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メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley、1797年8月30日 - 1851年2月1日)は、イギリスの小説家。ゴシック小説『フランケンシュタイン』で知られる。ロマン派詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの妻。 ゴシック小説『フランケンシュタイン』で名を残した。同作品によってメアリーはブライアン・オールディス他多くの作家・文芸評論家らにより、SFの先駆者、あるいは創始者と呼ばれた。 母親はフェミニズムの創始者、あるいは先駆者とも呼ばれるメアリー・ウルストンクラフト、父親は無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィン。夫は詩人のパーシー・シェリー。日本では単にシェリー夫人と呼ばれることもあった
人物
年譜
1756年 父・ウィリアム・ゴドウィン誕生。
1759年 母・メアリ・ウルストンクラフト誕生。
1789年 フランス革命。
1792年 夫となるパーシー・ビッシュ・シェリー誕生。
1797年 ゴドウィンとウルストンクラフトが結婚。
8月30日 ロンドンでメアリーが生まれ、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンと名付けられる。
9月10日 母・ウルストンクラフト、産褥熱で死去。
1801年 父・ゴドウィン、メアリー・ジェーン・クレモントと再婚。
1813年ごろ パーシー・シェリーと出会う。
1814年 シェリーとの恋愛に父が激怒。メアリーは大陸へ駆け落ち。帰国。
1815年 第一子(長女)が生まれるが、生後間もなく死去。
1816年1月24日 第二子(長男)ウィリアム誕生。
5月 バイロンに誘われ、レマン湖畔で過ごす。バイロンの提案(ディオダティ荘の怪奇談義)をきっかけに小説『フランケンシュタイン』の着想を得、執筆に取りかかる。
9月 イギリスに帰国。
12月 シェリーの妻が自殺したため、メアリーはシェリーと結婚。
1817年5月 『フランケンシュタイン』脱稿。
9月2日 第三子(次女)クレアラ誕生。
1818年1月1日 『フランケンシュタイン』初版をロンドンの小出版社 Harding, Mavor & Jones から匿名で出版。
1818年3月11日 『フランケンシュタイン』初版に夫シェリーの序文を付けて再度匿名で出版。この日、子どもを連れてイタリアへ。
9月24日 次女クレアラが赤痢のため死去。
1819年6月7日 長男ウィリアムがマラリアのため死去。
11月12日 第四子(次男)パーシー・フローレンス誕生。
1822年7月8日 夫・パーシーがイタリア、スペツィア湾で暴風雨によるヨット沈没で死去。
1823年2月 『フランケンシュタイン』第2版を出版。
8月 帰国。
1824年4月19日 ギリシャ独立戦争でバイロンが病死。
1826年 『最後の人間』(The Last Man)出版。
1831年 『フランケンシュタイン』第3版(改訂版)を出版。
1851年2月1日 メアリー死去。享年53歳。
邦訳
『巨人の復讐 フランケンシュタイン』原題:Frankenstein; or, The Modern Prometheus (1818) 新人社
『最後のひとり』原題:The Last Man (1826) 訳:森道子、島津展子、新野緑 英宝社(2007年)
『マチルダ』原題:Mathilda (1819)訳:市川純 彩流社(2018年)
メアリー・シェリーの登場する映像作品
1935年、『フランケンシュタインの花嫁』:監督 ジェームズ・ホエール、メアリー・シェリーとモンスターの花嫁(タイトルロール)役エルザ・ランチェスター
1986年、『ゴシック』GothicVirgin Vision:監督ケン・ラッセル監督、メアリー・シェリー役ナスターシャ・リチャードソン
1988年、『幻の城 バイロンとシェリー』Remado al Viento (Rowing with the Wind / Rowing in the Wind):ゴンザロ・スアレス監督、メアリー・シェリー役リジー・マッキナニー
1997年、『クローン・オブ・エイダ』Conceiving Ada:監督 リン・ハーシュマン=リーソン、メアリー・シェリー役エスター・マリガン
2015年-2017年、『フランケンシュタイン・クロニクル』The Frankenstein Chronicles : メアリー・シェリー役 アンナ・マックスウェル・マーティン - テレビドラマシリーズ
2017年、『メアリーの総て』Mary Shelly:監督ハイファ・アル=マンスール、メアリー・シェリー役エル・ファニング