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ムーンライトながら
臨時化後の「ムーンライトながら」
(2013年12月15日 浜松駅)
概要
国 日本
種類快速列車
現況廃止
地域東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・岐阜県
前身普通列車(大垣夜行)
運行開始1996年3月16日
運行終了2009年3月13日(定期運転)
2020年3月29日(臨時運転)[1]
運営者日本国有鉄道(国鉄)→
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
路線
起点東京駅
終点大垣駅
営業距離410.0 km(東京 - 大垣間)
使用路線JR東日本:東海道本線(JR東日本)
JR東海:東海道本線(静岡地区・名古屋地区)
車内サービス
クラス普通車
座席全車指定席
技術
車両記事参照
軌間1,067 mm
電化直流1,500 V
最高速度110 km/h
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定期列車時代の「ムーンライトながら」(2007年9月 名古屋駅)
ムーンライトながらは、かつて東海道本線東京駅 - 大垣駅間で運行されていた夜行快速列車である。当初は定期列車であったが、2009年(平成21年)3月14日以降は臨時列車として運行されていた。
本記事では、東海道本線における夜行普通列車の沿革についても記述する。 「ムーンライトながら」は1996年(平成8年)3月16日のダイヤ改正の際、それまで東京駅 - 大垣駅間で運転されていた通称「大垣夜行」を代替する形で設定された。 1889年(明治22年)7月に東海道本線新橋駅 - 神戸駅間が開業したことにより、同区間で運転された1往復の夜行列車が東海道本線の夜行列車の起源といえるが、当時の列車は特に夜行を意識していたものではなく、列車の速度が遅いため、東海道本線の全線を通して運転するとなると、夜間帯に走行する必要があった。 以後、東海道本線を走破する普通列車は多数設定されたが、太平洋戦争以後は東海道本線の電化の進捗に伴って普通列車の電車化が進み、同時に運転系統の分割もあって長距離列車の減少が続き、東海道新幹線開業後の1968年(昭和43年)には1往復となった。 最後まで残った1往復の夜行普通列車も、東海道本線東京駅発着の普通列車で唯一の客車列車となっていたことから、合理化のため1968年10月のダイヤ改正をもって廃止されることが決定していた。その後、廃止反対の要望書が日本国有鉄道(国鉄)本社などに多く寄せられたため、当時の国鉄総裁であった石田禮助の判断により、急行形電車を使用し、運転区間を東京駅 - 大垣駅間に短縮して存続することになり、これが後に「大垣夜行」と呼ばれることになった。 その後も他の夜行定期普通列車が次々と廃止される中、途切れることなく運転され、国鉄がJRに移行した後も東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)両社に引き継がれ(車両はJR東海)、夜行定期普通列車として唯一運転が続けられた。前述の1996年(平成8年)3月16日改正で373系電車に置き換えられ、全車指定席(一部区間で自由席あり。後述)の快速「ムーンライトながら」となった。 JR化以後には、「青春18きっぷ」のシーズンを中心に「臨時大垣夜行」、のちに「ムーンライトながら91号・92号」の増発列車も運行される盛況が見られる時期もあった。 2002年(平成14年)にバス事業関係の規制が緩和され、低料金の高速バスなどが台頭して利用者が減少した。2009年(平成21年)3月14日からは、定期運用を廃止して青春18きっぷが使用できる夏休みや冬休みを中心とした臨時列車扱いとなり、使用する車両も変更された。2013年(平成25年)8月までは、JR東日本所有車両である183系・189系(全車普通車8M2T編成)で運行されていた。その後、大宮総合車両センター所属の185系が沼津運輸区、富士運輸区、静岡車両区、浜松運輸区、大垣車両区および名古屋地区で乗務員訓練を実施。2013年(平成25年)12月からはJR東日本が所有する185系電車(全車普通車、4両 + 6両編成)に変更された[2]。これに伴い、4号車と5号車との間の通り抜けができなくなった。 大垣駅では、「ムーンライトながら」の到着ホームと乗り継ぎ(大垣以西)列車の発着ホームが異なるため、青春18きっぷが有効な期間は、「ムーンライトながら」が到着すると、米原方面へ向かう列車の席を確保するため同駅内を走って乗り換える乗客が多発していた(通称「大垣ダッシュ」)。このため、他の乗客との衝突などを防止するために、改札前や階段には「危険 走らないでください」の看板が掲げられていたものの、乗り継ぎ列車が4両編成と短い上に乗り換え時間も3分程度と短いため、大半の乗客は守っていなかった。ただし2016年(平成28年)3月のダイヤ改正以降、接続列車は米原止まりの8両編成となり[注釈 1]、2019年(平成31年)3月から、大垣駅の到着時刻が5時50分から5時45分と5分早くなった結果、乗り換えに余裕ができた。 2018年12月にムーンライト信州が事実上の廃止となってからは、運行されている夜行列車では唯一「ムーンライト」を名乗る列車となった。 2021年1月22日、高速バスの台頭や新型コロナウイルス感染症の流行による利用客の行動様式の変化により、列車の使命が薄れてきたことに加えて、使用車両の老朽化を理由に正式に廃止が発表された[3][4][1]。
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