ムーバス
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吉祥寺北西循環
日野・リエッセ(除籍済)三鷹・吉祥寺循環
日野・ポンチョ(2ドアロングボディ)

ムーバス(Mubus[1][リンク切れ]/MOVE US)は、東京都武蔵野市コミュニティバスである。1995年11月26日運行開始[2]。その運行形態などから「コミュニティバス」という概念を全国的に広めた。吉祥寺駅三鷹駅武蔵境駅を起点とする、7路線・9ルートが運行されている。関東バス武蔵野営業所(1・2・4・6号路線)、小田急バス武蔵境営業所(3・5・7号路線)が運行受託している。「ムーバス」の愛称は、市民を移動・感動させる意味の “Move us.” と、「ムさしの市のバス」を掛けた、市民公募による造語である[3]
概要ムーバス境南 東循環と武蔵野プレイス吉祥寺駅北口のムーバスのりば。列がわかりやすく分けられている

市の指定した「停留所から200m以上離れた交通空白地域」と「バスの便が1日100本以下の交通不便地域」を巡回し、従来の一般路線バスが乗り入れできなかった狭隘道路を主な経路としている。

開業時は吉祥寺駅を起点に、駅東側を周回する現・東循環のみで運行していたが、後に北西循環も運行を開始し、現在は吉祥寺駅・三鷹駅・武蔵境駅を起点とする、7路線・9ルートに拡大されている。

それまでの路線バスにはないきめ細やかなバスサービスを実現し、「コミュニティバス」という概念を全国に広めたことで知られる。

運賃は100円均一(大人・子供同一運賃、未就学児は無料)

東京都シルバーパスは利用不可、各種障害者手帳による割引はなし。

全路線が小型車での運行(日野・リエッセ・定員29名 / 日野・ポンチョ・定員31名)。車椅子にも対応。

病院公共施設コミュニティセンターなど、地域住民に需要の多い停留所を設けている。

2004年より、ムーバス全線共通の専用回数券を販売している(発売額1,000円で、1,100円分利用)が、2020年(令和2年)3月31日をもって販売を終了・2021年(令和3年)3月31日をもって利用終了とアナウンスされた[4]

2012年3月26日より、PASMOSuicaの交通系ICカードが利用可能(バス利用特典サービスは対象外)

2013年3月23日より、交通系ICカード全国相互利用サービス対応開始。

パークアンドライド

吉祥寺北西循環の停留所「28.ポケット広場」の近くには、「ムーパーク」と呼ばれる駐車場があった。ムーパークに車を駐車し、ムーバスに乗り換えて吉祥寺駅へ来てもらうことにより、駅周辺の交通渋滞を減らすパークアンドライドの試みを行っていた。ムーパークの駐車料金は、吉祥寺駅前の商店街で一定金額以上の買い物をすると無料になる仕組みで、コミュニティバスの利用を促進していた(平成31年4月27日現在廃止されている)。
誕生の経緯吉祥寺の街を行くムーバス

ムーバスが誕生したきっかけは、1990年に当時の市長だった土屋正忠宛に、吉祥寺駅から1km程度の住宅街に住む市民から届いた「市長への手紙」である。「吉祥寺へ行きたいが年を取って足が不自由になり、バス停まで遠くて歩けなくなった。自転車は怖くて乗れない。それでも街へ出たい」と、高齢者にとっての交通の不便を訴える文面だった[5][6]

武蔵野市は、吉祥寺駅・三鷹駅といった交通の重要拠点や繁華街がある一方で、バス路線は周辺の五日市街道吉祥寺通り井の頭通りなどの幹線道路にしか通っておらず、幹線道路から離れた地区に住む住民がバスに乗車するためには少し歩く必要があり、交通弱者にとっては不便だった[7]

また吉祥寺駅周辺は、マイカー路上駐車自転車の違法駐輪が非常に多く、市はその対策に莫大な費用を投じていた。そのためコミュニティバスを利用してもらうことで、路上駐車や違法駐輪の減少もあわせて見込めると考えた[7]

1991年10月に武蔵野市は、岡並木(当時武蔵野女子大学教授)、山本雄二郎(当時高千穂商科大学教授)などの有識者を集め、コミュニティバス開設のための研究会を立ち上げた[8]

計画段階では綿密な事前調査が行われ、市民へのアンケートや需要調査、高齢者の実態調査などの結果、市内を走る既存の一般路線バスは当時200円均一運賃だったところ、ムーバスは100円均一で利用できるワンコインバスとして計画された[9]

1994年8月、武蔵野市内に一定数以上の路線を持つ関東バス小田急バス西武バスの3社に運行委託を打診した。1ヶ月後に回答があり、このうち小田急バスと西武バスからは、100円という低運賃での採算性を理由に断られ、関東バスからは「赤字分を市の補助金で補填してくれるという条件なら受託に応じる」との回答が得られた。そこで、「赤字分は1路線あたり2000万円まで補助する」という条件で運行開始の目処が立った[10]

また1990年代前半は規制緩和以前で、バス路線新設の許認可の条件も非常に厳しかった時代であり、当時の運輸省も、100円という低運賃での採算性と、低運賃のため既存の一般路線バスと競合することを問題とした。しかし、武蔵野市の公共事業であること、市が赤字分を補填することという条件で、一般のバス路線新設とは別扱いで開設が許可されることになり、1995年11月26日より運行が開始された[11]

運行開始当初は、プロジェクト推進派の中からも不安の声が多くあったものの、運行開始後は予想以上に乗客が増えた。100円という低運賃のため当初は計算通りの赤字だったが、北西循環開通後はさらに乗客が増え続け、開業3年後の1998年度には早くも黒字に転じ、関係者を大いに驚かせた[12]

2000年には小田急バスも運行受託を開始。2002年度には、関東バスと小田急バスの黒字額の合計が2000万円に達し、両者からその半額の1000万円が武蔵野市へ寄付された[13]

運行開始の5日前の1995年11月21日には、NHKテレビ番組おはよう日本」でムーバスが取り上げられ話題を呼んだ[14]。その後も日本テレビズームイン!朝」など、マスコミでの報道が相次いだ[14]。またラジオ番組でも、TBSラジオ森本毅郎・スタンバイ!」や、NHKラジオの海外向け番組「ラジオ日本」で放送され、海外からも反響があった[15]

こうしたマスメディアによる報道の影響もあり、「コミュニティバス」の名は全国に広がり、ムーバスの成功を受けてコミュニティバスブームが巻き起こった[16]

車両の面でもこの時期に、コミュニティバスに適した小型バスの開発が進んだことも挙げられる。それまでは小型バスといえば、乗降口が前扉か中扉の1ヶ所のみのマイクロバスが主流だった[17][18]中、ちょうどムーバスの計画中に、日野自動車レインボーRBのフルモデルチェンジ車であるリエッセを開発しており、前扉・中扉の乗降口2ヶ所を備えた路線仕様も含まれていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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