メアリー・ローズ
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メアリー・ローズ
Mary Rose
博物館で展示されているメアリー・ローズ
基本情報
建造所 イングランド王国 ポーツマス
運用者 イングランド海軍
船種キャラック船
船歴
起工1510年1月29日
進水1511年7月
竣工1512年
最期1545年:ソレントの海戦(英語版)中に沈没
その後1982年:海中から引き揚げ
現況メアリー・ローズ博物館に展示
要目
排水量約500 トン(1536年以降は700 - 800 トン)
全長105フィート (32 m)
最大幅39フィート (12 m)
乗員415名(船員200, 海兵185, 砲手30)
兵装大砲78門(竣工時)
大砲91門(改装後)
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メアリー・ローズ(: Mary Rose)は、ヘンリー8世時代のイングランド王国で用いられていた軍艦キャラック船)である。その33年間の戦歴でフランススコットランドブルターニュに対する戦争に従軍した。1545年7月19日、ソレント海峡において沈没した。

1971年に海中の残骸が発見され、1982年10月11日にメアリー・ローズ・トラスト(英語版)によって引き上げられた。発掘・引き上げ事業は、海洋考古学の分野における画期的な出来事であり、その作業の困難さとかかった費用は1961年に行われた17世紀のスウェーデン軍艦「ヴァーサ」の引き上げに匹敵する。

回収された船体の現存部分と何千もの遺物は、テューダー朝期を知る非常に価値ある考古史料となっている。現在「メアリー・ローズ」は、『1973年沈没船保護法』の「1974/55規定」に基づき英国の歴史的艦船群(英語版)の一つに指定されており、現在はヒストリック・イングランドが管理している。

発見された遺物には、武器、帆走装備、海軍の備品、および乗組員が使用したであろう様々な物品が含まれている。ここでしか発見されていない遺物もあり、海戦から楽器の歴史まで様々な分野に知見を提供している。

船体は、修復中の1980年代半ばからポーツマス海軍基地の造船所史跡(英語版)にて公開され、現在は船体と収集遺物を展示するため同敷地内に建てられたメアリー・ローズ博物館(英語版)において膨大なコレクションとともに展示されている。

「メアリー・ローズ」は、当時30年以上にわたって断続的に続いた戦争を通じてイングランド海軍で最大の船の1つであり、初めから軍用を想定して建造された帆船の初期の例に数えられている。1536年に大改装され、当時、発明されたばかりの舷側砲を装備した最も初期の船の1つともなった。

「メアリー・ローズ」沈没の原因については史料に残る証言の食い違いや決定的な物証の欠如から未だ結論を見ておらず、歴史および16世紀の造船技術に関する史料、および現代での実験に基づいて、いくつかの仮説が唱えられている。
歴史的背景

15世紀後半、イングランドは依然として百年戦争敗北の影響で動揺していた。戦争前半の大勝利は過去のものとなり、欧州大陸に残る領土はフランス北部のカレー周辺だけとなっていた。薔薇戦争の結果、ヘンリー7世テューダー朝を開いた。

ヘンリー5世の野心的な海軍政策は彼の後継者たちには継承されず、1422年から1509年までに建造された王の軍艦は6隻だけだった。1491年にブルターニュ女公アンヌフランスシャルル8世と結婚し、さらに1499年にルイ12世と再婚したことでイングランド南部の防衛力に不安が生じた。にもかかわらず、ヘンリー7世は、比較的長期間の平和と、小さいながらも後に強力な海軍の中核となる船団を維持することができた[1]戴冠の年(1509年)に描かれたヘンリー8世の肖像画

近世初期のヨーロッパの大国は、フランス、神聖ローマ帝国スペインであり、この3国すべてが1508年に始まったカンブレー同盟戦争に参加した。戦争は当初、教皇を盟主とする同盟諸国とヴェネツィア共和国の間で始まったが、最終的にはフランスを盟主とする同盟と他の諸国が敵対する構図となった。イングランドは当時スペイン領だったネーデルラントを介して、スペインと密接な経済関係を築いており、若き国王ヘンリー8世の野心は、先代たちの輝かしい軍事的成功を再現することだった。1509年、ヘンリー8世はアラゴン王女キャサリンと結婚し、イングランドとフランスの両国の王という彼の主張を証明することを目的として1511年までにアラゴン王フェルナンド2世、教皇ユリウス2世、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世を含む反フランス同盟の一員となった[2]

ヘンリー8世が父王から受け継いだ小さな海軍には、大型船はキャラック船「リージェント」(Regent) 「ソブリン」(sovereign) の2隻しかなった。ヘンリー8世の即位から僅か数か月後、2隻の大型船「メアリー・ローズ」(約500トン)と「ピーター・ポメグラネート(英語版)」(Peter Pomegranate, 約450トン)の建造が始まった。ただし「メアリー・ローズ」の建造自体はヘンリー8世の治世中に始まったが、海軍拡張計画はそれ以前に策定されていた可能性があり、正確にはどの王が建造を命じたのか定かではない。ヘンリー8世は自ら計画を監督し、更に排水量1,000トン超の大型船「アンリ・グラサデュー」(Henry Grace a Dieu) の建造を命じた[3]

こうして1520年代までに、現代のイギリス海軍 (Royal Navy) の祖となるイングランド海軍 (Navy Royal) が設立された[4]
建造1540年に描かれた絵画『ドーバーでのヘンリー8世の乗船(金襴の陣)』。画中の船は、「メアリー・ローズ」でも使用されたものと同様の木製パネルで装飾されている。

「メアリー・ローズ」の建造は1510年1月29日にポーツマスで始まり、1511年7月に進水した。その後、ロンドンに曳航され、甲板の装着と艤装が施され、武器が積み込まれた。「メアリー・ローズ」の帆・積荷・武器には細部に至るまで金色の塗装または金メッキが施され、王を示す旗・幔幕・長旗も装備されていた[5]

「メアリー・ローズ」ほどの大きさの軍艦を建造することは、大量の高品質の木材を必要とする大事業だった。当時の最先端の軍艦の場合、これらの材料は主にオーク材が使われた。建造に必要な木材の総量は、現在は船体の約3分の1しか現存していないため、大まかに推計することしかできない[6]。ある見積もりでは、約600本の部材の大部分がオークの大木から作られており、森林なら面積約40エーカー (16 ha)に相当するとしている[7]

前世紀にヨーロッパとイギリス諸島で一般的だった巨木は、16世紀までには非常に珍しくなっており、このため南イングランド中から木材が持ち込まれた。建造に使用された最大の木材は、中世盛期に作られた最大の大聖堂の屋根に使用されたものとほぼ同サイズだった。加工されていない船体板の重量は660ポンド (300 kg)を超えていたとされ、主甲板の梁部材の1つの重さは0.75t近くあった[7]
命名

船名は、ヘンリー8世お気に入りの妹、メアリー・テューダーテューダー家の紋章であるバラに由来するというのが一般的である[8]


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