メアリー・ウェルシュ・ヘミングウェイ
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メアリー・ウェルシュ・ヘミングウェイ
Mary Welsh Hemingway
メアリー・ウェルシュ・ヘミングウェイ(左)とアーネスト・ヘミングウェイ(1953年頃、ケニアにて)
生誕Mary Welsh
(1908-04-05) 1908年4月5日
アメリカ合衆国 ミネソタ州ウォーカー(英語版)
死没1986年11月26日(1986-11-26)(78歳)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
埋葬地 アメリカ合衆国 アイダホ州ケッチャム(英語版)
職業ジャーナリスト、著述家
配偶者.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ローレンス・ミラー・クック
(m. 1938, divorced)

ノエル・モンクス (div. 1945)

アーネスト・ヘミングウェイ
(m. 1946; d. 1961)

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メアリー・ウェルシュ・ヘミングウェイ(Mary Welsh Hemingway、1908年4月5日 - 1986年11月26日)は、アメリカ合衆国ジャーナリスト、著述家であり、アーネスト・ヘミングウェイの4人目かつ最後の妻である。
若年期

ミネソタ州ウォーカー(英語版)で1908年4月5日に生まれた。1938年に、オハイオ州出身の演劇生のローレンス・ミラー・クック(Lawrence Miller Cook)と結婚したが、すぐに離婚した。
初期のキャリア

離婚後にシカゴに移って『シカゴ・デイリー・ニュース(英語版)』紙で働き始めた。そこで出会ったウィル・ラング・ジュニア(英語版)と友情を育み、その後もいくつかの仕事で一緒に働いた。ロンドンでの休暇中に『デイリー・エクスプレス』紙で新しい仕事を始め、この仕事をきっかけに、第二次世界大戦前にはパリでも仕事をするようになった[1]戦争特派員として制服をきているメアリー・ウェルシュ

1940年フランスが陥落すると、ロンドンを拠点に戦争の取材するようになった[2]。また、ウィンストン・チャーチルの記者会見にも出席した[2]

戦争中に、2人目の夫であるオーストラリア人ジャーナリストのノエル・モンクス(Noel Monks)と結婚した[1]
アーネスト・ヘミングウェイとの結婚ヘミングウェイ夫妻(キューバにて)

1944年、ロンドンで戦争を取材していたアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイと出会い、親密な関係になった。1945年にモンクスと離婚し、1946年3月にキューバでヘミングウェイと結婚した[2]

メアリーとアーネストの気質はよく合っていた。アーネストの前妻のマーサ・ゲルホーンは、アーネストが自分を支配しようとすることに不満を持っていた。メアリーは次のように書いている。「私は彼に『主人』であってほしかった。私よりも強く、賢くあってほしかった。彼がどれだけ大きくて、私がどれだけ小さいかを常に思い起こさせてほしかった。」

1946年8月、子宮外妊娠のため流産した[3]

結婚後、2人はキューバで暮らし、1959年にアイダホ州ケッチャム(英語版)に移った[2]。キューバ滞在中の1958年、ヘミングウェイの小説『老人と海』をジョン・スタージェス映画化した際、夫とともにカメオ出演している。アーネストはギャンブラー、メアリーはアメリカ人旅行者という役柄で、2人ともセリフはなかった[4]

1961年7月2日の早朝、大きな音で目が覚めたメアリーは、夫が愛用のショットガンで自殺したことを知った[5]。伝記作家のジェームズ・メローによると、アーネストは、銃が保管されていた地下の物置の鍵を開け、そこから玄関ホールに上がり、「友人と言っても良いほど常用していた二連式散弾銃」で自分を撃った[6]。メアリーをはじめとする家族や友人は、当初は「事故死」と報道機関に伝えていたが[2]、5年後の報道機関へのインタビューで、メアリーはアーネストが自殺したことを認めた[7]
晩年

1961年にアーネスト・ヘミングウェイが自殺した後、メアリーは彼の遺言執行人として、『移動祝祭日(英語版)』(A Moveable Feast)、『海流のなかの島々』(Islands in the Stream)、『エデンの園』(The Garden of Eden)などの遺作を出版した。また、『移動祝祭日』の原稿をソ連の翻訳家タチアナ・クドリアフツェワ(英語版)に渡し、英語版と同時にロシア語版の出版を実現した[8]

1976年、自伝"How It Was"を執筆した。メアリー・ウェルシュ・ヘミングウェイの詳細な経歴は、アーネスト・ヘミングウェイの数多くの伝記や、バーニス・カートの『ヘミングウェイの女たち』(The Hemingway Women)に記載されている[2]

晩年のメアリーはニューヨークに移り、65番街のアパートに住んでいた。1986年11月26日、長い闘病の末に、78歳で死去した。遺言により、ケッチャムでヘミングウェイとともに埋葬された[1][9]
脚注^ a b c Koyen, Kenneth - "Snapshots of Mary Welsh Hemingway," Eve's Magazine, 2003. ⇒[1] Accessed 2015-07-14
^ a b c d e f Bernice Kert, The Hemingway Women, W. W. Norton & Company, New York, 1983. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 0-393-31835-4


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