冬駆ける眼窩」を行い、メンバーが三人になってからの初のツアーを挙行した[10]。 2007年11月17日には、2枚目のフルアルバムである『またたくよる』を発売した。難解な楽曲が多かった『ゆきしたたりほし』と比べて、『またたくよる』は聴きやすくポップな楽曲が収録された[10]。涼平を始めとして、メンバーが初めて聴いた音楽はJ-POPだった[10]。涼平自身、親が運転する車の中で松田聖子を聴き、音楽とはよいものであると感じたという[10]。涼平は、音楽に触れるきっかけは聴きやすい曲にあり、音楽はよいものであると聴き手に認識してもらえるような存在になれることを願って、聴きやすさを意識した作品作りをしたと述べている[10]。 ベスト・アルバム、音楽配信限定シングル、二ヶ月連続のシングルなどの発売を経て、2008年11月26日にはMUSIC ON! TVにて彼らの単独ライブを収録した番組「 ⇒ASAHI SUPER DRY The LIVE Premium メガマソ」が放送された。2009年1月12日には、SHIBUYA-AXにて単独公演「渋谷夜空拡大」を開催した。 2009年10月7日にシングル『chimes』の発売をもって、avex traxよりメジャー・デビューを果たした[11]。所属事務所も、同系列であるエイベックス・マネジメントに移籍した。エイベックス・マネジメントがヴィジュアル系アーティストをマネジメントするのは、メガマソが初であった[11]。 2010年3月10日にアルバム『M of Beauty』をavex traxより発売した。その後、エイベックス・エンタテインメント内のヴィジュアル系レコードレーベルであるHPQへ社内移籍し、2011年2月16日にアルバム『Loveless, more Loveless』を発売した[12]。表題曲である「Loveless, more Loveless」ではなくカバー曲である「すみれ September Love」をミュージック・ビデオに使用して各媒体へ宣伝を行い、かつて同曲をカバーしたSHAZNAのIZAMを音源およびミュージック・ビデオの両方に客演として招聘し、同曲の作曲家であり初演者でもあった一風堂の土屋昌巳に同音源の制作を依頼するという力の入れようであった[13][14]。だが、その後エイベックス・エンタテインメント内のレコードレーベルからの新譜の発売は打ち切られた。 それでも所属事務所としてのエイベックス・マネジメント(レコード会社としてのエイベックス・エンタテインメントとは同系列であるがあくまで別法人)との契約は残っていたと見え、レコード会社としてのエイベックス・エンタテインメントから新譜の発売が打ち切られたのちも、シングル『雪はまだ降り注いでいるか?』を所属事務所であるエイベックス・マネジメントが自らインディーズ・レーベルとして2012年1月18日に発売し、レコード流通は同系列のレコード流通会社であるエイベックス・マーケティングではなく、ポニーキャニオンの子会社であるPCI MUSICに委託した[15]。
来歴