ムーディ勝山
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ムーディ勝山
本名勝山 慎司
生年月日 (1980-06-11)
1980年6月11日(43歳)
出身地 日本滋賀県草津市
血液型O型
身長172cm[1]
言語日本語
方言関西弁 共通語
出身NSC大阪校23期
コンビ名アイスクリーム(2005年 - 2010年)
サブマごり押し(2023年 -)
相方梶剛(アイスクリーム)
小籔千豊(サブマごり押し)
芸風漫談猿まわしなど
立ち位置左
事務所吉本興業
活動時期2000年 -
同期友近
吉田裕
ガリガリガリクソン
中川パラダイスウーマンラッシュアワー)など
過去の代表番組爆笑レッドカーペット
エンタの神様
他の活動歌手
配偶者既婚(2011年より)
公式サイト公式プロフィール
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ムーディ勝山(ムーディ かつやま、本名:勝山 慎司(かつやま しんじ)、1980年6月11日 - )は、日本のお笑いタレント滋賀県草津市出身。吉本興業所属。吉本総合芸能学院 (NSC) 大阪校23期生。

かつてはお笑いコンビ・アイスクリーム(旧・勝山梶)の一員(ボケ担当)だったが、2010年6月19日をもって解散[2]。「ムーディ勝山」(ムーディかつやま)の芸名はコンビ時代にピン芸人としてムード歌謡ネタを披露する際にのみ使用していたが、解散してピン芸人になる際にそのまま正式な芸名になった。
来歴
NSC入学まで.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "ムーディ勝山" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年9月)


福岡県柳川市に生まれ、幼い頃に大阪府吹田市へ転居。さらにその後、滋賀県草津市へ引っ越すことになる。草津市立笠縫東小学校、草津市立新堂中学校卒業後、滋賀県立瀬田工業高等学校機械科を数カ月で中退。その後2年ほど引きこもる。

ひきこもりに困った母親が、何としても外に出したい気持ちでいる頃、ラジオで吉本総合芸能学院 (NSC) 募集の話を聞き、母親が資料を取り寄せ、ついに芸人の世界に足を踏み入れる。並行して滋賀県守山市内のなか卯でアルバイトをするようになり、その店で現在の妻と出会う。(2回の告白で振られるも、三度目の正直でようやく付き合う事となる。)

NSC入学からピンでのブレイクまで

NSC大阪校の23期生としてお笑いの道に進む。コンビ「セコンドアウト」を結成。素人名人会で名人賞を受賞するも、間もなく解散。その後トリオ「平安京999」と結成するも再度解散。2005年にNSCでは1期上だった梶剛と「勝山梶」としてコンビを組む。

2006年はじめに、
笑い飯千鳥のライブにゲスト出演し、ムード歌謡ネタを初披露した[3]。実験的な目的で行ったが観客に大うけし、ネタに確信を持った[3]。同年6月、NSCやはり1期上のダイアン・津田篤宏の結婚披露宴パーティー会場にて、特技の歌を使った宴会芸として「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露した様子が、ヨシモトファンダンゴTVにて「ダイアン津田の結婚披露宴パーティー」という特番として放映された。これをきっかけに番組関係者からオファーが来るようになり、テレビ番組での露出が増える。ちなみに、この披露宴の司会をしていたのが勝山の後にブレイクを果たす天津木村である。

さらにヨシモトファンダンゴTV内の『ヨシモト∞』大阪2部若手芸人ネタコーナーにて、司会のブラックマヨネーズらの前で「右から左へ受け流すの歌」を歌いきり、それまで名乗っていた「DJ KATUYAMA」より、「ムーディ勝山」の名前が浸透するようになった。

2006年から2007年にかけての年末年始特番は『オールザッツ漫才』(MBSテレビ)と『さんまのまんま2007年新春スペシャル』(関西テレビ)に出演した。勝山本人はこれがブレイクのきっかけだと語っている[4]。そして『オールザッツ漫才2006』で「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露した際審査員であった陣内智則らの目に止まり、陣内の結婚式2次会に呼ばれる。

ドッカ?ン!』 (TBS) で初のレギュラー出演番組を獲得。「歌う工場見学先生」として製品のできる過程をムード歌謡に乗せて紹介しており、「コアラのマーチ」(ロッテ)や、「ひよ子」、「タイヤ」ができる過程を歌っていた。

着うたダウンロード数は210万件以上(2007年8月9日時点)、携帯電話向けコンテンツだけで2億円以上の売上げを記録した[3]。レコード会社着営サウンドの2007年上半期着うたランキングで、ケツメイシレミオロメンなどのミュージシャンに混じって21位に入る[3]

2007年には、前川清が歌う「そして神戸」のコーラスとしてNHK紅白歌合戦への出場を果たした。

全盛期の月収は640万円で、目黒の家賃27万円のマンションに住んでいた[4]

一発屋へ

ブレイク時は予定表が埋まる程の活況だったが、
2008年頃から出演番組が減り、収入も激減[5]一発屋芸人とも呼ばれるようになる[6]

イメージチェンジを図るためチャームポイントである髭を剃った。テレビ局から用意された付け髭をしていたこともある[7]ダンディ坂野と間違われたこともある[7]

