メガドライブ
メーカーセガ・エンタープライゼス
種別据置型ゲーム機
世代第4世代
発売日 1988年10月29日
1989年8月14日
1990年8月
1990年11月30日
1990年12月
1994年4月
CPUモトローラ MC68000
ザイログ Z80
対応メディアロムカセット
CD-ROM(メガCD)
対応ストレージバッテリーバックアップ
コントローラ入力ケーブル
赤外線[注 1]
外部接続コンポジット
イヤホンジャック
オンラインサービスメガモデム
メガターミナル[1]
セガチャンネル
売上台数 358万台
2,000万台[2]
839万台
3,432万台[3]
最高売上ソフト ぷよぷよ /52万本
ソニック・ザ・ヘッジホッグ2 /603万本
※『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は本体同梱含め出荷1,500万本以上
互換ハードウェアメガドライブ2
ワンダーメガ
(メガドライブのバリエーションも参照)
後方互換セガ・マークIII
(メガアダプタ使用時)
前世代ハードウェアセガ・マークIII
次世代ハードウェアセガサターン
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メガドライブ(MEGA DRIVE)は、セガ・エンタープライゼスが1988年10月29日に日本で発売した16ビットの家庭用ゲーム機である。発売時のキャッチコピーは「時代が求めた16ビット」「VISUAL SHOCK! SPEED SHOCK! SOUND SHOCK![注 2]」。
セガ・マークIIIおよびセガ・マスターシステムの後継機として開発された。日本では任天堂のスーパーファミコンやNEC HEのPCエンジンと競合した。
米国・カナダ・メキシコではGENESIS(ジェネシス)という名称で1989年に、その他のヨーロッパ地域(イギリス・フランス・スペイン等)、オセアニア地域(オーストラリア・ニュージーランド)、南アメリカ地域(ブラジル等)、アジア地域といった大部分では日本と同じ名称で1990年に発売された。「メガドライブのバリエーション」も参照
世界市場や北米市場では任天堂のSuper Nintendo Entertainment Systemとシェア争いで拮抗し、更にAtari Jaguarや3DOとも競合した。欧州市場ではAmiga CD32などとシェア競争を繰り広げた。 日本市場では1988年にメガドライブの名称で、世界で最も早く発売された。任天堂のファミリーコンピュータ、NEC-HEのPCエンジンと競合し、後に任天堂のスーパーファミコンとも競合した。 TVCMには発売当初はいとうせいこう[注 3]、中期には高橋由美子が起用された。「ビジュアルショック、スピードショック、サウンドショック」を謳い文句とし、「時代が求めた16BIT」と、16ビット機であることを大きくアピールしていた。 1990年にメガドライブの出荷数はピークを迎え、年間70万台を出荷したが、この年のハード出荷数はファミコンが136万台、PCエンジンが127万台、スーパーファミコンが66万台と、熾烈な競争状態であった[4]。 1991年に北米市場においてメガドライブが普及するきっかけになった『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は[注 4]、日本市場において大きなヒットを記録するに至らず、ハードの出荷台数は前年と同じ70万台に留まった[4]。数字を累計するとスーパーファミコンが1,717万台、PCエンジンが392万台[注 5]、メガドライブが358万台[3]となる。 『週刊ファミ通』による1992年時点の市場調査では、各ハードのシェアはスーパーファミコンが55.9%、PCエンジンが24.7%、メガドライブ19.4%となっていた。同誌ではRPGタイトルの不足を苦戦の理由として挙げている[7][注 6]。 ライバル機種の牙城を崩すには至らなかったが、日本国内において初めて100万台以上を出荷したセガハードとなり、セガの家庭用ゲーム機では「セガサターン」に次ぐ出荷台数を記録した。 アメリカ・カナダを含む北米市場では、1989年に『SEGA GENESIS』として発売された。北米では「MEGA DRIVE」の商標が既にアイオメガによって登録されており、同社からの名称使用許可も得られなかったため、「GENESIS」に改名されている。 発売当初は、任天堂のNESが8割という圧倒的なシェアを背景に、1社独占のシステムを販売店や流通など業界内外の隅々まで行き渡らせており、サードパーティーの参入や小売店への納品すら困難だった。 セガ・オブ・アメリカ副社長だった豊田信夫は、アメリカのスタッフが作るアメリカ的なゲームこそがアメリカ市場で受け入れられると考え、セガがマーベルコミックスからライセンスを受けて『スパイダーマン』をゲーム化する際、セガ・オブ・アメリカ主導での開発許可を貰った。
歴史
日本市場
北米市場SEGA GENESIS