この項目では、幻の大陸について説明しています。アミューズメント施設については「レジャラン」をご覧ください。
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やノートページでの議論にご協力ください。ムー大陸(ムーたいりく、英: Mu)は、かつて太平洋の南中央部に存在したが天変地異により水没した、とされる大陸。現在では、複数の海底探査結果によってその存在は学術的に否定されている。 一部の研究者が主張していた空想上の大陸であり、現在はその存在は否定されている。 ジェームズ・チャーチワードの著作によると、ムー大陸は約1万2000年前まで太平洋上に存在したという東西7000km、南北5000kmにもなる大陸で、現在のハワイ諸島やマリアナ諸島、 イースター島など南太平洋上に点在する島々が陸続きになっていたとされる。世界でも類を見ないほど栄華な文明を誇ったとされるが、約1万2000年前に巨大地震などの天変地異が起こり、一夜にしてムー大陸は水没したという。しかし、チャーチワード自身の身分詐称や、ムー大陸を記したとされる一次資料自体にも疑義が持たれるようになり、信憑性が低下。イースター島やポリネシアの島々を、滅亡を逃れたムー大陸の名残であるとする説もあったが[注釈 1]、決定的な証拠となる遺跡遺物などは存在せず[注釈 2]、海底調査でも巨大大陸が海没したことを示唆するいかなる証拠も見つかっておらず、伝説上の大陸であるとされる。 1862年頃、フランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブール( 1814?1874年)[注釈 3]は、マドリードの王立歴史学会の図書室で、ユカタン司教(en
概要
「ムン」の語源とムーについてディエゴ・デ・ランダ著『ユカタン事物記』に記載されたランダ・アルファベットマドリード(トロ=コルテシアヌス)絵文書
アメリカ合衆国の政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー(英語版)、1831 - 1901年)は、1882年発表の『アトランティス - 大洪水前の世界』(Atlantis, the Antediluvian World)の中で、ブラッスールによるトロアノ絵文書の解読を新大陸の文明がアトランティス文明の末裔であることの重要な証拠として引用し、ムー王国の話が有名になった。またジャージー島出身の遺跡写真家として知られるオーギュスト・ル・プロンジョン(Augustus Le Plongeon, 1825 - 1908年)もランダ・アルファベットによりトロアノ絵文書を翻訳し、アトランティス大陸崩壊後にムーの女王モーがエジプトに渡り、女神イシスとしてエジプト文明を作ったと主張した。 英国陸軍大佐を詐称(英国陸軍に在籍の記録がない)していたアメリカ合衆国の作家、ジェームズ・チャーチワードによる説。彼は『失われたムー大陸』(「The Lost Continent of Mu Motherland of Man」1926年、「The Lost Continent of Mu」1931年)等の一連の著作[注釈 5]で、ムー大陸の環境や文化についても詳述している。一連の著書によれば、かつて太平洋の中央部には、東西7,000キロメートル、南北5,000キロメートルにも渡る巨大なムー大陸があったと主張。大陸に住んでいた人口はおよそ6,000万人強、首都ヒラニプラ
チャーチワードによるムー大陸と顛末
チャーチワードによれば、1868年(16歳)にインドに従軍し、現地のヒンドゥー教寺院の高僧が、寺院の門外不出の粘土板「ナーカル碑文」(Naacal tablets) を見せてくれたという。それには、ムー大陸(チャーチワードによると発音はMOO)の記録が絵文字で彫られていた。また、ウィリアム・ニーヴン (William Niven)なる米国の技師がメキシコで発見したという古代の石板からも、「ナーカル碑文」と同じ絵文字が記されていたという。それらを含めて、種々の古代文献を挙げて、ムー大陸が実在した証拠としている。さらに、チャーチワードは旧約聖書の『創世記』の物語はムー大陸滅亡の記録であると主張している。
しかしチャーチワードは、それら古代文献を翻訳した引用文しか発表せず、原典自体は示していない。その古代文献の中には、現在解読されていないイースター島の碑文(ラパヌイ文字またはロンゴロンゴ文字と呼ばれるもの)が含まれている。
やがて、チャーチワードの身分詐称が発覚すると、ムー大陸の記述があるとされた一次資料自体にも疑義が持たれるようになり、その信ぴょう性は低下する。20世紀後半になって太平洋の海洋底探査が広く行われると、ムー大陸の存在を真っ向から否定するデータが次々と出てきた。 チャーチワードの時代(20世紀初頭)は、太平洋の深海まで潜って海底探査を行うための科学技術力がまだなく、ムー大陸は肯定であれ否定であれ証明する手段がなかった。20世紀後半に入ると、海底1万メートルの海溝最深部でも潜れる深海探査艇(バチスカーフなど)が作られ、本格的な海洋底探査が可能となった。地中を探るボーリング技術も格段に向上し、深海底のさらに下にある地層掘削までも可能になった[6](地球深部探査船「ちきゅう」も参照のこと)。科学技術の発展により、太平洋の各海域で探査が行われるようになると、「太平洋の海底は、1億年前や数千万年前からずっと海だった」ことを示唆するデータが相次いだ。 1968年から1984年の間に太平洋全域で深海堆積物の掘削が行われ、東京大学海洋研究所の小林和男名誉教授らが2,000超に及ぶ太平洋海底のサンプルからレアアース泥の分布を調べた結果、南東太平洋では平均層厚が8.0メートル、中央太平洋では平均層厚23.6メートルものレアアース泥が存在することが分かった[7]。高濃度のレアアース泥は100万年かかっても50センチメートル未満の堆積に過ぎないとされている[8]ため、8 - 23メートル堆積した場所は、数千万年前から海底であったことが示された。
海洋底探査による学術的な否定