仕事が無い時は公園で1日を過ごすことが多く、毎日仕事に行くフリをしてハトにエサをやって時間を潰し[7][8]、1か月全く仕事が無かったこともあり、2009年当時、週4 - 5日はオフで、着うたダウンロードの収入で得た貯金を切り崩して生活していた[7]

エンタの神様』の番組公式サイトに掲載されたネタ後トークでは2008年に発売したDVDが数百枚しか売れなかったことを告白した[9]

ある月、マネージャーからスケジュール表が送られて来なかった。怒ったムーディはマネージャーに「今月の予定立てられへんから、今すぐFAXで送れ!」と電話、FAX用紙をセットして数秒後にFAXが起動してデータを受信すると、白いFAX用紙が真っ白なまま出てきた。


ケンドーコバヤシの「右肩下がり軍団」の筆頭若頭であり、メンバーには若井おさむネゴシックスがいる(RGも候補だったがメンバーから外れていた)。

現在のライバルは同じ一発屋のポジションの奪い合いでレイザーラモンHG藤崎マーケットである。

2013年現在は、地方の番組でレギュラーを得ている。レイザーラモンHG、三瓶楽しんご天津木村と5人で結成した「再生可能ボーイズ」としての活動もある[7]

2009年6月、アメリカ映画『レスラー』のイベントにおいて仕事が月に4日のときがあると語った。

2010年に『100日劇場』の企画で猿回しに挑戦し、同年3月14日放送の『笑点』に「ムーディ勝山&生太郎」として出演した。

最近[いつ?]ではマネージャーが自身も含めて100組の芸人をまとめて担当するようになった。ある日、家で寝ていたら突然マネージャーから電話があり、「ムーディさん、すいません。今、ムーディさんが出演する予定のラジオの生放送が流れてます!」と言われたことがある。

100組満員の単独ライブのチケットが1週間で3枚しか売れなかったことがある。手売りしようと自身でチケットをコンビニエンスストアで2枚購入すると、通し番号が「4、5」だった。その3日後に再び2枚購入すると今度は「6、7」だった。さらに2日後に購入すると、2番目に買った人がキャンセルしたため「2」が出てきた。

「アメトーーク」の「小忙しい芸人」では日本各地あちこちの舞台に行かされる事を愚痴る出演者に対して一言物申す「無忙しい芸人」として出演、そこで唯一のレギュラー番組だった「ムーディ勝山の好きです!かつしか」(葛飾FMで放送されていた5分番組)が2012年4月を以て終了したことを明かした[10]

家が近所で先輩でもある麒麟川島明からは、週に3、4回のペースで食事に誘われるが、(ヒマなことが多いため)1度も断ったことがないと言う。銭湯にもよく一緒に通い、「恋人のようにいつも一緒にいる」とも言われている[11]

2017年6月14日にはツイッターで、ショッピングモールらしき場所でどさ回りを行っている写真を公開。観客の姿は見えないが、真横では警備員が両手を広げてネタを披露している勝山をガードしている、という悲哀の漂う光景を撮した1枚となっている[12]

山田ルイ53世によれば上記の一発屋ならではのエピソードトークは「ムーディが元祖」であるという[13]

宮城に拠点を移してからはローカル番組にレギュラーを多数持つ売れっ子になっている[14]

2017年4月6日、埼玉県警察大宮警察署一日署長に就任[15]

2019年6月24日、反社会的勢力との会合に他の芸人と同席していたことが発覚。本人は闇営業との認識はなかったものの、当面の間活動停止処分となった[16]

2019年8月9日、謹慎処分が8月19日をもって解除されることが報告された[17]

M-1グランプリへの再挑戦

2023年、
小籔千豊と漫才コンビ『サブマごり押し』を結成し、M-1グランプリに挑戦。結果は準々決勝で敗退[18]

芸風
ピンでの芸風

現れると自己紹介と「自作のムード歌謡をお聞かせします」との挨拶を述べ、「ミュージック、スタート!」の声と共にムード歌謡風のネタを
ア・カペラで歌う。

外見的な特徴は、横に伸ばしたちょび髭。服装は常に白いタキシードと黒の蝶ネクタイ、髪型はポマードを付けたような横分けで、右手に金色や銀色等の派手な色のマイクを持っている。左手を腰のあたりで肘を曲げ拳を握ったポーズをとり、真顔で一点を注視したまま持ち歌(ネタ)を披露する。しかし現在は髭を剃っている(後述)。

大した意味はないが、聞いている側がツッコミを入れずにはいられないような表現の歌詞で、歌の最後には必ず「♪あ?あ?(この)○○○?」というフレーズが入る(○○○には演歌・歌謡曲のタイトルや歌にありがちな(しかし直前までの歌詞には全く関連しない)地名が入る(※ 具体例:東京砂漠鳥取砂丘神戸ポートピアランド、横浜ベイブルース、知床半島諏訪湖祭り、他)。

猿まわし

日本テレビ100日劇場』で、100日間で人を再生させようという企画から、有吉弘行プロデュースにより、村ア太郎のもとに弟子入りし、猿の生太郎とともに2010年3月14日に『笑点』に出演。


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