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出典検索?: "ムード歌謡"
ムード歌謡(ムードかよう)は、第二次世界大戦後、特に1952年(昭和27年)の連合国の占領軍の撤退以降の日本で独自に発達したポピュラー音楽のスタイル、ジャンルの一つである。広義では歌謡曲に含まれ、コーラスを主体としたものをムードコーラスと呼ぶことがある。 戦後、連合軍占領下の日本で、外国人相手に活動していたバンドが、解放後に銀座や赤坂のナイトクラブでムーディなダンス音楽を演奏し始めたことが始まりである[1]。和製ラウンジ・ミュージックの元祖[1]。 ハワイアン、ジャズ、ラテンをベースにした歌謡曲であり、いずれもダンサブルな音楽である。 元々、この当時に流行していたハワイアン音楽のバンドや進駐軍相手にジャズを歌っていた歌手が中心となり、スティール・ギター、ファルセットといったハワイアン音楽の特徴や半音進行を織り交ぜたジャズ音楽のテイストは、そのままムード歌謡にも引き継がれた。第一人者といわれるフランク永井や和田弘とマヒナスターズ、松尾和子らの人気とともにムード歌謡は流行、レコードデビューするバンドや歌手も増加し、1960年代には一大ジャンルを形成した。 日本語による歌詞は、独特の世界観を持っている。楽曲の演奏されるステージであった「ナイトクラブ」や酒場が存在した歓楽街や繁華街を舞台にしたものが多く生まれ、銀座や赤坂のほか、横浜の伊勢佐木町、札幌のすすきのや中の島、大阪の御堂筋や宗右衛門町、岐阜の柳ヶ瀬、神戸の新開地や福原、長崎の思案橋等の「盛り場」の地名や、それらを有する札幌、東京、岐阜、大阪、神戸、長崎等、都市名を冠した楽曲タイトルをもった。これら地名は、「ムード」を表現する要素となり、とくに地方都市を舞台としたものは、のちに「ご当地ソング」とも呼ばれた。 また、歌詞世界の描く時間帯はおもに「夜」であり、繁華街のある「港」や別れの舞台である「空港」をも描いた。男性ヴォーカルを有するグループが多い反面、女性の視点から女言葉で書かれた歌詞も多く、女性歌手をゲストに迎えた楽曲もつくられた。 俳優の石原裕次郎が歌手としても活躍し、ムード歌謡のヒット曲を連発した。
概要
来歴・特徴